トラウマ体験は風化しない

2014年03月01日

命にかかわるような恐怖を体験したとき、

その体験は、心に深く刻み込まれ、あたかも心が傷を負ったようだ。

 という考え方から、心的外傷として(心的)トラウマという概念があります。

 通常、私たちの記憶は、時間が経つとぼやけていくもの。
激しい感情が起きた体験ですらそうです。

 だって、
 あの初恋体験も、今なら過去のこととして、ぼやんとほわんと思い出されるでしょう。

 叱られたことも、飛び上がって喜んだことも、昔の嫌な出来事や喜ばしい体験こととして、
記憶の引き出しからいつでも取り出して、そしてまた戻せるでしょう。

 でも、トラウマ体験の記憶はこうならないのです。

冷凍保存されたという言い方があるのですが、
 その体験がそのまま瞬間冷凍され、
記憶の部屋のどこかに隔離されて保存されているような感じなんです。

 その体験記憶は、映像や臭いや音などの、特定の刺激を受けたときに、
瞬間解凍されて、今ここに出現します。
 そして、私をその体験のまっただ中に放り込みます。
これ、記憶を思い出すというより、不意に記憶が今ここに侵入する感じです。

 そうして私は、過去の体験にもかかわらず、今現在ここで、
同じような身体のこわばりや震え、冷感、心臓の高鳴り、呼吸の増加などの反応をします。

 その時、私は通常の世界からは解離しています。
別の時空間にいるようなものです。

 さて、トラウマを負った人は、その瞬間から二つの時計を持つ。という指摘もあります。
体験をもとに私なりに解釈すると、

 世界には、
トラウマ体験にもとづく時計と、
 一般社会的な時計の2つがあることになります。

 トラウマ体験にもとづく時計は、
全般的に進みは遅く、さらにその進み方は一定ではなく、
しばしば逆行したり、止まったりします。
 傷の回復や悪化にともなって過去を行ったり来たりするのですね。
未来に向かって進むというより、今の時だけをただ刻む感じでしょうか。

 一方、一般社会的な時計は、未来に向かって時を重ねます。
5年後、10年後も安全に生きているという前提で、過去から未来に一本つながっています。
 私には、子ども時代があって、その次には青少年期があって、それから成人して、社会人になって、家族を持って、老年期になって。
という風に、未来が予想できるの時計です。
 そして24時間で1日、365日で1年という区切りも共通なので、多くの人と時間を共有しやすくなっています。

 今、トラウマ時計の世界から、一般時計の世界を見ると、
一般世界が私の目の前を過ぎゆく感じがします。

 だから、
あれから10年経ったから、もう区切りがついたね。
 とはいかないのです。

 なぜならそれは、一般時計が刻んだ時間の話。
私の時計は、トラウマ時計。今も同じ時刻を刻んでいます。

 こもる人、不登校の人も、同じような感覚かもしれません。

もうそろそろでてきてもいいんじゃないか?

 一般時計で計っては、こもる人の時間とは大きなズレが生じることがあるでしょう。

 別の時計を持っている。
こう考えることは役立つように思えます。



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