仕方がないからひきこもる

2013年11月20日

 家族の方とお話しすると、ときどき、こもる人が、
こもることを喜んでやっている!  
 と思ってるような印象を持つことがあります。

外に出てみらんね。
 遊びに行っていいっちゃが。
  友達この前来よったよ。

 なんて、こもっている我が家族(自分の子ども・兄弟姉妹)に、優しく外出を誘う声をかけても、
気のいい返事がない。
 そして、いつもと同じこもる生活をし続ける。

そうなると、やはり、我が家族は、こもることを好んでいるとしか思えなくなるのでしょう。

 だから、
自ら進んで、主体的に、自由意思で、こもる生き方を選択した。
と結論づけたくなるのでしょう。
 
 確かに、自分で選んだという面はあると思います。
ですがそれは、その選択肢しか手もとになかったからです。

 学校に行きたい、友達と遊びたい、自由に外に出たい、仕事したい、誰かと話たい
…。

 いろいろやりたいことはあるけれど、
イジメにあったり、
  人に会うと身体がすくんだり頭が真っ白になったり、
       外に出ると息苦しくなったり、
 上司や同僚からどう思われているかや、仕事の成果が頭から離れなくなって、穏やかな気持ちで過ごせる時間がなくなったりするから、

 そう、
そうなることを私は知っているから、
 学校に行く、人と接触する、外出する、仕事する…
という選択肢を除外するのです。

 除外するしかない。

 今、こもる生活をはじめて、いろいろな苦痛から距離が置けるようになった喜びはあるでしょう。

 そしてそれは、いろいろなやりたいことをあきらめて手にした利益
たくさんの選択肢を除外して、一つだけ残った生き方。

 消去法の先にたどり着いた生き方。
でもあるでしょう。

 ディズニーランド行く? USJ行く? グリーンランド行く? こどもの国行く?
というように、
 たくさんある選択肢の中から、自ら進んで、うきうき喜んで選択したわけではありません。

 恐怖と無力と屈辱の中から、やむなく選び取った生き方なのです。
それらの暗闇を通って、はじめて手にできた少しばかりの安らぎの時間なのです。

 自ら選んだことであったとしても、
自由と有力感や喜びにもとづいたものか、
  束縛と無能感と極度の不安や悲しみにもとづいたものか、

 選択過程の違いに注意することはとても重要です。

 そしてそれは、
喜んで選択したわけではない現状を見守り、寄り添うことははたして適切なのか?
 の問いを投げかけます。

 つまり、
「待つ」はいいことなのか?
 です。




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