精神科の薬は飲みたくない! の話

2018年05月30日

 精神科・心療内科に行って、薬を飲み出したら、一生飲まないと行けないから、

 薬は飲みたくない!

 だから、精神科に行きたくない!

 自力で治す!

 という気概によく出会います。

 この気持ち、よく分かります。

 人間一般的に
 だいたいからして、病院には行きたくありませんね。

 だって、
 とりあえず、なんか怖い。
 悪いとこがいろいろ見つかりそうだし、先生からなんか怒られそうだもの。

 とはいえ、
 風邪ぐらいなら気が楽というのもまた事実ですね。
 風邪薬なら、医者の薬でも平気。
 わりと平気に医者にかかれる。

 でも、精神科の薬は嫌!
 というのもまた事実。

 実は、一生飲み続ける薬は珍しいんです。

 そこで今回は、薬の利用についてのお話しです。

 人は誰しも自力で健康に戻す力があるんですが、
    ※リジリエンシーとかリジリエンス力とか言います。

 ところが、
 ストレスが次々にかかると、戻りきれなくなるんです。
 ※当たり前ですかね。

 人は、
 つらいことショックなことプレッシャーがあると、それに対処します。
 健康であり続けるように、活動し続けられるように。

 具体的には、休息や栄養補給などを欲します。
 つまり、疲れを感じるので小休憩をとったり、長めの睡眠をとったりして十分な休息をとるようにしたり、
 食事をしてエネルギーを補給したりします。

 そうして回復するのですね。

 ところが、
 回復が不十分な状態で、新たなストレスがやって来ると、状態は悪くなります。
 損傷からの回復不十分で、疲れが溜まった状態です。

 そんな状態なのに、またまた新たなストレスがかかる。
 回復する間もなく損傷を受け、ストレスにより睡眠不足で休息も不十分。

 この状態が長く続いていると、持ち前の回復力が追いつかなくなります。

 この時なんです!
 薬の力で、回復をサポートするんです。

 薬の手助けで、
 眠れるようになる。リラックスできるようになる。
 すると、休息が増えてくるので、回復しやすくなる。

 すると、
 働き過ぎで疲れ果てていた自前の回復力が勢いを取り戻し、
 自力で十分に回復し、いい状態を維持しやすくなります。

 薬のサポートがいらなくなってきます。

 そうしたら、薬を減らします。そのうち止めます。
 だって、必要ないんだもの。

 そうして、
 薬なしの生活に戻ります。

 これが基本です。

 悪い状態の時にしばらく薬を飲んでいい状態になったら薬を止める。

 胃薬にしてもそう、目薬にしてもそう、下痢止めであってもそう、ケガした時の消毒薬でもそう。
 薬の基本の使い方は共通しています。

 薬は、
 治す手助け。回復力のサポートなんです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)心理・カウンセリング

働かなくていいと働けなくていいと快復の話

2018年05月27日

 快復目線の補足です。

 快復のためには、

 働かなくていい!

 と社会に認めてほしい。
 
 だけじゃなくて、

 働けない自分を認める。

 働けなくたって、納税できなくなって、自分の価値そのものが落ちたわけではない。

 なにも傷ついていない。

 魂を削り、対価を得る働き方を求める社会では、

 働かなくていい!

 それぐらい価値のある人間なんだ自分は!

 こんな風に、

 快復の道は、
 働けない自分であることを許可することからはじまるように思えます。
 
 
 そしてさらに補足。

 社会からひきこもっている人は、社会の話題からもひきこもってしまいがち。

 だから、たとい税の話でもしっかりしたほうがいいと思うのです。

 そう言うことなので働かないとならないんだよ君!
 と説得の材料に使うのではなくて。

 自分たちの社会の話をただするという意味で。

 こもる人の状態の悪化を懸念して快復の障害になるからと、
 医療者・支援者が話題を選ぶことはあるでしょうが、
 だからと言って、話題の制約(タブーの設定)を強要するようなことはあってはなりません。

 何を話すか話さないかは個人が個別に決めること。
 Nothing about us without us.
 私たちのことを私たち抜きで決めるな!
 です。

 また、
 この話題は話しちゃいけないんだ。
 と関わり方に制約がかかると、周囲の人もこもる人に関わりづらくなります。

 関わりづらさ。それは孤立を招きます。
 孤立。まさにひきこもる人が抱える根幹の問題です。
 だから、関わる障害になるような指示や提案はしてはならないのです。

 そもそも、
 当事者本人・患者にだって税の話をする権利はあるし、

 なにより自分がかかわる社会の話をすることは快復の役・社会再参画の役にたつことなんです。
 だって、自分が暮らす社会のことだもの。

 話したくない人は話さなくていい。
 話したい人は話していい。
 話したくなったら話していい。
 話したくなくなったらやめていい。
 決めるのは当事者本人。

 周囲と調和し穏やかに暮らせる状態に快復するためになることは、
 進んでやっていいのです。

 だって、それが今の仕事だもの。

 この項終わり。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

働けないと税と公共サービス受益の話

2018年05月26日

 続きです。

 働かないから納税しないけど公共サービスは受けている状態をどう受け止めるかについて考えてみました。

 こういう状態をタックスイーター(Tax eater)なんて侮蔑的に呼ぶこともあります。
 ちなみに税金を納める人はタックスペイヤー(Tax payer)ですね。

 注目したのは、

 働かないでいい!

