不登校を考えてみたのです

2012年10月08日

 今からすれば、はるか昔のような、私が学童期だった頃、登校拒否と呼ばれていた不登校。

このことについて、ついと以下のように考えてみたのです。

 教育は、生徒の個性を伸ばすためにある。
生徒を一定の型にはめてはいけない!

 生徒にはのびのび自由な教育を受ける権利がある。
大人には、それを実行する義務がある。

 しかし、今の学校教育は、個性をつぶし、窮屈だ。
だから、今の学校教育はダメだ!

 そんな学校行かなくていい、不登校こそOKだ!

という論について、試みに

 じゃあ、
のびのび自由な不登校と、
のびのび自由な登校生活と、

 どっちがいい?

と問うてみます。

 どっちでもその子が選べばいいのですが、

のびのび自由な登校生活が叶うのなら、こちらの方が、よさげじゃないですか?

 なんとなくな長期的・現実的目線からですが。キョロキョロ

 他者と協働する場においては、辛抱と自由の折り合いをつけねばなりません。
全体の調和による全体的な利益と、個々人の利益のバランスに配慮して、共同体の一員として生活せねばなりません。

 全体の利益ばかり優先して個が大切にされなくても、個人の利得ばかり大切にして、全体として機能しなくなっても、
結局、不利益を被るのは個人だからですね。

 それは、学校生活においても、社会人の生活においても一緒ですね。

 さて、折り合いをつける作業の一つには、
それぞれのメリットデメリットを挙げる。というものがあります。

 例えば、
学校に行くメリット、デメリットです。

メリットとして、友だちと一緒にいられる。勉強ができる。進路に強い。社会の常識に馴れる。
デメリットとして、自由がない。個としての尊厳が保たれづらい。他者との比較により劣等感を感じやすい。

きっとまだまだありますね。

同じように、不登校のメリット、デメリットも当然あるでしょう。

学校ダメだ!
不登校ダメだ!
社会がダメだ!
先生がダメだ!
親がダメだ!
あの子がダメだ!

 として、考えるのを止めるのではなく、
 なぜダメなのかをつきつめて考えてみると、不思議にどうしたらOKになるのかが見えてきます。
 そのきっかけにメリット、デメリットを考えてみるのは、なかなか有効です。

 秋の夜中、哲学っぽい思索もいいかもしれませんよ。



同じカテゴリー(社会のこと)の記事画像
【告知】ケアニン上映会とトークイベントのご案内
【告知】ひきこもりフォーラム2019のお知らせ 再掲
【告知】インクルーシブ教育のイエナプランの講演会あります!
【告知】困難を抱える子ども・若者支援のイベントあります
同じカテゴリー(社会のこと)の記事
 当事者が持つようになる社会的役目感のこと (2020-07-22 06:00)
 ひきこもり予防としての不登校支援はやめた方がいいんじゃないかと思う話 (2020-07-14 06:00)
 フツーの発達障害者だっていいじゃないかと思った話 (2020-07-10 06:00)
 卒業式や入学式への思い入れがない話 (2020-06-04 06:00)

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
不登校を考えてみたのです
    コメント(0)