治療のゴールはどこでしょう?

2012年04月13日

 医療・社会福祉・心理療法などは、患者・クライアントが、さしあたり社会生活できるようになることを目指しているようです。

 若者支援としての就労支援の場合は、就労すること。
ひきこもり支援の場合は、外出し他者と信頼関係を持つことでしょうか。

 実はこれみんな「社会適応」することなのですね。

 患者・クライアント・若者・ひきこもりになっている者が、
その病状、身体的・精神的・環境的困難によって、社会にうまく適応できていないことを一番の問題に置いているのでしょう。

 だから、それらの人が、社会にうまく適応できて、人並みの社会生活ができるようになるようにサポートします。
つまり社会生活できる状態をゴールに置いているのです。

 それは、社会生活できるほどに、回復したり、問題が軽減したり、環境が改善したりしたと言い換えられます。
そしてそれは、病気が完治した、心理的問題が快癒した、問題環境でなくなったという状態とは限りません。
 残念ながら依然として、病気を身に宿しつつ、心理的問題を抱えつつ、苦労の多い環境であることには変わりがない場合もありましょう。

 今、患者・当事者・クライアントとして考えるに、
私たちは、社会適応を目指しているのでしょうか?
 それとも、
本質的な苦しみの解消を願っているのではないだろうか?
 という疑問がわきます。

 そして、
 今まで人知れず苦労に苦労を重ねて社会適応してきて、もう限界が来て、
心身の調子が崩れるほどに疲弊しているにも関わらず、まだ社会適応を目指さねばならないのだろうか?

 自分の困難の本質に触れ、癒されるチャンスは自分には一生巡ってこないのだろうか?

 それは、この世界の仕組みでは、私は望むべくもないことなのだろうか?

 そんなあきらめに似た問いを持ちます。

 本質的な苦しみを横に置いて、社会適応ばかりを重視するサポートは意味があるのでしょうか?
価値があるのでしょうか?

 ひきこもり・ニートサポート界では、受診しない、支援機関を利用しない、
継続診療・利用が困難というデータが報告されています。

 患者・クライアント・利用者のニーズと、サポートのミスマッチが原因のように思えます。

ゴールの設定をどこに置くか?
重要なことです。

 → だから、なにかサービスを利用するときに、

私は相手に何を求めているの?
 と自問してみるのは役立つと思っています。
おためしあれ。


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