トラウマケアのこと 7 タッピング

2017年08月31日

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 少林寺拳法。
 演劇。
 自助グループ。 
 TA・交流分析。
 筆記・ライティング。
 ときて、今回はタッピングです。

 私は、子どもの頃から自分の名前を呼ばれるのが嫌でした。
 親が私の名前を気に入っておらず、私の名前をとても悔やんでいるのでした。

 だから、親が私の名前を呼ぶ時は嫌悪感が混じっています。

 そして私は、その親の気持ちをいつもいつも直接聞かされていました。

 そんなことから私は、自分の名前を呼ばれることにとても嫌な思いを持っていたのでした。
 
 そんなある日、EFT(エモーショナル・フリーダム・テクニックス=感情解放テクニックス)というトラウマに効果のある技法の講習を受けました。

 嫌な感情を味わいつつ、自分に向けて独特の声かけをしながら、東洋医学のあのツボをタッピング(軽くトントンたたく)するというわりと簡単に取り組める技法だったのですが、

 効果てきめん!

 タッピングしている最中から、もう気が楽になり、あの嫌な胸が重くくぼむ感覚、気持ちが沈む感覚がなくなっていきました。

 ビックリです。

 声かけ用の言葉を編むことが少しコツがいったり、嫌な体験に意識を向け続ける努力がいりますが、

 情けない気持ちでいるにも関わらず私は景色を楽しんでいる。
 みたいに、言葉を編む練習をしていたり、

 私は今、悲しい。怖い。情けない。気持ちを感じている。
 みたいに、感情を味わう経験をすでに重ねていたので、それほど難しく感じませんでした。

 嫌な気持ちにひたることが多い時は今でもやっています。

 私にとってのタッピングは、トラウマケアに効果的でした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


トラウマケアのこと 6 筆記

2017年08月28日

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々々々回は少林寺拳法体験。
 前々々回は、演劇体験です。
 前々回は、自助グループです。 
 前回は、TA・交流分析です。
 今回は、筆記・ライティングです。

 トラウマに限らず、困難状況に陥った場合、客観的に自分を見直すことは効果があると言われています。
 
 また、筆記・ライティングは心の整理をするのに昔から効果的と定評があります。

 そして、日々の出来事と思いを記す日記を書くことが勧められているのも上記のような理由からなのでしょう。

 私は、学校に上がる前から、何かを描くことが好きでした。

 想像力がとてもスゴく、※若干かい離的なのでアブナイのですが

 それを絵に描くのが好きでした。

 小学生の頃は、漫画クラブとかに入っていたり、小説もどきの作文を毎日のように書いていたりした記憶があります。

 絵は上手な方だったのですが、思春期になると、なんだかエグイ作風になりそうなので、絵をやめて、作文の方に移った記憶があります。

 なんとなく心が荒れているのが分かっていたのでしょうね。それを表出することをはばかったのでしょう。

 作文だと、表現はずいぶんと難しくなります。

 絵だと直接的に訴えられるところが、文だとそうはいきません。

 この手間が気に入ったのでしょう。生の心からだいぶ距離を置いた形で自己表出できるからですね。

 そんなこんなで、書くこと、自分の頭の中や身体の中のナニカを言葉にして記録すること。

 の魅力に取りつかれた私は、ずっと書いています。

 ひきこもってた頃は、日記を付けていました。

 PCが手に入ってからは、ホームページを。

 自助グループではニュースレターを。

 こもっていた時の記録と自助グループの記録として、『こもって、よし!』を。

 今でのこのブログを。

 書いています。

 そうして、自分の心と身体で感じたことや考えたことを言葉にして記録しています。

 自分を振り返って、なぜ案な気持ちになったのか?
 なぜあんな行動をしたのか?
 どうしてあんな考えをしたのか?
 その時の身体の具合はどうだったか?

 いつも気づきを得ています。
 そのたびに、一つ心が軽くなっています。

 さて、トラウマケアには書くことが効果的だとされています。
 自分に何が起きたか、自分は何をしたかったか、
 自分に何ができたか、自分には何ができなかったか
 相手に何をしてほしくなかったか、何をしてほしかったか、

 いろんな気づきが得られます。

 きっと、書くことが、落ち着いて、主導権を持って思考整理する作業だからでしょう。
 それは、トラウマ反応に拮抗します。

 トラウマに支配されない生活を送る。
 筆記・ライティングは、そのための効果的な手法なのでしょう。

 こう考えると、
 私にとっての筆記・ライティングは、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


トラウマケアのこと 5 TA

2017年08月25日

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々々回は少林寺拳法体験。
 前々回は、演劇体験です。
 前回は、自助グループです。 
 今回は、TA・交流分析です。

 複雑性トラウマとか、発達トラウマ障害とか指摘のある、幼少期からのトラウマによって、
 何かと問題が起きている場合、

 自分の身に一体何が起きているのか?
 そも自分とはなんぞや?
 ということが実感できづらくなっています。

 それに応えてくれたのが、私の場合はTA・交流分析でした。

 何が何だか分からないけど、なんかイイ感じはしない。

 これといって悪い感じはないし、フツーだけどなんかビミョーに気が楽にならない。

 そんな生きづらさを抱いている人は、そのなんかビミョーな感じの理由が知りたいと思うもの。

 謎が解ければいいと願うもの。

 その手順を知らせてくれたのがTA・交流分析でした。

 私がたどり着いた結論は、「親の自分」が批判的なために、「素の自分」のやることなすことに対してケチをつけるので、ほとほと疲れ果てていたのでした。
 もう、生きていられない。というほどに。