 の言葉の奥の気持ちです。

 働かなくていい。
 全然問題ない。
 働くなんてありえない。
 なんて風に働くことを馬鹿にした思いから発された言葉のようには感じないのです。

 むしろ働くことにとても価値を置いている。
 働くことの大事さを知っている。
 だからこその発言のように思えるのです。

 そこから私は、

 働かなくていいよ。って言ってほしい。

 そんな気持ちがあるように感じました。

 そしてそれは、

 働けないのだから。

 を意味しているように思えます。

 働かない!
 として、働かずに受益だけを目指しているのではなく、

 働けない!
 ってことを言いたいのではないか。

 そう思うのです。

 働けない!
 税金も納められない!

 それほど、
 社会で傷ついてしまったのかもしれません。

 そんな心の痛みをどうにも感じてしまいました。

 さて、こう考えてくるならば、
 
 社会から

 ある意味無条件に優しくされていい。

 と思えてきます。

 働かなくても、

 納税しなくても、

 社会は最低限の健康と安全は守ります。
 サービスは提供します。

 差別なく。

 能力があるなしに関係なく。

 生産性があるなしに関係なく。

 社会貢献度が高い低いに関係なく。

 あなただから。

 そんな自分なんだ。

 それぐらい甘えていいんだ。自分って。

 この社会に属している自分って。

 社会から優しくされる価値があるんだ。

 ここにいるだけで。

 生きているだけで。

 そんな社会の中にいるんだ。

 そんな人たちの中にいるんだ自分って。
 
 そもそも、思いやりで成り立っている社会にあって、
 思いやりどころか、ひどい仕打ちばかり受けてしまったのだから、
 少しぐらい、優しくされてもいいい。
 大目に見られてもいい。

 せめて公共サービスぐらい気兼ねなく受益してもいい。

 それでいいように思えます。

 私聞風坊には、こもっている最中に支えになる一文がありました。

 働かなくていい。
 今は回復することが仕事だ。

 この一文を胸に回復ばかりを考えて30代を過ごしてきました。
 
 十分なほどに回復すると、
   ※実際は快復だったり変化成長だったりしますが、
 働けそうな気がしてきます。不思議と。

 そんな心の状態になったら、実際に働けます。

 となると、自動的に所得から直接納税することになります。※もちろん応分です。
 タックスペイヤーになります。

 社会的活動が増えると消費も増えるので消費税納税の面からも納税額が上がります。
 
 働いて収入を得ることばかり、
 税金を納めることばかりが仕事ではありません。

 自分の心と体を健康に保つ。
 ということも、
 私たちが担っているものすごく大切な仕事なのです。

 働かなくていい。
 今は快復するのが仕事なんだ。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

働くことと税金と公共サービスのこと

2018年05月25日

 最近、いわゆる当事者の声と一般の人の声と支援者の声が交わる場に居合わせたので、
 それをもとにいろいろ考えたことを記します。

 その場でどんな風に声が交わったかというと、

 まず、

 働かなくてもいい! という主張があり、

 それについて、
 税によって社会が回っている事実にについてどう考えるか?
 という問いかけがありました。

 これにこたえる形で、
 働かざるもの食うべからず的な倫理的・道徳的発想はやめるべきだ!
 という発言がありました。

 要約するとおおよそこんな感じでした。

 さて、
 税金というのは、暮らしの中でいろいろな形で使われています。
 道路の補修、信号機にも、
 上下水道にも、
 警察や消防救急や国防にも、
 
 生まれると登録される戸籍の管理にも、
 教育やインフルエンザ対策とかの公衆衛生にも、

 医療・介護保険制度は、税金みたいな感じで徴収し利用されてますし、もちろん公費=税金も入ってます。
 
 国税庁のホーページには、
みんなの安全を守る警察・消防や、道路・水道の整備といった「みんなのために役立つ活動」や、年金・医療・福祉・教育など「社会での助け合いのための活動」に使われています。
 そのために必要なたくさんのお金をみんなで出し合って負担するのが「税金」です。
 つまり税金は、みんなで社会を支えるための「会費」といえるでしょう。


とあります。https://www.nta.go.jp/taxes/kids/nyumon/page01.htm

 上記サービスは、私たちは意識しなくても、求めなくても、提供されるサービスです。
 その人や会社が税金を納めていてもいなくても提供されます。
 そして私たちは受益します。

