トラウマとこもることと

2014年05月28日

 人は、これはヤバイ!
と思ったら、
 安全になるために、いくつかの方策を講じるのだそうです。

 まず最初に、
1、人に助けを求める。
 信頼できる人、安心できる人、ホッとできる人、のそばに行き、自分の安全を確保しようとするそうです。

 助けを求める人は、
親やじいちゃんばあちゃんだったり、学校の先生だったり、友人だったり、メル友にメールを送ることだったり、
飲み屋で一杯の場合もありましょう。

 脅威を感じる相手に直接的に話をする場合もあるでしょう。
「わぁ、びっくりしたぁ。そんげ怒らんでぇ。ゴメンゴメン。話しよう」


 それがうまくいかなかったとき、または十分でなかったときは、
 次に、
2、闘ったり、逃げ出したりするそうです。
 明日ピシャッと言ってやろう!
 もいいや、しらんべぇ。

 脅威を感じる相手に直接的に反応する場合もあるでしょう。
ケンカ始めたり、情勢不利だと判断すれば即刻その場から逃げたりするでしょう。

 
 さらに、それもうまくいかなかったとき、十分でなかったときは、
3、最後に、そのままじっと動かないでいるようにするそうです。

 まるで凍りついたように身を固め、それでいて、いざとなれば闘ったり逃げ出したりする準備状態でいたり、

 筋肉は固まりつつも、感覚はボーッと麻痺していたり、

 筋肉も力が抜けて、感覚もボーッとしたり、

 相手の望む通りの行動をとったり、

して、安全でいられる可能性を必死に高めようとするのだそうです。

 私子どもの頃、よく立ちつくしていました。
逃げるも闘うもどっちも危険でできず、混乱した状態によくなっていたのでしょう。
 誰かからの話しかけにも、声は聞こえるけど応じられませんでした。

 そんな状況下、
どうすれば生き延びられるか、今より安全が脅かされないかと直感的に判断して、
 相手の望む通りの行動をとっていたようです。
 一般的には、服従と呼びますね。

 見た目には、私が主体的に行動しているようなのでしょうが、
その実は、誰かの強要に従っているだけでした。

 加えて、
 イヤイヤやるならするな!
という教育方針が強かったので、

 なんと喜びながら服従行動していたのです。ホントは嫌なことなのに。

 私は、行動ばかりか、感情すら服従していたのですね。

危険な中で生き延びるには、私にはそれしか方法は見つかりませんでした。

誰も助けてくれない。
自分の力もアテにならない。
逃げることも闘うこともできない。
ならば、自分を奥に隠して、服従するしかない。

それも限界なら、もはやあきらめるしかない。絶望のみが生き残る希望だ。

 今、ひきこもる人のうち、こう思っている人は少なくないと思っています。

 参考文献
「トラウマと身体」 パット・オグデン、ケクニ・ミントン、クレア・ペイン著 日本ハコミ研究所訳 星和書店



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