2018年07月30日

眠れないのは考えることに喜びを感じるからかもしれない話

 夜の眠りの困難は、

 寝入りの悪さと、ちょこちょこ目覚めるのと、早すぎる目覚め。

 により、まとまった睡眠が取れずに、

 疲労回復のための休息と、

 日中に傷めた身体のあちこちの細胞の修復

 の時間が十分に取れずに、

 疲れて傷んだ状態で日中活動をしないとならない状況をもたらします。

 余裕のない状態で日中活動をするので、活動のパフォーマンスは高くなく、

 心と身体への大きな負担となります。

 そんな眠りの困難ですが、

 今回は、寝ようとするといろいろ考えてしまい、目を閉じて2~3時間たってもまだ眠りに入らないことについてのひらめきの記事です。

 今日一日のことを考えて、
 明日やることを考えて、
 気になるあのことを考えて、
 考えが考えを呼んで、

 気がつくと床についたときより目が覚めてきた!

 なんて状態のときのことです。

 この状態のとき、どんな気持ちでしょう?

 落ち込み、
 焦り、
 不安、
 怒り、
 ・・・

 いろいろあるでしょうが、存外、

 気が高ぶっているようです。

 考えずにいられないそわそわ感、

 考えないなんてあり得ない!

 もっともっと考えたい!

 やる気満々!

 周囲が静かになり、一人自分の時間が確保され、思う存分考えることに時間が使える!

 ワクワク感!

 ある意味喜び。

 嫌なことが多いかもしれませんが、

 日中はいろいろやることがあって落ち着いて考えることができなかった。

 今この時なら望むほどできる!

 ヤッホー!

 な感じも強いようです。

 脳内ホルモンとして有名なドパミンという物質があります。

 これが分泌されると、
 快感を感じるのだそうです。
 そして意欲や思考力が高まる。

 床につくと、このドパミンがドパーッと脳内に出まくってるのかもしれないぞ。

 眠るより考えることの方に喜びを感じているようだ。

 そういえば、心臓もドキドキしてるし。

 こりゃ眠れないわ。

 ある晩、経験的にそう思ったのでした。まさに床について考えている最中!


 この気づきを得たので、

 メモでもして明日考えよう。

 楽しいことは明日時間をとって考えよう。

 今は眠ろう。

 呼吸をカウントして。

 なんてやると、寝入りやすくなりました。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年07月25日

人の存在価値には差があると思った話

 あらゆる人に、この世に存在する価値があるというのは、誰しもが共有する価値観だと思います。
 ※実感のあるなしは別として、「まぁ、そう言われているからそうなんだろうな」と思う人も含めて。

 それを踏まえた上で、価値には大小の違いがあると思ったのです。

 単純な話、
 大統領と一般人では影響力の差があります。

 両者の言動によって、影響を受ける国の数、人の数がだいぶ違います。

 そういうことから、大統領の方に価値が大きいと思われます。

 ※ちなみに、一般人が大統領になると価値が増大しますね。
 これができるのが民主主義。

 身近な話、
 大事な人だからあの人にいてほしい。

 と思うとき、その理由はなんでしょう?

 私たちにいい影響を与えるからと言う理由は大きいと思います。

 どうも私たちの考え方では、

 社会的な影響度が人の価値の大小に直結しているようです。

 私たちが社会的な生き物で、社会をとっても大事にするからなのでしょう。

 都合、
 社会の役に立たない人の価値は小さくなります。

 こう考えると、
 人は社会の役に立ってない感覚を持っていると、自分の価値を小さく感じることになります。
 なかには、ほぼゼロと感じている人もいるでしょう。

 価値はあります。大小の差があるのです。実感として感じているのです。

 そのため、自分の価値を上げるには社会に役立つ存在になることが必要です。

 それは、社会の要望に応えると言うことです。
 自分の思いを横に置いて。

 親、教師、友人、会社、地域住民、みんなの役に立てば立つほど自分の価値は上がります。

 必死に頑張ります。
 自分のことを差し置いて。
 
 もし、
 限界が来て、頑張れなくなったとき、自分の価値は小さいままで社会から取り残される。

 そんな思いでいる人は少なくないでしょう。

 そこから自分の価値を大きくするには、
 なにかしら社会的な役目を果たすとなるでしょうか。

 役立ち感は価値がある感に直結しているようです。

 役立ち感。それは、

 路上掃除でもいい。
 家事をやるでもいい。
 健康になるでもいい。健康な姿を周囲に見せるでもいい。健康法を伝えるでもいい。

 
 社会的な価値と人(自分)の価値の大小についての話でした。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと

2018年07月20日

支援者に必要なのは想像力だと思うのです。

 人を支え、手助けする人。

 それを支援者と呼ぶならば、

 支援者に必須の要件は、

 想像力だと思います。

 相手の立場、

 状況、

 可能性、

 苦痛、

 考え方、

 傷み、

 気持ち、

 責務、

 権利、

 等々への。

 さて、
 支援者は、以下のような対応をよくやります。

 若いのだから未来は明るいよと励ます。

 40代でも仕事はありますよと希望を持たせる。

 学校は楽しいよと登校を誘う。

 ひきこもりはPCが得意だから、PCを基軸とした就労支援をする。

 不登校は学校が嫌いだから学校に行かないですむ社会にする。

 ニートは自己肯定感が低いからとにかくほめる。

 野良犬に噛まれたようなものだと思って過去を忘れて生きるように支援する。

 自分を大切にしていないからと、命の大切さを説く。

 支援者は、
 自分たちのこれまでの人生をもとにして、自分たちのが苦労や頑張りが報われたからといって、

 その人がその職に就けるかどうかが分からないのに、

 自分たちが、学校では嫌なことやつらいこともあったけど全体的に楽しかったから、
 
 自分がPCが役立つと思っているから、
 PC得意じゃない、否、持ったこともないこもる人は多いだろうに、

 自分が学校嫌いだからといって、
 相手は学校嫌いじゃないかもしれないのに、
 むしろ行きたいのかもしれないのに、
 そして、
 学校に行かないですむ社会はいつ実現するかも分からないのに、

 対人支援のブームが自己肯定感を高めるためにほめることだからといって、
 ほめられるとむなしくなることも多いのに、
 上手に折り紙ができたところで仕事につながらないのに、

 相手の様子が痛々しいからといって、
 簡単に忘れられたら20年前から楽に暮らせてるのに、

 自分の命をぞんざいに扱われているのに、

 ありきたりな関わり方をさも当然に、
 自分たちがゆるぎなく正しいとして、

 自分たちの貧しい想像力をもとに、
 支援を組み立てるのはナンセンスです。

 想像しましょう。

 そうしてその人に会った支援の仕方を創造しましょう。
  


2018年07月15日

トラウマからの回復は主体性の回復のように思える話

 人間というか哺乳類は、そもそもトラウマを負わないようになっているみたいです。

 危険に遭遇したら、

 自分の心と身体を瞬時に危険対処モードに切り替えて、

 危険・脅威に対して、闘うか回避するか、降参するか

 して、

 危険・脅威がなくなったら、

 つまり安全になったら、

 心と身体の状態を
 
 普段のモードに切り替えるんです。

 その時、身体を震わせたり、泣いたりして

 身体に溜まった安全な生活を送るのには不必要な危機対応エネルギーを放散して。

 スッキリした気持ちになる。

 安全を確認して。
 安心感を得て。
 気持ちを切り替えて。

 日常を生きる。

 こんな順序。

 トラウマって、このプロセスの最後の方が十分にできていないときに負うようなんです。

 闘うにしても、回避するにしても、降参するにしても、
 主導権は危険・脅威が持っています。

 私たちはやむなく闘ったり、回避したり、降参したりします。
 
 危険や脅威がなくなるまで。

 いつどのタイミングでなくなるかは危険や脅威次第。

 自分では決められません。
 一貫して受動的。

 この受動的な状態の、
 この段階でプロセスが止まったままだと、トラウマを負ってしまうようなんです。 

 だから、
 トラウマを負わないためには、
 傷を癒すためには、

 今の危険や脅威がなくなったら、
 一時的に弱まった自分の能動性を強める作業が必要になるんです。

 このとき確認すべきことは、

 私たちは、
 圧倒的な脅威の下であっても、自分の力を最大限発揮し闘い、回避し、降参しているってこと。

 私たちは、
 危険や脅威に圧倒されながらも精一杯自分の力を発揮して、自分を守っているってことです。

 そうして、
 そもそも自分は自ら能動的に危険・脅威に対処していたんだ。

 そうして今の安全を手にしたんだ。

 スゴいゾ自分! という自信と、

 もう今は安全だ。
 自分の力で、安全を確保したんだ。

 あの恐ろしい状況はもう過去のものなんだ。
 今じゃない。

 今は安全だ。よく考えると楽しみや安らぐときもあるじゃない。

 と、
 武者震いや涙や安堵を経験するなどして、
 その時最後までやれなかったプロセスをやり遂げ、

 危険・脅威に蹴りをいれて、
 またはケリをつけて、

 今これからを生きていくんです。

 主体的に、

 能動的に、

 ちょっとした自信とともに、

 自分の生きる時間、
 自分の暮らしを自分の手に取り戻すのです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

2018年07月10日

自信を持って逃げているかが大事な気がする話

 恐ろしいことに対する人間の反応は、

 闘争か逃走か降参か。の3種と言われています。

 恐ろしいこと、

 問題、

 難問、

 嫌なこと、

 めんどくさいこと

 に、

 立ち向かうか

 立ち去るか

 立ち止まるか

 して平和と安全になろうとするのですね。

 この時大事なのは、

 自ら立ち向かい、
 
 または
 自ら立ち去り、

 あるいは、
 自ら立ち止まって悪い事が過ぎゆくのを待つ、

 かどうかと言うこと。

 望まないのに立ち向かったり、
 
 心残りがあるのに立ち去ったり、
 
 どうしようもなくなってその場に留まったり、

 すると、

 心は傷むようです。

 だから、
 納得して
 立ち向かう、

 立ち去る、

 立ち止まる
 必要があるのです。

 立ち去ることは逃げることで恥ずかしいこと。
 と、言うそう珍しくない考え方があります。

 闘うか、居残るかして問題解決を図ることがいいとされやすいですね。

 でも、立ち去って再起を図るという効果的な方法は、昔から多くの人が採用しています。

 引き際が肝心とも言われています。

 危険から立ち去ることは自然です。

 適切に逃げることはとても重要なんです。

 世の中でやっていく選択肢としていつもしっかり持っていることは大事です。


 立ち去ることは、 
 

  
タグ :逃走撤退


2018年07月08日

【告知】自閉症とADHDの特性と支援についての研修あります

みやざき子どもサポートリンク
https://miyazaki-c-s.com/
さんが、

宮崎県中央発達障がい者支援センター長 水野敦之 氏を招いて

「自閉症とADHDの特性と支援・環境設定」
と題して、

2018(H30)年9月9日(日) 10~16時30分
清武文化会館にて
研修会を実施します。

自閉症・ADHDの特性を持つ子ども達の保護者、学校幼稚園等の先生、福祉サービスの支援者の、
最初の基礎的な研修として実施されるようです。

定員60名先着順
参加費は 一般が5,000円 会員が2,500円です。

ご関心ある方は、どうぞのお申込を。

チラシ↓


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)告知

2018年07月05日

親からの自立は身を切る覚悟がいるかもしれない話

 親からの自立。

 という考え方があります。

 それまで親の保護のもとに生活していたけど、

 これからは自分で自分を保護しながら生きていく。

 ときに親を頼り、甘え、

 ときに親を保護しながら。

 自立のイメージって、こんな感じでしょうか。

 具体的には、

 経済的自立と心理的自立

 なんて言われること。

 自分で働いて収入を得て、日々の暮らしをまかなっていく。

 これが経済的自立。

 こもる人やニートの親の人がよく口にする自立はこれですね。
 とにかく働いてほしい。切なる願い。

 一方の心理的自立は、

 気持ちの上で親を頼らなくなること。
 代わりに自分を頼みに生きていくこと。

 とでもなるでしょうか。

 それまで親の考えに従い、
 親の許可を得、
 何かにつけ親に相談していたものを、
 
 自分で考え判断し、行動する。

 そういう風になることですね。

 一言でいうと、
 (自分のことに関して親が担っていた責任を)
 自分で担うようになる。

 こうなると、
 親を自分の管理監督者みたいに上位に置くのではなく、
 対等なオトナとして付き合っていくようになります。

 互いに尊重しあって。
 互いの考えや意見か気持ちや立場を思いやって。

 オトナ同士。

 日本のルールでは、オトナになるのは20歳です。
 一人前の社会人として認められ、だから自分の行動について法的にも責任を持たねばならなくなる年齢です。
 この時から、オトナとしての権利と義務が生じるのですね。

 さてこの自立、人によって差があります。
 その人がどれくらい自立しているかの指標を自立度なんて言いますが、

 人によっては、20歳過ぎても自立度が低い人がいます。
 人によっては、10代のころにオトナレベルの自立度の人もいます。
 ときに一ケタの年齢の頃からオトナとして暮らしている人もいるでしょう。

 親をアテにしなくなる。
 親から自立する。
 親と境界を引く。
 親をクビにする。
 親を切り捨てる。

 子どもが、自分を頼みに生きていく際に、
 そのやり方には穏当なものから過激な力強いものまでいろいろな表現があります。
 
 それまでの親子関係によって表現は違うでしょう。

 穏当で、良好で、成長を促し見守る親との関係だったなら、穏当な表現になるでしょう。

 過激で、一方的で、略奪・侵襲的で、成長の邪魔をし、
 むしろ自分が保護してもらうことを期待しているような親との関係だったなら、

 表現は激烈になるでしょう。

 それは、子ども自身を傷つけることにもなります。

 自分が自立して社会の中で生きていくために、
 親子関係を引き裂くことをせねばならないのですから。

 親は期待するほど自立を手助けしてくれないのだから。
  
タグ :自立




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