 そのためか、
 私たちは、とても身近なことに税が使われているということをあまり意識しません。
 ごく当たり前、フツーに提供されているから税金がかかわっているって意識もしないのでしょう。
 
 だから、申請しなくてもサービスが受けられます。
 110番したら、まずは利用登録と利用料を払ってくれ、捜査はそれからだ。なんて話はあり得ません。

 こう考えると私たちは誰もが、
 これらのサービスを受ける権利を無条件に持っていると言ってもいいかもしれません。

 実はこんな身近な税金ですが、
 その税金はどうやって集めるかというと、
 所得税や消費税や住民税などの形があります。
 ※ちなみに、消費税が導入された時から、あらゆる国民は納税者になったと思われます。

 このうち、所得税や住民税は、個人や企業の儲けた額に応じて決定します。
 儲けが少ないと税額0円というのもありますね。
 応分負担と言うのでしょうか。

 おおよその場合、働いて収入を得ます。
 その収入から、かかった費用を引いたものが儲けですね。
 
 さて、
 この考え方をもとにすると、
 働かなくていい! 
 は、収入がなくてもいいとなり、

 つまりは納税しなくてもいい!
 ってことを言っていることになってしまいます。

 となるとこれは、
 みんなが自分を含むみんなのためのサービスに使うために
 税金を負担して成り立っている社会にあって、

 私は、サービスは受けるけど負担はしないよ!

 と言っていることになってしまいます。

 これだととても身勝手な感じ。
 
 じゃぁだからといって、
 拒否権を発動して、戸籍や警察や救急や医療、信号機などのサービスを受けなくてもいいです。
 というわけにはいかないのが難しいところです。
 
 私たちは否が応でも税金が関係するサービスの恩恵を被ってしまいます。
 税がまったく関わらないサービス、物品なんてないのではないでしょうか。

 おせっかいといえばおせっかい、思いやりがあるといえば思いやりがある。
 そんな社会の一員なんですね。知らず私たちはすでに。

 こう考えてくると、妙な気分になります。
 ありがたいけど、なんだかちょっと押しつけがましい。あ、でもやっぱりやってくれてるとホント助かる、ウン。
 あ、でも税金だし。納めてないし・・・。
 
 自分は働かなくていいと思っています。
 だから納税もしません。できません。
 それでは心苦しいからサービスも要りません。

 というふうに、
 負担したくないからサービスは要らない。
 の理屈は却下されるでしょう。
 税金を納めていてもいなくても、戸籍は管理されるし、警察や消防はサービスしてくれます。
 道路を歩いても拒否られません。当たり前です。

 では、働かない人=儲けのない人=税金を納めない人は、
 一方的にサービスを受けるしかないのでしょうか。
 悔しい、恥ずかしい、情けない思いを秘めながら。
 ごくつぶし、タックスイーター(Tax Eater)の汚名は返上できないのでしょうか?

 この項続く。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

仕事がデキないのは、女だから or 男だから の話

2018年05月20日

 性による差別・不当な扱い。つまりジェンダーの話です。

 問題があるとしてよく取り沙汰されるのが、

 女だから仕事がデキない。

 男だから繊細な仕事はむいていない。

 などの、仕事の向き不向きの判断基準が性別、性差という問題です。

 反証としては、

 仕事がデキる女の人はいる。

 繊細な配慮のデキる男の人はいる。

 があり、女だから、男だから「仕事がデキない」という理由は否定されます。

 生きていく上、仕事していく上で、身に付いたスキルだから、
 性別にはあまり関係ないのでしょう。

 ところがここでちょっとひっかかる事態が生じます。

 実は、
 女だから、男だからというのは、「仕事がデキない条件」になります。

 裏を返せば、
 女でなければ、あの人は仕事がデキたろうに。
 男でなければ、もっと配慮できたろうに。

 みたいな意味を含みます。

 今、この条件が取れて、性差なく、性別関係なく、

 ただ一点、

 デキない。

 に焦点を合わせると、

 女であっても、男であっても・・・

 となります。

 性によって役割・能力を決めつけ、固定するジェンダーは望ましくありません。

 その一方で、ジェンダーは、使い方によって利益になることもあるようです。
 
 女だから自動車の運転が苦手ということで、上手であるはずの男に運転を任す。
  ※運転が上手になる努力をしなくてすむ。嫌いな運転を任せられる。

 男だから、配慮のいる仕事は女に任す。
  ※ご近所づきあいする努力をしなくてすむ。気遣いの苦労から解放される。
 
 女だから、男だから、デキない仕事があるのは当たり前だ。
  ※デキないことなんだから頑張る必要はない。楽でいい。

 利益があるから、ジェンダーはありつづけるのかもしれません。 
 
   
タグ :ジェンダー


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと