相対的貧困について考えてみたのです

2017年06月27日

 子どもの貧困として必ず話題に上るのが、

 相対的貧困。

 です。

 一般的な状況と比較すると、貧困である。

 ということ。

 フツーは、スマホを持っている。

 フツーは、高校に行っている。

 フツーは、三食食べている。

 という風に、フツー一般的にみんなができること。

 が、保護者にお金がないから、できない状態。

 制約がある状態。

 そんな状態のことを、相対的に言って貧困である。
 
 という風に考えるみたいです。

 貧困と言うと、ご飯も満足に食べられない、義務教育も受けられない、ケータイとかパソコンとかネットとかぜいたく。

 衣服はぼろぼろ、身体は汚れていて、医療が受けられないので歯もぼろぼろ。

 なんてイメージは、健康を維持するのすら難しいところの絶対的貧困となるでしょう。

 今、
 日本で問題になっているのは、絶対ではなくて相対の方です。

 つまり、
 人と比べるまでもなく困難(危険・不健康)と分かる絶対的貧困ではなく、

 人と比べたところ経済的に問題があると考えられる状態のことです。

 さて、
 このことからふと考えたのです。

 ここでもし、
 人と比べない。自分がどう受け止めるか?
 幸せを感じ取れるかどうかが大事なんだ。

 という価値基準(絶対基準と呼んでいいのかしら)で子どもの貧困を考えたらどうなるか?

 生きてるだけでありがたいよね。

 衣食住あるんだから感謝しないとね。

 こんな風になるような気がします。

 なんだか、複雑な気持ちになります。
 確かにそういう見方はあるけどさぁ・・・。みたく。


 そんなこんなで、

 フツーの人がそんなに苦労しないでできていること。

 与えられている物。

 手にしているチャンス。

 が、ものすごい苦労をしないとまたは犠牲を払わないと、

 できない。手に入らない。状態にある人たち。

 への思いやりと優しい社会は、

 他者と比べることから始まるのだなと、思い至ったのでした。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)社会のこと