フツーの発達障害者だっていいじゃないかと思った話

2020年07月10日

古今、映画やテレビドラマなどで、
発達障害と表明しているかどうかの差はあるとしても、
実質的に発達障害者が取り上げられる場合、

いずれもすごい能力の持ち主。

であることがほとんどであるように思えます。

また、
現実社会でも、芸術や学問などの高度専門分野でめざましい活躍をしている一部の人を取り上げて、
発達障害者は、すばらしい能力の持ち主だ!
という言説を多々見聞きします。

どちらもまるで、
発達障害者はフツーの人間とは違う特殊能力を持ったヒーロー。
みたいな扱いです。

どうも、
発達障害者には、
(あなたたちが気づいてないだけで)とてもすごく社会貢献する機能が備わっているんですよ。
だから、(あなたたち)社会は、この人たちが活躍するように合理的な配慮をすべきですよ。
その方が社会にとって有益ですよ。
みたいな論理みたい。

この論理は、
どれほど社会貢献しているかでその人の価値が決まる価値観。
にもとづいています。

そのたんびに思うのです。

フツーじゃダメなの?
フツーで生きちゃダメなの?。

だって、
機能がスゴい発達障害児者ばかりじゃないだろうにと。

その人たちは、立場がなくなるんじゃないかと。

例えば、
発達障害なのに、記憶悪いの? カレンダー全部覚えてるんじゃないの?
え、発達障害なのに、スゴい能力持ってないの? 
これといってないの? フツーなの?
みたく。

発達障害者じゃない人たちがそうであるように、
発達障害者でも、ヒーロークラスのすごい能力を持った人と、そこまですごい能力は持っていないいわゆるフツーの発達障害者の人がいるはずです。

現状、なんだか偏った情報発信がなされている感じがします。
リアルじゃ無い。
本来はもっと身近で庶民的だ。
そんな感覚を持っています。

そんなこんなで、
発達障害者だからって、特別でなくてもいい。
と、思うのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと発達障害

ネガティブなことばかり口にするのは性格じゃなくてうつなのかもしれない話

2020年07月06日

何かにつけ、ケチをつける。
とりあえず、けなす。
テレビのニュースを見ていても、悪い方へ悪い方へ解釈する。
ダメな所ばかりに注目して、ダメ出しする。

こんな性格の人がいます。

でも、性格じゃないかもしれないとふと思ったのでした。

実は、
抑うつ状態だと、悪い点、嫌なこと、つまりネガティブなことにばかり意識が向いてしまうのです。

そして、
考え方もハッピーな方には行かない。
ぐるぐると悪い方へ悪い方へスパイラルしていきます。

そうして、
全体的にやる気が起きなくなって、ため息すら弱くなる。

毒親とかヒドい上司とかあり得ない教師とか評価されている人たちは、
ひょっとしたら、その人自身が抑うつ状態で、痛みを抱えているのかもしれません。

だから、特に人間関係に害をなすことばかりやる。

自分の親を見て、そう思うのでした。

抑うつ状態とするならば、
害をなす行動は、心が痛みから来る。
性格から来るのじゃなくて。

痛みを持つその人は、問題を抱えているのだから、手当てが必要となります。
病院に行くとか、心理ケアを受けるとか。

害をなす人の立場に思いがやれる。

視点の転換は大事みたいです。
  
タグ :抑うつ毒親


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

ピア活動者は専門職より低く扱われるような気がする話

2020年07月02日

ピア(サポート)活動というのがあります。

生徒・学生どうしでの支援活動や、
病気やケガなど困難を抱えて暮らす人同士が、お互いに同朋を支援する活動として知られています。

自助グループはピア活動の一つです。

ネット検索したら、いくつかのサイトが見つかりました。ご参考まで

日本ピアサポート学会
http://www.peer-s.jp/idea.html

一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構https://pssr.jimdo.com/%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B4%E5%BA%A6-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E5%B0%82%E9%96%80%E5%93%A1%E9%A4%8A%E6%88%90%E7%A0%94%E4%BF%AE/

認定NPO法人キャンサーネットジャパン
https://www.cancernet.jp/

アルコホリークスアノニマスジャパン ※アルコール依存本人
https://aajapan.org/

アラノン家族グループ ※アルコール依存本人の家族・友人
http://www.al-anon.or.jp/


このように、いろんな形で行われているピア活動ですが、
現在では、病院や福祉などの対人支援現場で活動することも増えてきていると聞いています。

当然ですが、
ピア活動を行うスタッフは、(支援されるのでなく)支援する立場として活動しています。
※なかには治療やリハビリの一環としてスタッフを名乗っている場合もありますが、それでもやっぱり自分は支援者であるというプロ意識をもってピア活動しています。

(先輩・同輩)当事者が、ピアという専門的な立場から、(後輩・同輩)当事者にサービス(支援)を提供する。

そういう意識です。

つまり専門支援。
専門サービス。

ところが、
そのサービスは、他の専門医療・福祉・対人支援スタッフが提供するサービスより軽んじられている。
そもそも、ピアスタッフはそれ以外の専門職よりも、一段低く見られている場合が少なくないようなんです。
ピア活動している人たちの話を見聞きすると、どうにもそんな印象を持ってしまいます。

当事者こそ専門家だ!
という声はよく見聞きするのですが、

実際に専門家、専門職として扱われるかというと、そんなことはありません。
医師・支援職・研究者などの専門職の方が重く扱われます。
私もそんな経験をして来ています。

当事者の声は参考程度に耳を傾ける感じ。
それを重用して、支援方針やサービスは組み立てられません。
ピア以外の専門職の考えを元に策定されます。※職務だから当然と言えば当然
それを補完する感じでピアが活用されています。
※なんならピアはなくても支援は成り立つけど。という感じ。

さて一方で、
医師・支援職・研究者などの専門職の人が、自分が当事者であることを表明している場合が散見されます。

書籍やドキュメンタリー番組などでわりとよく見かけます。

では、その人たちは、ピアの人たちと同様に軽く扱われるでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
むしろ、当事者の立場をよく分かる信頼できる専門職として、そうでない専門職より重きを置かれます。※ほぼ。

なぜなら、専門職だから。

痩せても枯れてもやっぱり専門職だから。
そんな感じなのかもしれませんね。

こう考えると、
ピアという立ち位置。
は、やはり社会的に、専門職より低く見られるのだろうと思うのです。
どれほど、勉学していようと。
そこらの専門職の誰よりも経験豊富だろうと。
どれほどピアノ心に触れていようと。

ピアでやる以上。
当事者として振る舞う以上。

評価に上限規制がかかる。
これは事実のようです。

ピア活動者は、そこのところをよく腹にすえて、
ピア活動する必要があるようです。
すねずに。

ピア・当事者活動する同朋よ。
くじけずひょうひょうとやりなされ。
其方がゆくは正しき道ゾ。

もはやロートルの域に達した当事者活動人聞風坊の静かなる激励でした。