自分の肉体が嫌いだとしたら1

2014年05月04日

 唐突ですが、

私にとって生きることは仕事です。

 だから、
生きるために必要な食事も仕事の1つです。

 同じように、睡眠も、身体のケアも、お風呂に入ることも、部屋の掃除も、学校に行くことも、友達との付き合いも、先生との会話も、
進路を考えることも、仕事を選ぶことも。

 生きることに関わることは、私にとっては全部仕事。
やらねばならないことなのです。

 親が作った食事は全部食べなければなりません。

私の好み、私の食べられる量、私の食欲は一切関係ありません。食べねばなりません。
 それが仕事だからです。

 同じように、親が与えたモノ。おもちゃや服、勉強道具、嗜好品、お小遣いにも当てはまります。
それらを全部引き受けねばなりません。それが私のこの世の仕事だからです。

 なによりも、この私の肉体そのものが、親から与えられたものです。
私の顔つき、手指の形、耳の形、筋肉、骨格などなど、遺伝という形でそもそも親から与えられたものです。

 引き受けねばならない。
 それは、与えられないものについても当てはまります。
私が与えてほしいもの、与えてほしい量、与えてほしいタイミング、など一切配慮はありません。
 だから私が望むものは与えられようはずがありません。
 そして、
私は与えられないものも全部引き受けねばなりません。なぜならそれが私のこの世の役目だからです。

 また、親の決めたことには従わなければなりません。
 私のやりたいこと、やりたくないこと、できること、できないこと、私の都合は一切お構いなしで従わねばなりません。

 どのようにかというと、
親の決めた通り、そのタイミングで、その量で、望むように、そして親に分かるようにです。
 決められたことを決められたようにやらねばならないのです。それが仕事だからです。

 私は、親が望むようにまたは予定しているように、
笑顔でなければならず、泣かねばならず、悔しがらねばならず、混乱せねばなりません。

 なぜ私はそのようにせねばならないのでしょう?
理由は、この世に生まれてきたからです。
 この世に、肉体をもって出現したからです。

 だから、親から話しかけられたり、世話をされたり、訊ねられたり、期待されたり、喜ばれたりするのです。
肉体がなかったらどれほど気楽だったか。

 この目は、親の怒鳴る姿や暴力を見なければなりません。

 この耳は、親のかんしゃくの声、なじり合う声、どすんどすんという人が激しく動く音を聞かねばなりません。

 口があるから、無理にでも親に言葉を返さねばなりません。

 弱い肉体があるから、親から世話されねばなりません。

腹が減るから、食事せねばなりません。
 屈辱を味わいながらも。
 ものを食べれば、望まず機嫌はよくなります。そういう肉体の仕組みだからです。
それによって、ますます食べねばならなくなるのに。どうにも自分の自由になりません。

 もし、仕事を放棄したとしたらどうなるでしょう?
私の肉体は滅びます。

 それはとても怖いし、耐えられない。肉体の欲にあらがうことは私にはできません。
 肉体があるから嫌な思いをするのに、その肉体を手放すことは底知れず恐ろしくてできない。
無力感、絶望感、悔しい思いでいっぱいです。

 肉体があるから。
私にとって肉体は、不快なこの世に私をつなぎ止める鉄の鎖でした。

 私は意識と肉体が調和していなかったのです。

この項続く 



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