ひきこもり100万人の調査結果について

2019年04月30日

 平成30年度「生活状況に関する調査」が平成30年の12月に実施されて、

 40~64才までのひきこもり状態の人と推計数が61.3万人と出ました。

 15~39才までが対象の平成27年度調査では、ひきこもり状態の人は54.1万人なので、

 合計すると、日本国内では115.4万人がひきこもり状態にあると推計されるとなりました。
 https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/life/h30/pdf/kekka_gaiyo.pdf


 さて、
 ひきこもり状態になる原因、いきさつは、人それぞれ(「ひきこもりガイドライン」(H22))です。

 と言うことは、
 115万人強のひきこもり状態にある人々は、

 115万通りのいきさつがあり、こもり方があるとなります。

 だから、
 当事者活動がなじむ人なじまない人。

 医療が効果がある人ない人。

 ゲームが好きな人そうでない人。

 認知行動療法が効果がある人ない人。

 精神分析が効果がある人ない人。

 カウンセリングが効果がある人ない人。

 発達障害特性が強い人そうでない人。

 トラウマ体験の影響が大きい人そうでない人。

 就労支援が必要な人そうでない人。

 学校に行きたい人行きたくない人。

 待つのがいい人そうでない人。

 登校刺激があった方がいい人そうでない人。

 極めて多様と思われます。

 だから、どう関わればいいかについては、

 関わる人が自分のやり方を批判的に、冷静になって、

 常に謙虚さを持つ必要があると思います。

 同様に、こもる人自身も。

 おもに人との関わりなどの好まないことを避け続ける今の自分のやり方は、
 自分のためになっているか?

 害の方が多くないか?

 ちょくちょく見直す必要があるでしょう。

 ひきこもりは100万人いるとは20年前からひきこもり界では指摘されていました。

 国の調査によってそれが裏付けられました。

 日本では、
 政令指定の大都市一つ分の人たちがこもっていることになります。

 私たちは、ひきこもりが大きな問題であることを今一度認識する必要があるようです。

※宮崎県も県内調査を行って結果が公表されました。これについては、次回記事にて考えてみます。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

支援者にかみついた話 番外編。

2019年04月25日

 普段はわりかし温厚なのだけども、どうにも辛抱たまらんときは、かみつく聞風坊の、

 支援者にかみついた歴史の番外編。

 かみついちゃいないけど、かみつく用意はしているよ編です。

 何にかみつこうとしているのかというと、
 
 「虐待の連鎖」
 「暴力の世代間連鎖」

 です。

 子どもの頃に虐待を受けて大人になった人は、虐待を繰り返しやすい。
 暴力を受けて大人になった人は、暴力を振るいやすい。

 だから、虐待やDVやいじめなどの暴力を予防しなければならない。
 という文脈でフツーによく常識的に当たり前に使われるのですが、
 
 これ、問題あるんです。

 虐待被害者を加害者予備軍にしちゃってるからです。

 すでにもうたくさん被害に遭っている人に、
 さらにこの先将来についても、
 あなたは有害なことをする可能性が極めて高い人だと予言しているからです。
 虐待予防や虐待ケアなどの立場にある支援者が、
 過去も未来もイイことない人生を送る運命にあるといっているも同じ。

 それは、
 虐待予防や虐待ケアなどの立場にある支援者が、
 虐待被害者に対して暴力をふるっていることになります。
 まだ、暴力していないにも関わらず、犯罪者扱いしているからです。

 暴力は連鎖する。
 この情報を知っている虐待児童だった大人は少なくありません。

 自分から望んで経験したわけではない暴力行為・暴力パターンを記憶・学習してしまっているがために、
 自分の中の暴力性に悩み、自分の可能性としての暴力性に恐怖や嫌悪を感じ、

 罪責感を背負って、ごめんなさいの気持ちで暮らしている大人は少なくないようです。

 それは、
 お前が悪いから暴力をふるわれるのだ、
 暴力をふるうのはお前のせいだ、
 反省しなさい、言うことを聞きなさい、ゴメンナサイの気持ちで生きて生きなさい、
 などと、
 虐待加害者が常に強要してきた姿勢でもあるでしょう。

 大人になった今は、もう虐待加害は受けていないかもしれません。
 でも、連鎖の情報に触れるたびに、
 社会から害を受けているも同様なことになってるように思われます。
 かつて加害者から受けたように。

 虐待や暴力に反対する熱い気持ちの支援者に限って、熱く口にする言葉

 「虐待の連鎖」
 「暴力の世代間連鎖」

 この行為自体が暴力となり得ることを、いつか支援者にどのような形でか、かみつきたいと思っているのでした。
  
タグ :暴力の連鎖


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(5)ひきこもる不登校

支援者にかみついた話 その4

2019年04月20日

 普段はわりかし温厚なのだけども、どうにも辛抱たまらんときは、かみつく聞風坊の、

 支援者にかみついた歴史の最後です。

 会議の場で支援者にかみついたことが幾度もあります。

 たいがい、こもる本人たちの都合を無視して、自分たちの都合でだけ話を進めているにもかかわらず、

 本人たちに寄り添っている勘違いを平気でやっている勘違い支援者の会議の場。
 
 の時です。

 なかでも、
 自己肯定感が低く、人見知りが激しく、だからとっても世話が焼ける。

 まるで大きな子どもみたいな当事者たち。

 を、傷つけないように傷つかないように、

 自己肯定感が高まるように、寄り添うのだから、

 自分たちは、大きな心で、大きな大人として、寄り添い、導き、温かい目で見守る。

 優しい親のように。

 という姿勢が、私の逆鱗に触れたことがありました。

 なんて偽善でしょう!

