家族のことばかり考えている人は自分のことは後まわしの話

2020年03月29日

ケアラーというのは、ケアする人のことで、
ケアが必要な家族がいる場合、そのお世話をする人がこう呼ばれることがあります。

特に、親が病気やケガなどでケアが必要な場合、子どもがケアラーになります。

子どもは本来はケアを受ける立場なのですが、ままならないのですね。

回りの大人は、よくできた子ども、偉い子、賢い子、立派な子として、
子どもをケアする人としてつい見てしまいがち。

そのため、
あなたのことで何か私が力になれることはない?
とは、誰も尋ねない。
ケアが必要な人だと思わないから。
ってことはよく起こりそう。

そんなこんなだから、
子どももそんなもんだという認識になり、
気がつくと、自分の問題を横に置いてしまうことも少なくないようです。

そんなヤングケアラーは、
自分のことを誰かに相談するって発想は持たないかもしれません。

誰にも相談しない。

困っているのは、
手助けが必要なのは、

自分じゃなくて親・家族だし、
私よりも。

私はナントカできてるから。

そんな思いで。

でも、実際は、
抱えきれない難題を抱え、
背負わなくてもいい責任を負って、
重圧の中で暮らしている。
誰にも相談しないで。
助けを求めることを知らないままに。

相談していいんだよ。
あなたのことを誰かに。
そういうメッセージ(許可)が必要な人は多いようです。

ヤングケアラーの話でした。
  


聞こえないと発言しなくなるかもしれない話

2020年03月25日

聞こえの困難についての話です。

人が人の輪に入っていくのは、

その輪で話されている話題が分かっているとき、
例えば、自分の好きな芸能人の話題で盛り上がっているのが聞こえてきたとき、

あるいは、
入ってみて、すぐに話の内容が分かって、輪の中に溶け込めそうな予想がつくとき。

でしょうか。

いずれも、
人の輪で何が行われているかを聞き取れた(る)ときです。

聞けたから、話ができる。
話す気になる。

からかもしれません。

もし、
ちゃんと聞き取れなかったとしたら?

輪の中に入っていく気になるでしょうか?

周りが何を話しているか聞き取れないとき、
参加する気持ちは萎えます。

的外れなこと言って、みんなに迷惑かけるかもしれないしと、
発言を控えます。

都合、引っ込み思案になります。
じっと黙っていると怒っていると勘違いされそうなので、笑顔は絶やさないかもしれませんが。

その実、何が話されているのかはよく聞き取れていません。

聞こえの困難は、発話・参加の困難につながるように思えます。

もし、引っ込み思案、話し下手、声が小さいなどの発する困難を抱えているとしたら、
発する努力をするだけでなく、

聞こえの困難にも思いを寄せる必要があるかもしれません。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

読む聞く想像する力についての本を2冊読んだのでした。

2020年03月21日

ケーキの切れない非行少年たち (宮口幸治著 新潮社 2019)
https://www.shinchosha.co.jp/book/610820/
※出版社新潮社さんのサイトです。

を読んだのでした。

非行少年を例にして、社会で暮らしていくことがうまくできない理由、
他人の中でやっていくのにとても苦労する理由、
を、
読む力、聞く力、想像する力の視点から解説しています。

コグトレという3つの能力を高める練習プログラムも開発されています。
http://www.cog-tr.net/
コグトレ研究会のサイト

私聞風坊も試しにやってみたら、聞く力が弱いことに気づいたのでした。
音は聞き取れるのですが、何を言っているのかの理解が難しいタイプ。
そういえば子どもの頃、人の話がよく分かりませんでした。
復唱はできても、どうしたらいいか行動に移せない。

身動きできず固まることもしばしば。

聞こえに問題があった。
このことから別の情報を仕入れました。

APD(Auditory Processing Disorder)・聴覚情報処理障害です。

APDの理解と支援(小渕千絵・原島恒夫編著 学苑社 2016)
https://www.gakuensha.co.jp/40785.html
※出版社学苑社さんのサイトです。
聴覚自体には問題はないのに、聞き取りに困難を覚えるのですね。
騒音の中では会話しづらいとか、聞こえているのに内容が分からないとか。

いろいろ困難の形はあるのだなと思ったのでした。

ちなみにどうすればいいかは、
練習での機能アップと他の能力の助けを借りるのが基本みたいです。

私は、集中するために目をつぶって聞いたり、
図解したり、実際に動作をやってみたりしてます。


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)本の紹介

ひどい仕打ちに耐え抜いて権利を手にした人たちの英知の集積の本のご紹介

2020年03月17日

『当事者研究と専門知 生き延びるための知の再配置』(臨床心理学増刊第10号 2018 金剛出版)
についての感想記事です。

1960年代頃の昔、身体障害児は、医学モデルを基盤にした治療のような療養のような教育・しつけのような扱いを受けていたようです。
病院のような療養施設のような寄宿学校のような所に、親元から離されて住まわされ、身体と心の矯正を施されたようです。
医学的に正しいこととして。

精神障害児者についても同様で、
私宅監置を含め収用様の扱いを受けていたようです。

フツーと違う、
※この場合は、フツーの人ならできることができない
 
など、フツーより劣ると認定された人は、
今で言う人権などは適用されない扱いを受けていたようです。

その屈辱をバネにして、
フツーじゃない扱いをフツーにしてくる社会と闘って、

人間らしい暮らし、
人間らしい扱いをつかみ取ってきた、

当事者運動の先輩諸氏の実話がたくさん掲載されています。

命がけで、
医学と戦い、社会制度と戦い、人々の常識と戦い、
誰もが人として暮らしていける社会に一歩ずつ近づけていった軌跡です。

この先人たちの血と涙の経験の上に、
不十分とは言え、今の私たち当事者の人権を(比較的)尊重された暮らしがあるのだと再確認するのでした。

権威や常識により理不尽な扱いを受け、屈辱にあえいだままでいいのか?

それとも
人並みの暮らしを手にしたいのか?

当事者は常に問われています。

〈関連記事〉

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)本の紹介

日本人は怒りの表情に悲しみを感じるらしいという研究の話

2020年03月13日

佐藤弥・こころの未来研究センター特定准教授ら(京都大学 2019)による調査の結果が公表されています。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2018/190212_2.html

これによると、人の基本的な感情6種について、
アメリカの第一人者ポール・エクマン博士の研究とは少し違った結果になったようです。

まず、
日本人は、すべての基本感情について、おおむね控えめな感情表出つまり表情をするようです。

欧米の人の表情がオーバーな感じがするとは昔からよく言われていましたが、
客観的にもそうみたいです。

さらに興味を引くのは、
それぞれの感情には、他の感情も含まれている。
ように感じることです。

例えば
怒りの表情に、悲しみも感じるとか。
逆に怒りの表情に、悲しみを感じたり、中性(※無感情?)な印象を持ったり 

嫌悪の表情には、怒りと悲しみを感じるとか。
驚きの表情に、恐怖を感じるとか。

家庭内暴力の話では必ずと言っていいほど指摘されるのが、
怒りの暴力の裏にある悲しみ、寂しさです。

一次感情と呼ばれるこの心の奥の感情に触れることが問題の解決の肝と言われています。

この研究によると、
人は、表情からその人の心の奥の感情を感じ取れているようです。

と言うことは、
私たちは、日々出会う人たちの、
表面的な感情の奥の気持ちを思いやることができそうだということですね。

人間の感知力のすごさを再確認した思いです。
  
タグ :表情感情


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング