誰かと比べるのってひどいのです。

2014年05月12日

 唐突ですが、今回は、
誰かと誰かを比較することについて考えてみます。

まずは、「誰」と「誰」を比較するか? 
比較する対象についてです。

→ 自分と誰かを比較する。
 そうして、
 自分にダメを出す。
あぁ、やっぱりダメだ自分。泣き

 逆に、自慢する。
あいつよりスゲーじ。クレイジー

→ あの人をあの人と比較する。
 そうして、
 あの人にはOKを出し、一方のあの人にはダメを出す。
あの人は優しいけど、あの人は冷たい。ワーイ
 つまり、私はあの人たちを評価する。

 同時に、
あの人たちのイメージを作り上げる。
あの人は優しい人。あの人は冷たい人。
 だから私はこう付き合う。
とその人との関わり方(自分の行動)を決めたりします。

 次は、「誰」の部分は固定して、「時制」を変えて比較します。

→ 今の自分と過去の自分とを比較する。
 そうして、
 今の自分にダメを出す。
 ぜんぜんOKな自分じゃない! 昔はできてたのに! あの頃はもっとよかったのに!

 この時、過去の自分にダメを出すとしたら、ダメのパワーはちょっと少ない感じ。
裏を返すと、今の自分はOKってことだからでしょう。
 例えば、
昔はどうしようもない悪だったが、今はナイスなんだぜちっ、ちっ、ちっ
 これ、自分をほめる。よく変化したなぁ。ということになるからでしょう。

→ 今の自分と未来の自分を比較する。
 そうして、
 今の自分にダメを出す。
 ぜんぜんOKじゃない。 ぜんぜん足りない! ぜんぜん変わってない! このままじゃずっとダメなままだ!大泣き

 この時、未来の自分にダメを出すとしたらどうなるでしょう?
今はそれなりにOKだけど、この先ダメになる。ガーン

ってか、これまでもダメだったじゃん。あぁずっとダメだ。間違いない。
 と、ダメの連鎖が起きそうです。
 これ予期不安なんていいますね。

 → 応用です。
「誰」と「時制」を組み合わせて、

今の我が子と、過去の我が子

今の我が子と、未来の我が子

この我が子と、私が望んでいる我が子

私の望む親と、昔から続く今のこの親

昔の親と、今の親

いろいろパターンがありますね。

 ここで重要なのは、
私は、どれがOKで、どれをOKとしてないのか?
を自分自身でよく知っていることです。

誰かや自分自身に文句があるとき、
私は、誰かや自分自身にOKでない気持ちを持っています。
誰かや自分自身の中に、OKできない要素を発見したからです。

 それは、
今のあなたじゃなくて、こういう人でありなさい。
今の私じゃなくて、こういう私ならばOKだよ。
 という思いに直結しがち。

 でも、
リアルな今の私。
リアルに存在するあなた。我が子。親。
 を認めないってことは、存在に価値を置かず、実は無視していることになります。
これって、とってもひどいこと。

 それに、
私を認めない人の言うことなんか聞くわけがありません。
自分自身を認めなかったらキツくてしょうがありません。

誰かと比べて、その人そのものにOKを出す。出さない。
あの人は存在していてイイ、あの人はダメ。
 こういう考え方は物騒極まりないことです。

存在をOKする。
存在を受容する。

 それがすべての始まりのように思えます。



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