 そこで、批判がましい「親の自分」を、肯定的な「親の自分に」変える作業をずっとやってきたというものでした。

 トラウマを負うと、自分から離れます。
 前頭葉とかの自己認知する脳の機能が低下するんだそうです。

 だから、自分のことがよく分かりません。

 格闘技など身体を使う動作はこの体感機能を活性化させます。

 理論派のTA・交流分析は、思考することでこの機能を活性化させます。

 知的好奇心旺盛な私聞風坊は、どっぷりハマり、
 ドパミンやらエンドルフィンやらなんやらイイ感じをもたらす脳内ホルモンがいっぱい出たようです。

 トラウマを負うと、思考する力が落ちます。
 じっくり思考するより、本能的に闘ったり、逃げたりする俊敏性に重きを置くように脳がシフトするからですね。

 これが習い性になると考えない癖がつきます。
 特に自分自身の今の状態について、感じたり考えたり、言葉にしたり、
 いい状態にもっていくことについて、関心がなくなります。

 または落ち着いて物事に取り組むことが難しくなります。
 いつも俊敏にしていたい。焦り、急ぐ、速く。
 ADHDと診断される場合も少なくないと言われています。

 TA・交流分析では、その癖を治します。
 いったん「OK」と口にすることで、取り組んでいた作業をストップして、思考と感情と行動を振り返ることを繰り返します。
 そうして、最良の方法を選択します。

 こう考えると、
 私にとってのTA・交流分析は、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


トラウマケアのこと 4 自助グループ

2017年08月22日

 効果的なトラウマケアについて、自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前々回は少林寺拳法体験。
 前回は、演劇体験です。
 今回は、自助グループです。 

 人間関係でトラウマを負うと破壊されるのが人への信頼感です。

 だから、人に相談しない。治療を受けない。一人で生きていく。

 傷は癒えないまま、生きづらさが増していく展開です。

 30代になって、自分の生きづらさの根源が家族関係にあるとしぶしぶながら認めた私は、

 同じような思いをしている人たちの集まりである自助グループに参加するようになりました。

 そこは、ただ話して、聞いて、帰る。
 と言うシンプルな活動をしているグループでしたが、

 それが一番安心できて、いちばんちょうど良くて、だからありがたかったのを覚えています。

 役目を強く求められない。

 それでいて、その場にいることを歓迎されている。

 素直な自分の体験を口にするだけで、感謝され、みんなの役に立つ。
 
 そんな、とても珍しい場。人間関係でした。

 子どもであるために負わねばならなかった重責、

 屈辱、無力感、頑張り、まわりから期待される私らしさなどなど、

 周囲の大人からいろいろ求められて大きくなった私は、役目を担わされることにほとほと嫌気がさしていたのでした。

 人生を諦めるほどに。

 そんな役目感がない。

 あるとしたなら、自分を癒す役目ぐらい。

 まずはそれ。

 自己犠牲しない。
 まず自分のことをする。
 よく指摘された点です。

 自分を生きる。それが一番重視されていた場。人間関係。

 そんな関係によって育まれた仲間に対する信頼感、思いやり感。

 破壊された人間への信頼感を取り戻す作業は、仲間とともになされました。

 トラウマケアにあっては、他者とのつながりを再構築することがとても重要です。
 トラウマを負わない体験、心が癒される体験をたくさん経験できることがなにより重要なのです。
 リソースなんて言います。

 こう考えると、
 私にとっての自助グループは、まさしくトラウマケアでした。
 
参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


トラウマケアのこと 3 演劇

2017年08月19日

 トラウマケアについて自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前回は少林寺拳法体験。
 今回は、演劇体験です。

 中学生の頃、アニメ同好会を作ったり、同人誌を作ったりしたアニメマニアなので、

 声アテという演劇は日頃から慣れたものだった私聞風坊ですが、

 30代になって、演劇ワークショップに参加したのでした。

 舞台役者さんの指導のもと、寸劇に取り組んだのですが、これがすこぶるオモシロく、とってもいい経験になったのでした。

 トラウマを負うと、自分の気持ちや自分の考えなどを言葉にしづらくなります。

 言葉をつかさどる脳機能が働きづらくなることも影響しているでしょうし、

 自分を表出したくないという心理も影響しているでしょうね。

 ところが、誰かの立場に立って、その人の思いや考えを口にすることは割とやりやすいんです。

 もしその誰かが、自分と似ているとしたら?

 それは、自分を代弁することと言っていい。

 演劇は、その機会を提供します。

 私が体験したのは、自分で選んだ配役で、詩を朗読をするというもの。
 その役になりきって、情感を込めて朗読します。

 情感の込め方について、身体の感覚を大切にするようよく指導受けました。

 その役は、大きい人? 小さい人?
 背中を丸めている? 上を向いている? その時どんな気持ち? どんな体勢?

 声を出す前に、まずそんな身体の状態をチェックします。

 同時に気持ちも。

 つまり、心と身体の調和を意識するのですね。

 調和がとれた段階で初めて声を出す。朗読するのです。

 うつむいた姿勢では元気のいい声が出ないこと。

 喜び讃える気持ちのときは、胸を張り顔が上を向いていること。

 力一杯何かを訴える時は、両足を踏ん張ると気持ちがこもること。

 いろいろ学びました。

 演劇ワークショップは、トラウマケアに効果があるそうです。

 私は、自分の心と身体の連携を学び、自分の身体の感覚を、気持ちと関連付けて言葉にできるようになりました。

 それまでバラバラだった心と身体と言葉を、連動させて表現できるようになったのです。

 今の自分の状態を感じ、言葉にすることができるようになること。

 それは、トラウマを負った人が苦手にしているところの、
 自己理解と自己受容ができるようになったということ。
 
 私にとっての演劇ワークショップは、まちがいなくトラウマケアでした。

参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)