教育は上から目線ですよ

2014年01月20日

 誰かを見て、

あぁ、あんなことしてる。
そうじゃなくて、こうすりゃもっといいとに。
お、頑張ってるね。よし、ほめてやろう。

 なんて思ったとき、
私は、どんな目線でその誰かを見ているでしょう?

 一歩引いて、
   穏やかに、
     見守り、

 または批判的に、
   指導的に、

 あるいは優しく、
   相手の頑張りを認めて、
      包み込むように、
 よしよし。

 TA・交流分析的な言い方をすれば、、養育的・支配的親の目線ですね。

 実は、この状態、相手より一段上にいます。
 斜め上か真上か、角度に違いはありますが、相手を見下ろしている立ち位置に私がいるのは間違いありません。
 だから、相手の行動がよく見えるし、上から暖かく包み込むことも、範を垂れ、教えることも、できるのですね。

 教育というのは、上から行うもの。と思っています。
 だから、
 教育者と呼ばれる教育が人生の専らで、習い性になっている人は、なにごとも上から見下ろす癖がついているかもしれません。

 私が教育する姿勢に立つとき、相手は自動的に教育される立場として設定されます。

 相手が教育する姿勢に立ったらば、私は自動的に教育を受けるという下の立場に立つことになります。
 時にこれは、私が教えるから、君はそれに同調しなさい! というメッセージとして受け取られるでしょう。
同調圧力ですね。

 私の立場が決まると、相手の立場が自動的に決まる。ことは少なからずあります。
※TAでは、自我状態が現象学的に決まるなんて指摘されています。

 今、私があなたを支援することを決めたとき、あなたは支援を受ける人となります。
その時、
 私とあなたの間に、支援する人-される人の境界がはっきり引かれます。

 社会的役目という視点で考えると、
私はあなたを支援する役目を担います。と決めたとき、
だから、あなたは支援される役目を担って下さい。
 となります。

 その時、私は上であなたは下の立場になります。
 先月21日、「へんけん・じんけん・にんげん」というイベントで、精神障がい者の方の思いを聞きました。
医療者から、子ども扱いされることが多いようです。

 ひきこもり、不登校、ニート、いずれも一人前の人ではないと認知されている人たちを支援する人たちは教育的です。
 総じて寄り添いながらの暖かいものではありますが、上から見下ろす目線の場合が多いように感じています。

 教育するとなると、教育される人が生まれる。
それは、教育される人が下になることを意味する。
 なぜなら、教育する人はすでにもう上の立場に立っているから。

 教育とは、上下関係で成り立つものであること。
だから、
 いつも下の立場におかれる者は、教育的な人との関わりを拒否すること。

これらのことを意識することは、人と向きあうとき役に立つと思います。

 そして、
 教育的な上下関係。
 それは、
教師-児童・生徒であり、
 支援者-支援される者であり、
   会社-労働者であり、
     親-子であるかもしれません。




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