一年のご愛顧御礼申し上げます。

2019年12月31日

今年も一年、当ブログにおいで下さいましてありがとうございます。

心から御礼申し上げます。

皆さまにおかれましては、来年が幸いをたくさん感じられます年でありますように。

お祈り申し上げます。

聞風坊

令和元年12月31日 大晦日
(2019/12/31)

  


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1件1件は正しいことだけど、全体をまとめると困ったことになる話。

2019年12月29日

 社会からひきこもっている人たちは、

 おおよそ、

 社会のことを

 悲観的、批判的、否定的に捉え、

 非難し、避難しています。

 もっと希望が持てれば、もっと公正であれば、もっと受容的であれば、

 出て行けるのに。

 なんて思いながら。

 そんな人たちだから、

 社会の悪や、ひどさや、不条理や、危険性や、加害性を
 指摘する情報に触れたら、


 とっても、敏感に反応しがち。

 事故が起きると、何度も何度も被害状況が報じられ、

 事件が起きると、犯罪の様子の再現が繰り返され、

 犯人を糾弾する論調が吹き荒れることが多くなっています。

 テレビやラジオや新聞などの既存のマスメディアの他に

 SNSやブログで。

 もはや国民全員が放送局のように、

 簡単に情報を発信しできるようになっているからですね。

 
 さて、
 ここで気になることがあります。
 
 社会の害になってそうな気になることを、

 社会に知らせ、注意するよう訴えるのは、

 おおよそ社会の役に立ちます。

 例えば、
 あそこの道路に穴が空いている。気をつけよう!

 みたく。

 ところが、

 この情報が、誰も彼もから発信され、メディアにあふれたとしたら、

 受け手はどんな思いになるでしょう?

 特に不安強くこもっている人たちは?

 世界中が穴ぼこだらけのような感覚を持ちそうな気がします。

 これが、もし、

 人に原因がある出来事だとしたら。

 犯人がいたとしたら?

 あそこの学校でいじめがあった。

 あの家で犯罪が起きた。

 それだけで緊張が高まります。

 その上さらに、

 出来事の原因を探り、犯人を探り、

 悪人をあぶり出し、

 正義を果たそうと糾弾する情報の嵐に出会ったら?

 自分が犯人になり、

 自分が悪人になり、

 悪事の原因にされ、

 糾弾される恐怖を味わいそう。

 
 世の中には、合成の誤謬(ごびゅう)と呼ばれる事態が起きることがあるそうです。

 一つ一つの行為は適切で正しいけど、多くの人がそれをやってしまうと、全体として望ましくない結果になることです。

 余分な支出をしないようにと国民全員が一人一人の財布のひもを締めると、国全体の経済がしぼんでしまい、結果として一人一人の暮らしがきつくなる。と言う風に。

 悪を暴き不正を正し、悪事を働いた人を糾弾すること事態は、社会のために役立つのかもしれません。

 でも1件1件(の悪事を正すこと)は正しく適切なことだけど、全体として、誰か(自分が気に入らない人)を糾弾する風潮が蔓延する社会になったとしたら?

 社会全体が、悪を暴き悪人を糾弾するために、鵜の目鷹の目で暮らすようになったとしたら?

 事実として悪を為したか、
 または風評によって悪を為したとされたかのいずれかだとしても、

 悪人認定されたら、その人をとことんまで叩いていい。
 それが許され、正しいとされる世の中になったとしたら?

 およそ、
 ひきこもる人は、社会から害を受けた、優しくされなかったとの思いを持つ人は少なくありません。

 悪人評定されたら誰でもとことんまで糾弾していい風潮は、
 そんな人たちに復讐のチャンスを与えることになるかもしれません。

 正当に人を害していいチャンス。

 相手は悪人認定されているから。

 自分がされたことを仕返す。

 それは正しいこととされている。

 なぜなら、メディアを通して世間が当たり前のようにやっているから。

 こもる人だけの話に限らず、

 この1年、
 世界中の人々の意識が、そんな合成の誤謬状態になりそうでとても心配な日々を送っているのでした。

 
   
