こもる人は、支援機関を利用しません

2017年04月28日

 内閣府の調査でも指摘されていますが、

 こもる人は、支援機関を積極的に利用しません。

 理由は、
 なにを話していいか分からないとか、
 なにされるか分からないとか、

 いくつかあるようですが、

実のところ、

 利用してどうなるん?

 という思いが根底にあるように思えます。

 つまり、

 利用したところで、なんかいいことあるの?

 なんか未来が開けたり、

 気持ちが晴れたり、

 人間関係うまくいったり、

 悩みがなくなったり、

 そんなこと期待できんの?

 いや、できないよ。

 そんな思いです。

 実は、誰かの手助けを得るには、目標が必要なのです。

 ケータイの使い方が分かるようになる。

 仕事に就くようになる。

 人と楽に会話できるようになる。

 目標があるから、

 ケータイショップに行ったり、

 ハロワに行ったり、

 会話教室に通ったりしますね。

 こもる人は、この目標が定かではないようです。

 生きる目標といってもいいかもしれません。

 どんな状態になりたいのか?

 それが分からないので、

 それに向けてどんな手助けがあればいいか?

 も思いつかないのでしょう。

 目標。

 別名を、希望といいます。

 こもる人たちに一番必要なこと。

 それは、希望という名の目標なのかもしれません。
  
タグ :希望目標


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

まちなか居場所かふぇらてのご案内

2017年04月27日

 NPO法人宮崎もやいの会さんが

 地域活動支援センターかふぇらてをオープンさせました。

 食を重視したプログラムを組んで、

 楽しく仲間と次のステップを目指す、まちなかの居場所です。

 午後1時から夜の10時まで開所。

 誰かとゆっくり夜を過ごせる場ができました。

 ちらし

 

※地域活動支援センター
おもに障害当事者がつどい、創作的活動又は生産活動をとおして、交流する場
  
タグ :Ⅲ型地活


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)告知

その人らしさは他人が決めるということ

2017年04月25日

 医療界には、操作的診断という言葉があるようです。

 病気やケガの診断を下す条件を決めて、その条件に当てはまるかどうかをチェックする感じで診断していく方法のことをそう呼ぶみたいです。

 ○○な症状はあるか?

 △△はないか?

 みたいにやっていきますね。

 実は同じようなことを支援者もよくやっています。
 そしてこれは、支援者の視点が違うと、同じ人に対しても違う印象が生じることを意味します。

 ある支援者は、学校を怖がっているかどうかという条件で、人を見ています。
 だからもし、ある人がその条件に当てはまると、その人を学校恐怖症と名づけ、恐怖が軽くなるように働きかけます。

 またある支援者は、学校を怖がっているというより、登校することを拒んでいるかどうかという視点から人を見ています。
 ある人がこの条件に当てはまると、その人を登校拒否と名づけ、その価値観にもとづいて働きかけます。

 拒否なので、自由意思にもとづき主体的に学校に行かないというニュアンスでしょう。
 となると、学校をさぼる性根を叩き直すという働きかけになるかもしれません。

 またある支援者は、登校を拒否しているというより行きたいけど行けないのかもしれないという視点から人を見ています。
 となると、学校に行けない弱者としてその人を見るかもしれません。

 そして、無理して学校に行かず傷を負って弱った心を癒すように働きかけるかもしれません。
 または、弱者でも行ける学校を作ろうとするかもしれません。

 またある支援者は、社会からこもっているかどうかに注意を向けているので、社会との接点がなく家で静かに暮らしている人を見ると、ひきこもりだとして、ひきこもり対応の手順に従って働きかけるかもしれません。
 
 またある支援者は、働いているかどうかに関心があるので、家で静かに暮らしている無職の人を見ると、その人をニートと判断して就労支援するかもしれません。

 またある支援者は、お金に困って生活が苦しいかどうかに意識が高いので、家で静かに暮らしている無職の人を見ると、将来的に困窮生活を送る可能性が高い人だと判断して、困窮者支援を始めるかもしれません。

