聞風坊が支援者にかみついた歴史の話

2019年04月05日

 ひきこもり支援関連で、

 それはおかしい!

 と思うと、率直に文句を言う聞風坊です。

 もちろん、こうしてほしいという要望も添えて。

 基本文章で。
 時にその場で口頭で。

 その歴史を少しばかり記します。

 「当事者」に文句を言う

 こもって、よし! にも書いたと思いますが、「当事者」という呼び名がどうにも気に入りませんでした。

 「当事者」」は、
 「家族」「親」「兄弟姉妹」「親戚」「学校の先生」「医師」「支援者」「近所の人」

 のように、「その人」の立場を明確にするものとして使われる言葉ですが、

 これを、親・家族が平気で使うことにものすごく怒りを覚えたのです。

 自分の息子、娘、兄弟姉妹を、「当事者」と呼ぶときの、

 冷たく突き放したあの感じ。

 愛情のかけらも感じられない。

 思いやりの片鱗すら見えない。

 私は「当事者」ではない。
 息子や娘や兄弟姉妹の問題とは関係ない。
 悪いのは息子や娘や兄弟姉妹だからだ。

 私たちは「当事者」ではない。
 関係ない。
 
 親・家族・支援者と関わるときに、そんな印象をたくさんたくさん持ちました。

 思いました。
 この言葉には愛がない。

 だから、かみつきました。

 日本語には「その人」を指す別の言葉があります。

 「本人」または「当人」などなど。

 私は「本人」を主張しました。

 その人は当事者ですか? えぇ、当事者です。

 その人は本人ですか? えぇ、本人です。

 言い換えても全く問題ありません。実証済みです。

 現在、
 ひきこもり界では、「当事者」という呼称は減ってきたようです。
 少なくともこの表現に問題があることを知っている人が増えたようです。
 
 この項続く。次回は「待て」  
タグ :当事者


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(2)ひきこもる