 裏を返せば、自分たちは正しく、自分たちは力強く、自分たちはよく社会適応できており、

 あの子たちは、間違っているわけじゃないけど自分たちみたく正しいわけじゃなく、

 力不足能力不足で、うまく社会でやっていけない、

 未熟者。能力の低い者。愚かな者。
 自分たちより下の者。
 みたいな腹の内を感じ取ったからです。

 さて、
 ひきこもり支援のモデル解説の際、
 必ず出てくるステップアップの図があります。
 
 階段状で細かいステップを丁寧に踏んで自立に至るモデルなのですが、

 その一番下に置かれているのがこもる人なんです。

 そして、
 一番上にいるのが支援者などの社会人。
 時に通学している児童生徒学生(=不登校じゃない児童生徒学生)

 まさに、
 上から目線の支援の傲慢さが一目瞭然な図なんです。

 自分たちは上位にいて、ノブレスオブリージ的に下位の者に心を配る。

 このうわべの優しさにムカついたのでした。

 対等平等でも支援はできます。

 むしろそうでなければひきこもり支援は成り立ちません。

 だから、
 偽善な傲慢な支援については、これからもかみついていくでしょう。

 この項、終わり。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる不登校

支援者にかみついた歴史 その3

2019年04月15日

 支援者や支援法にかみついた歴史の3です。

 今回は、自己○○感などの自己評価が低いことについての支援者の姿勢についてです。

 一番有名なのは自己肯定感でしょうか。

 自己有用感、自己効力感
 というのもあります。

 関連で、
 自尊感情
 自己評価
 自信

 があります。

 自分をOKだと思う。
 自分を認めている。
 自分を受け入れている。

 などの指標として使われてるようですが、

 この指標の使い方にかみついたのです。

 これらが低いからいろいろ問題行動してる。
 これらが低いためにあんなことになった、こんな風になった。
 だからこうやって高める。
 という使い方にです。

 例えば、
 自己肯定感が低いことが不登校の原因なので、
 自己肯定感をあげれば不登校は解決する。
 ゆえに、自己肯定感を高めるために、ほめる。

 あるいは、
 自信がないことが社会参加を邪魔しているので、
 自信が付けが社会に参加する。
 ゆえに、自信をつけるために、得意なものを発表しよう。
 そしてみんなから褒められよう。

 それで肯定感や自信がつく人はそれでいいんです。

 問題は、
 こもっている人のほとんどは、それぐらいじゃ効果がないこと。
 逆に、
 自分のできなさ加減を味わってしまうかもしれないこと。
 なんです。

 褒めるなどのプラスの評価を受けて、
 それで肯定感とかが溜まっていけばいいのですが、

 溜まっていかない人がいるのです。
 こもる人の多くに。

 まるで、
 底が割れている感じ。
 褒めても褒めてもOKな感じが増えていかない。
 
 そうならないのは、褒めが足りないからと、今以上に褒める。
 もはや、子ども扱い。
 上手に絵が描けたね~。

 それでまた自尊感情が削られる。

 そんなことに陥ってる懸念を持っています。

 自己○○感などの自己評価が不足しているとして、それを高めるために躍起になる支援者。
 それを一番のターゲットにしている支援者。

 にかみついていた。
 今もかみついている。
 のでした。

 この項続く。次回は「リアルに支援者にかみついた話」
  
タグ :肯定感


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支援者にかみついた歴史 その2

2019年04月10日

 聞風坊が支援法にかみついた歴史を記すシリーズの2です。

 今回は「待て」

 不登校界でよく言われていました。今でもそうなのかしら。

 焦らず待て。

 今は待て。

 学校に行くのを待て。

 社会に出るのを待て。

 やんや言わずに待て。
 
 本人が動き出すまで待て。

 とにかく待て。

 いつまでも待て。

 やっぱり待て。

 何があっても待て。

 20年近く前、
 私が不登校界に触れたときは、そんな雰囲気すらありました。

 でも私は知っています。
 いつまで待っても変わらない事態があることを。

 8050問題みたく。

 親が80歳になって、健康を害していて、本人も50歳になって同じく健康良好じゃないであろうに。
 それでも待て。

 そんなのありえません。

 「待て」
 を薦めた偉い先生方は、
 自分たちが「待て」を勧めた結果責任をとるのでしょうか?

 いいえとりません。
 だってとれませんもの。

 偉い先生方の言葉に従い、
 待ちつづけたのは家族や本人だからです。

 行動に責任が伴うの理屈で、
 待ち続けた責任は、家族と本人にあります。
 偉い先生方には責任なし関係なしとなってしまうからです。
 
 別に強要したわけじゃないし、選択したのは自己責任だし。
 家族が待つって言うんだし。本人も待ってと言ってるし。
 そんな言い草すらも聞こえてきそう。

 偉い先生方や、支援者のアドバイスを真に受けた
 しわ寄せはいつも従順な家族・本人が引き受けます。

 そんな偉い先生方や支援者の無責任な姿勢にかみつきました。
 基本的に文章で。
 時に、「いつまで待ちます?」と質問する形で。

この項続く。次回は「自己○○感」
  
タグ :待て


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