ひきこもり期間を一言で言うと

2019年12月13日

 ジェイソン・ボーンシリーズは私の好きな映画です。

 記憶をなくした主人公が、自分の出自を探っていく話です。

 ふと思いました。

 自分が、ひきこもっているときにやっていたのもこれだと。

 自分が、
 どんな風にして作られてきたかを確認する年月。

 ジェイソン・ボーンが
 CIAの秘密プログラムによって、どのように自分は作られてきたのか?

 何をされてきたのか?

 何をされずにきたのか?

 何をやってきたのか?

 何をやらかしてきたのか?

 何をやらずにきたのか?

 ぶつ切りの情報をひとつひとつつなぎ合わせて記憶を組み立てていく。

 それは新しい自分自身を手にしていく作業でもある。

 どんな風に自分は作られてきたか?

 親の希望に添って作られてきた。

 自分の希望に添って生きていくための年月。

 それが、
 ひきこもりから再度社会と関わりながら暮らすようになっていった期間。

 20年。

 ひきこもりの期間を自分のためにどのように使うか?

 私聞風坊は、
 自分再構築のために使ったのでした。

 こもる皆さん、お試しあれ。
  


不登校解決を子どもにばかり押しつけるのは無責任

2019年12月09日

適応障害。と言う病名があります。

 学校や職場や友だち関係や
ときに家庭に適応できないことで起きるとされています。

 環境に適応できないことで、
心や身体にひどい苦痛が生じているのですね。

 そのため快復には、
環境を変えることと、環境に適応できるようになることの
どちらか、またはどちらもやることが一般的です。

 現在、
 不登校は、学校に適応できない子どもが悪いので、
適応するように子どもを変えるのが基本路線みたいです。

 登校支援、登校刺激として、とにかく学校に行かせよう、来させようとしますね。

適応を指導する教室に通うことも定番です。

 子どもが適応できるよう子どもに対して教育するのです。

 他人(社会)の中でもやっていけるように、
やっていき方を教えるという意味で適応指導するのはとても大事です。
やり方が分からないばかりに、やっていけない苦痛を味わう事がなくなるからです。

 ただし、その他人が悪でないこと。
または、社会通念上人間がやっていける環境であること。
 が大前提です。

 耳をつんざくほどの大轟音の環境に適応させようとするのはおかしい。
侮蔑と非難と怒号が渦巻く人の中に適応させようとするのも同様です。

 苦痛にあえぐ人、苦悩を抱える人にばかり変化を強要しても事態は変わらない。
と言うか悪化する。

 どちらにどんな風にどれほど変化を求めれば適応できるか?
先入観を捨てた、客観的な見立てがとても大事です。

※とはいえ、令和元年からは登校のみを目標としない。という方針になったようです。
 これが当たり前になるにはもう少し時間がかかりそうです。
文科省サイト
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422155.htm
  


頑張りたい人は頑張りを感じるために邪魔する何かを頑張って調達する話

2019年12月05日

 世の中、

 頑張ることはいいことだ!

 として、何でもかんでも頑張ろうとする人がいます。

 頑張らないとやった気がしない。

 充実感がない。

 何かを成し遂げたとしても、達成感がない。

 時に、楽しちゃ悪い気がするから頑張る。
 みたいな場合も。

 とにかく頑張る。

 目的は頑張ること。

 さて、頑張るためには、困難が必要です。

 困難を乗り越えて、達成する。

 または、達成しなくてもいい。

 このどちらでも、頑張りが感じられる。

 だから、頑張るためには困難が必要なんです。

 だから、頑張りを感じるために、頑張るためには、事態を困難にする必要があります。

 いたずらに、厳しい道を歩む。

 うまくいきそうな展開の邪魔となりそうなことをあえて考える。

 あえて設定する。

 決して楽に、

 楽観的に物事を考えない。

 じゃないと頑張ることにならないから。

 頑張りを感じられないから。

 邪魔、困難が、必要なんです。
 頑張りたい人には。

 こうして、
 やりがいを持って暮らしていければいいのですが、
 問題は、こういう風に考えてしまって、身動きがとれなくなってしまった場合です。

 何かしようとすると、いろいろ邪魔になることを考えてしまい何もできなくなってしまう。

 例えば、病院に行けば楽になれると分かっているのに、病院が休みだったらとか、先生が怖かったらとか、通院するバスの中で嫌なめに会いそうだとか、いろいろ邪魔することを考えてしまい、結局望んだ通院ができなくなってしまう場合です。

 そんなときは、頑張らずに、なにも考えずに、ただ行動する。

 物足りないかもしれないけど。

 ただやる。

 そうして目的を達する。

 そんな心がけが大事に思えます。 

 頑張りたい人は、意地でも困難を設定するという話でした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(3)心理・カウンセリング

30歳でシナリオが終わった話

2019年12月01日

最近、人生設計という視点から、改めて自分の半生を振り返ったところ、

30歳になったら実家に戻ってケリをつけよう!

そう思ってたのでした。

ケリをつけるために30年間準備して、

あらゆる(やりたい)ことを先送りして、

親子関係にケリをつける準備に費やし、

生きてきたのでした。

そうして親と勝負!

見事惨敗!

こうして私の30歳で勝つか負けるかはっきりケリをつける人生は終わりを迎えました。

これ、TA・交流分析の根幹理論の脚本で言うと、

脚本を達成したとも考えられます。

脚本成就!
見事にその通り!

ところが、
その先のシナリオはありません。

死ぬまでのシナリオを書いていないからです。

結末のない・オープンエンドと呼ばれる脚本のパターンです。

だから、
その後の20年は、まさに生まれ変わりの日々でした。

ノーシナリオ。
アドリブの連続。

詳しくは拙著やこのブログに記してあります。

それは、新しい人生をどう生きるか?

その後をどう生きるか?

残された人生をどう生きるか?

脚本が終わった後どう生きるか?

と言うことです。

脚本が終わり、
どうしようもなくなってこもり始めてからの期間。

布団の中で小さく縮こまって泣いていたあの頃から、
自分の好きな仕事に就くまでの日々は、

確かに、
赤ちゃんから大人になっていく過程をたどった20年でした。