ひきこもり…承諾してるかどうかはとっても大事。

2013年05月26日

 社会的ひきこもり、ニート、不登校、と名付けられた状態または行動をとる人たちがいます。
※私・聞風坊もその一人

 誰が名付けたかというと、医者、学者、教育関係者、などのいわゆる他者。
本人たちが、私たち○○です。と名乗り始めたわけではありません。

 さてここで大事なことは、

その名称で、あなたたちを呼称していいかな?

 と誰も当事者たちに承諾を求めていないことです。

 こもっていたあの頃、
  社会に出てみんながニートとして私を扱っていた頃、

あなたをひきこもり、ニートと呼んでいいでしょうか? ひきこもりニートとして扱っていいでしょうか?

 と私・聞風坊に承諾を求める人は一人もいませんでした。

 にも関わらず、関わる人は、報告書や記録や説明の際に、私のことをひきこもりと呼び、ニートとして扱っていました。

 さすがに面と向かって「ひきこもりさん」とか「ニートさん」とか呼称する人はいませんでしたが、その人が誰かと話すとき、または日頃胸の内では、私・聞風坊のことをそう呼称していたでしょう。

 対象者の呼称を対象者の承諾なしに決定し、使用するということは、
支援者を名乗る人も含め多くの人が、フツーにやっていることだと思いますが、
 これ、とっても重要な問題だと思います。

 だって、ひきこもり、ニート、不登校って、社会的に否定的な意味合いの呼称でしょ。

 たとい治療のためサポートのためなどで、それがその人の利益に叶う行為をするためであったとしても、

人を否定・侮蔑的な名前で呼称することに平気でいいはずがありません。これ、社会的常識ですね。
 いやしくも支援者を名乗る人が、このセンスに疎いのはイケません。

 私たちは、本人の承諾なしに本人(たち)を否定的なくくりでくくって認知している。
 支援者を名乗る人(たち)は、肝に銘じておくべきです。

 支援者の認知について言えば、
 当時から私は、ひきこもりを自認し公言していましたが、面白いことに、
私はひきこもりではあるがニートではないと表明すると、

 特に、依存症関係の支援者には、それは否認という症状として受け取られ、
    また、メンタルヘルス系の支援者には、リアルな自分と向きあう準備・レディネスができてないと受け取られました。

 その人たちの多くは、当時の学者の主張に従い、ひきこもり=ニートととらえており、ひきこもりは就労問題だと考えていたからのようです。

 だから、明らかにニートであるのに、自分がニートであることを否定する若年無業者である私・聞風坊は、リアルな自分を否定していると見立てたのでしょう。

 余談ですが、あるとき、私がニートに理解を示す発言をしたときの、支援者の一瞬の喜びの顔を今でも覚えています。やっとレディネスができた! 支援・治療関係の門口に立った! と思ったのでしょうね。

 さて、
 ひきこもり、ニート、不登校者は、自己肯定感、自己効力感、居場所、自信がないと指摘されています。
その理由の一つに、この承諾の問題があると思っています。

 それは、
私(たち)が自然な私(たち)でいることを、他者(社会)は承諾しているか?
 という点にかかってくるからです。

 もし、私が他者から、承諾、承認、受容、許容されるならば、私は自分を肯定されたと実感するでしょう。
そうでなければ、程度の差こそあれ私を否定されたと感じるでしょう。

だから、ひきこもり、ニート、不登校について考えるとき、承諾の概念はとっても大事なのです。

この項続く。



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Posted by 聞風坊 at 00:00│Comments(0)ひきこもる
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