子どもの生きづらさに触れる講演を聞いたのでした。

2020年04月29日

NPO法人 国際ビフレンダーズ宮崎自殺防止センターさん主催の講演会に行ってきました。
https://www.befrienders-jpn.org/miyazaki/

今回は、子どもの年代に焦点を当てた講演でした。
講演を聞いて考えたことを記します。

全体として、子どもが生きる世界がとてもせまくなっている印象を持ちました。
とても狭苦しい窮屈な人間関係の中で、極度の緊張感をもって育っている。

どうも、
子どもが育っていくのを支える、見守る、関わる、大人たちが少なくなっていることから、
子ども同士の緊張したある意味不健全な人間関係に気づく大人がおらず、
だから大人の助力がないためにその関係が改善されない。
どんどんエスカレート・悪化する。
そんな感じ。

なぜそんなに緊張関係なのかというと、
子ども同士の関わりの中で、自分のキャラが固定化されることから来るようようです。
そして、一度決定した自分の役目は降りることができないのだそうです。
その関係を続ける間は。
※この点、同意できません。嫌なら辞めたらイイじゃん。独りでやってけばイイじゃん。と思う私だからです。

そのためか、
こういう関係を「友だち」とは呼ばないようです。
いつものメンバー=「いつメン」と呼ぶそうです。
※この点、その通り! 君たちは正しい! と思います。

いつメンという社会の中で担わされた役目である自分のキャラを保持することばかりに意識を向けて暮らす。
そのために、
本来の自分のキャラを豊かにするための大切な時期が奪われているようでとても残念です。

さて、こうして、
いつメンの世界ばかりで暮らしていると、
いつメン以外の人間関係は別世界になるようです。

内と外。
仲間と他人。
しか存在しない感じで生きている子どもたちがとても多くなっているようです。

数人のいつメンのみが自分の関係者。
仲間。
自分が生きていられる世界。
いつメンのことだけ意識して生きていけば言い。生きていかねばならない。
他の人たちのことは考えなくていい。配慮も要らない。
赤の他人だから。
同級生とはいえ。
同じ地域の人とはいえ。
家族とはいえ。

だから、
いつメンの中で生きていくことが窮屈で、心が悲鳴を上げていたとしても、
独りで歯を食いしばって大きくなっていくしかない状況に追い込まれている子どもが多くいるようです。

だって、
いつメン以外の外の世界では、自分のことは赤の他人だから。誰も自分のことを構ってくれないから。
誰も自分のことを見ることはない。そこでは自分は透明人間だから。
だって自分が、今そうしてるから。

こんないつメンの関係は「縛り」と捉えてもイイかもしれません。
呪縛。
講演では、呪いについても語られました。
特に、ネットに代表されるところの、相手に対する「言葉=文字」の使い方が暴力的なんだそうです。

これにつき、内田樹さんの紹介があったので、氏の書籍から引用します。
ネット上に氾濫している攻撃的な言説のほとんどは僕の目には「呪い」に見 えます。
言葉によって、その言葉を向けられた人々の自由を奪い、活力を損な い、生命力を減殺することを目的としているのであれば、その言葉はどれほど 現代的な意匠をまとっていても、古代的な「呪詛」と機能は少しも変わらない。
われわれは今深々の「呪いの時代」に踏み込んでいる。このことの恐ろしさに ほとんどの人々はまだ気づいていない。

『現代人の祈り 呪いと祝い』(サンガ新書 p23 釈徹宗 内田樹 名越康文 サンガ 2011)

子ども同士で呪いをかけあっていて、お互いの呪いに縛られて生きている。
言葉が呪文となっている。

呪い。
子どもの苦しみを捉え直す新しい視点を持つことができました。

支援というのは、この呪いを解く手助けなのかもしれません。

そう思ったのでした。

  
タグ :呪詛言葉


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)研修受講