 これらのことから分かることは、医療者を含め対人支援者は、人のある一面にのみ注目しているということです。
 支援者同士の意見の相違、関わり方の重点の相違はここらへんから生じます。

 だから、
 ある支援者は、心に寄り添いながらのひきこもり支援をしようと考えるのに、ある支援者はサボり癖を叩き直そうとするのです。

 病気の治療を積極的に行うことが優先だと思う支援者もいれば、そんなことより穏やかに刺激しないことが重要だと考える支援者もいるでしょう。

 その人全体を見ているのではないということ。
 そして残念ながらその人全体を支援することはできないということ。

 このことを、
 支援する方も支援を受ける方も、お互いに知っておくことが大切に思えています。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のことニート

ひきこもりと身体表現のこと

2017年04月22日

 ひきこもりは、社会から、

 身を引いて、

 自室や自分の心の中にじっとこもること。

 家族は、そんなこもる人が心配なあまり、心を密着させやすいものです。

 不安な心と心が触れあって

 もっと不安になって、

 長年それが続くので、その状態がフツーになってしまって、

 だから、こもる人がなにかしようとしたら、うれしい反面怖さも増して、

 バイト行こうとしたらバイト先にケチつけたり、正社員じゃなきゃダメだと批判したり、ホントに大丈夫、無理しないでと心配したりして、

 足を引っ張ることは珍しくありません。

 かと思えば、

 いいバイトがあったから行けばとか、知り合いに仕事頼んできたから明日から行けよという風に、

 尻をたたいたり

 はよ、働け! 出てけ! お前のことはもう知らん!

 と、足蹴にするようなことを言ったりすることも少なくありませんね。

 もしこれが、

 行きたいなら遠慮せんで行ってみたらいいよ。手伝うことがあったら言ってね。応援してるよ。

 みたいな背中を押す感じだったら、

 または、

 お前も一緒においでよ。行ってみよや一緒に。なかなかいい感じやったよ今度どうね?

 みたいに手を添えて誘う、手招きして招待する感じだったら、

 一歩踏み出しやすいんじゃないかと、

 思ったのでした。

 この記事の意図、飲み込めましたかしら。 


  
タグ :身体表現


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

プライドが高いから、社会参加できないについて考える

2017年04月19日

 思いつきシリーズです。

 ひきこもり、ニート界隈では、

 プライドの高さが邪魔してる。

 みたいな発言をわりとよく見聞きします。

 プライドが邪魔して、
 外出しづらくなっている。
 就労先が限られてくる。

 なんて感じです。

 当事者本人の立場からすれば、
 
 そこまでして。
 とか、
 そんなまでして。

 社会参加したくない。

 社畜になりたくない。

 なんて、感覚でしょうか。

 それは、

 そんなことに自分の人生を使いたくない。

 自分の時間を使いたくない。

 それならば、自宅でじっとしている方がまし。

 自宅でじっとしている時間の使い方がいい。

 そういう気持ちが働いているのではないかと思い立ったのです。

 就労を極端に単純化して説明すると、労働の対価として収入を得る行為、というのが一般的でしょう。
 
 この点、ひょっとしたら、
 ひきこもりやニートの人たちは、
 「自分の人生の時間を仕事に提供した対価」として収入を得るという感覚なのかもしれません。

 この考えを就学に当てはめると、
 自分の人生の時間を学校場面に提供した対価としてなんらかの利益(学力・地位・安全・承認・将来・・・)を得る。

 だから、

 オレの時間をそんなものに使いたくない!
 自分の時間はそんなに安いものか?!
 お前らにオレの時間を評価されたくない!
 俺の人生を管理されたくない!

 こんな思いなのかもしれないなと思ったのです。

 こんな風に、
 自分の人生時間に対するプライドがあると、それに見合わない社会参加、就労、就学は難しいのかもしれません。

 割に合わない。ということ。

 自分の人生時間を自分の思い通りに使える。
 少なくとも他人のいいようには使わせない。

 それが、
 社会と距離を置いて暮らす人々の思いの一つかもしれないな。

 と思い立ったのでした。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる交流分析ニート