大人の面倒みなくっちゃ

2013年06月15日

 アルコール依存症ケアの世界で言われていることですが、
依存症家庭に代表されるような、親が子どもの面倒をみることが充分にできない親子関係では、

 子どもが親の面倒をみる場合が少なくありません。

 アダルトチルドレンが家族の関係で担う役目のうち、責任を負う役目慰める役と言われているところです。

 例えば、
 酔っ払った大人の家族を寝かしつける。水を飲ませる。汚物を処理する。
   飲み過ぎないように注意を払う、車で送り迎えする。
      大人がしでかしたことを代わって謝罪する。尻ぬぐいする。

 いつも不安でいっぱいの大人の気持ちを聴いてあげる。
   無理して頑張ってる大人を優しくいたわる。
      嬉しいことでいっぱいの大人と一緒に喜んであげる。
        嫌がる大人をなだめすかしてその人の社会的責任を果たさせる。

 大人の家族は、自分が楽して良いことが起きるので、とても喜びます。子どもをほめて、お礼も言うでしょう。
 そうして、してもらうことが当然と思うようになり、もっとしてもらうことを期待するかもしれません。

 もっと私の面倒をみて! と。

 一方の子どもは、やりがいを感じ、ほめられること、感謝されることで、ますますより上手に面倒をみようと思うでしょう。
※行動理論で、行動随伴性なんて言われるところですね。

 そうして、大人の面倒をみるのが自分の役目だと思うようになり、
周りの大人よりも大人として、いえ大人の代わりに大人として振る舞うようになるかもしれません。

 これら、大人の面倒をみることが幼い頃から習い性になっている人は、成人して社会的にとても重宝されます。
 他者への気遣いや、混乱を収める能力、実行力はピカイチでしょう。
それはそれでまちがいなく有用です。立派な資質ですね。

しかしながら、一つの疑問が浮かび上がります。

 自分の面倒は誰がみてくれるの?

 まだ、年端もいかない子どもは、誰かの面倒をみるより、誰かに面倒見られる存在です。

 困ったときに、またはなにかするときに、誰かに一緒にしてもらう。
そんな甘える体験を繰り返し、人をアテにすることを学びます。

 それは、自分がそうであるように、人は私を助けてくれる。
    という、他者や総じては社会に対する基本的な信頼感を生みだします。
 
 それは、困ったときに他者にヘルプを求めることにもつながります。
 
 しかしながら、大人の面倒を見る子どもは、これが極めて難しくなっています。

 だって、大人を助けられるのは私だけなんだから。大人・他者はアテにできないんだから。

 誰かをアテにするとか、助けを求めるとか、そんな子どもみたいなことはできないもの。

 だって、私は子どもであってはならないんだもの。もっとどうしようもなく子どもの人がいるんだから。

 子どもがするように楽しんだり、泣いたり喜んだりするのは私じゃない誰かがやること。
私は大人としていつもいなくてはならない!

 人の面倒をみながら、またはみるたびに感じるところのTAでラケット感情と呼ばれる独特のあの感覚。
 不全感というか、いいことするのに喜べない自責感というか、寂しさというか、情けなさというか、やるせなさというか…。

 これらのことについて、TA・交流分析では
 「子どもであるな」という自分に対する何かを禁止する命令を持っている。
として指摘されています。

 私たちはいつでもどこでも誰かの面倒をみる大人である必要はありません。

 そして、
その人がそうあってもいいときがあるように、私たちも、子どもであってもいいんです。

 大人であったり、子どもであったり。でOKなんです。



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世界からやって来る!!
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