タグ :合成の誤謬


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

子どもを利用する親とそんな親を利用する子どもの話

2019年12月25日

 親の子どもの利用法。

 跡取り。つまり自分たちの保全。

 自分たちの面倒をみる。

 手下。

 気持ちのはけ口。



 そのために子どもを作った。


 ならば、こちらも親を利用させてもらう。
 それでイーブン。

 子どもの親の利用法。
 唯一。

 自分を養う。
 ※生きさせる。


 そのための約束事。

 ヒドい仕打ちをしていい。


 この契約の終わり。

 どちらかが終わりを言い出したとき。


 愛情で結ばれていない親子。

 利害関係でのみの親子。

 利用価値があるならば親子。

 なくなったら契約解消。関係消滅。
 緊張感ある親子関係。
 安らぎのない親子関係。

 お互いに利用し合って数十年。

 子どもがこの契約の終わりを告げた。

 ひきこもることで。


 自分の原罪感の根源が親しい人を利用することだと知った。

  


つまらないものですが。の意味が分かった話

2019年12月21日

つまらないものですが。
社交辞令にあります。

あなたにとってはつまらないものですが、私は心を込めて贈ります。

きっとあなたは、けなすでしょうが、私はあなたに贈ります。

ひょっとしたらうち捨てるかもしれません。それでも私は贈ります。

私の気持ちに従って。

これは、

親があまりにも自分の今の気持ちに正直で、

おかげで子どもの気持ちに疎く、平気で傷つけることが1日中であり、

それは子どもが幼い頃から大人になっても変わらず続いている場合に、

子どもが親への贈り物をする際の気持ちです。


一般的な社交辞令として「つまらないものですが」と言う場合、

それは、相手が実は喜んでいる場合がほとんど。

相手は、もらったものをつまらないものだと思うことはまずありません。

たといもらって困るものでも、それを自分に贈ってくれたという行為自体は喜ばしいので、
相手の気持ちを忖度して、ありがとうと喜ぶ場合がほぼ100%。

なので、
なんで自分が心を込めて贈るものをつまらないなんて言うんだろう?
なんて疑問をもつことがあります。

ところが、
自分がつまらないと思ったので、
「あんたの贈り物はつまらない」と子どもに言ってのける親を持っている場合、
この疑問を持つ必要はありません。

つまらないからつまらないと言ってのける。
社交辞令なしのとても正直な親だから。

あぁ、本気でつまらないと思ってるんだ。
として親の本音がはっきり分かります。

そんな親であっても、何かを贈りたくなる子ども。


あなたにとっては本当に心底つまらないものでしょうが、
私は心を込めて贈ります。

受け取らなくてもかまいません。
私は私の気持ちに従います。

こんな風に、
悲しい気持ちを抱えながら、親に贈り物をする子どもは少なくないようです。
  


家族が社会化しすぎるとまずいように思う話

2019年12月17日

 社会のことを考えて、自分の行動を律する。

 相手のことを思いやって、してはならないことをせず、すべきことをやる。

 自分の、欲求を少し抑えて。

 こんなのを社会化するとか、

 社会性があるとか言うようです。

 社会で受け入れられるような言動をする。ってことですね。

 望ましい行動なんて言われることもあります。

 さて、
 こもる人の家族は、世間体を気にする。

 とよく言われます。

 社会的に正しいことをしていない自分の子ども兄弟姉妹を

 恥ずかしいと思い、望ましくないと思うのです。

 社会を軸にした考え方。
 で、家族の有り様を決めています。

 社会を基準にした家族のあり方。
 ですね。

 社会が一番優先。

 社会のために生きる。

 そんな気持ちもあるかもしれません。

 それは大切な生き方です。

 同時に、自分たちのことを軽んじるリスクをはらんでいます。

 社会よりも家族のことを優先する。

 そんな場合は必ずあるでしょう。

 家族が痛みを抱えているときです。

 そのときにも、社会のことを優先するとしたら、

 社会を軸にした考え、言動だとしたら、

 家族の痛みはいやまし、

 家族の傷は深まるばかり。

 人様に顔向けができないという恥の感覚を持つから。
 または、
 社会のお役に立てれば幸いだから。

 社会を優先する暮らしをする。

 それによって、家族が後回しにならないように、

 いつも気をつけねばならないなと思ったのでした。