精神疾患だと認定されると、すべてが症状として扱われがちです

2014年02月14日

一旦精神を病んでいると診断されると、判断能力が疑問視され、
  彼らの訴えは無視される。さらにひどい場合には、訴えそのものが精神症状と理解される。

 この刺激的な一文は、 『精神障害者差別とは何か』(グラハム・ソーニクロフト著 青木省三・諏訪浩監訳 日本評論社 2012 序文ⅰ)から引用しました。

 今回は、この一文を核にして存念を記したいと思います。

 今、精神疾患と診断された人が、

 とってもとっても怖い思いでいるときに、それを正直に口にすると、
医療者、支援者、家族などの周囲の人は、

「そう。で、お薬のんだ?」
 とか、
「お水飲む?」
 として、怖さから意識を反らすような会話をする傾向があります。
不安、恐怖が強いという症状が増悪しないように配慮しての言動ですね。

 思いやり行動の一つなのでしょうが、
実際にとても怖い体験をしているその人の思いに寄り添っていないのもまた事実なのです。

 このことは、怖い体験をしている精神疾患を抱える人は、身近な人たちから寄り添われないということを意味しています。
一番不安で、誰かの支えが必要な時に。

 同じようなことに、
「なんで分かってくれないんだ! あんたサイテーだ!」
 と、精神疾患を抱える人が、怒りや悔しさの感情をあらわにしたとき、

 また人のせいにしている。他罰傾向が強いなぁ。
   まだ社会性が十分じゃないか。発言が独り善がりだな。
      相手の立場に立てないみたいだ。心理教育ほどこすか。

 などと、症状の見立てをする場合もあるかもしれませんね。
それは、精神疾患を抱える人が、怒りや悔しさの感情を表現しないように仕向ける治療に直結しがちでしょう。

 これ、不登校者やこもる人についても、同じようなことがあるでしょう。
「学校、無くていいんじゃないっすか!」
「なんでオレばっかり、そんげさすっと!」 ※なんで、自分ばかり、そんなに頑張らせるんだ!
 と、思いを言葉にしたら、

「やっと、気持ちを口にしたね。いいたいことは分かった。でも、そんなこと無理ってのはよく分かってるよね」
「あぁ、そういう時は、落ち着いて話をしよう。怒鳴っては何が言いたいのかわからい。お前はいつもそうだ」
 なんて、言われるかもしれません。

 信頼している相手に向かって、
   自分を伝えようと必死になって、
     その人なら、はぐらかさず、きちんと向きあってくれると相手に期待して、
  以前から要望され、約束された通りに、素直な気持ちを口にしたら、

 診断され、話を逸らされ、気持ちを口にしないようにするために利用され、または指導されるのです。

 一貫して、
そうでない人たち(つまり、精神疾患と診断されていない人たち)から、一段下に置かれるところの精神疾患を診断された人たち。

 それは、
精神疾患と診断されていない人たち(つまり健康人)が、常に上位に立つことを企図してのもの。

 そうして、
 上位の者が、下位の者を、自分の知識と経験の枠に当てはめて、理解し、診断し、または審判し、
自分たちが思う望ましい形になるように方針を立て、指導するのです。

 こういう行為が定番化していれば、相互信頼関係を築くことは難しいでしょう。
だって、一方(下位)の気持ちは無視され、一方(上位)の気持ちだけ重宝される不公平な関係だからです。

 そして、この関係では、上位者からのあらゆる働きかけは効果が期待できなということは簡単に分かりますね。



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