2017年08月19日

トラウマケアのこと 3 演劇

 トラウマケアについて自分の体験と照らし合わせてみるシリーズです。

 前回は少林寺拳法体験。
 今回は、演劇体験です。

 中学生の頃、アニメ同好会を作ったり、同人誌を作ったりしたアニメマニアなので、

 声アテという演劇は日頃から慣れたものだった私聞風坊ですが、

 30代になって、演劇ワークショップに参加したのでした。

 舞台役者さんの指導のもと、寸劇に取り組んだのですが、これがすこぶるオモシロく、とってもいい経験になったのでした。

 トラウマを負うと、自分の気持ちや自分の考えなどを言葉にしづらくなります。

 言葉をつかさどる脳機能が働きづらくなることも影響しているでしょうし、

 自分を表出したくないという心理も影響しているでしょうね。

 ところが、誰かの立場に立って、その人の思いや考えを口にすることは割とやりやすいんです。

 もしその誰かが、自分と似ているとしたら?

 それは、自分を代弁することと言っていい。

 演劇は、その機会を提供します。

 私が体験したのは、自分で選んだ配役で、詩を朗読をするというもの。
 その役になりきって、情感を込めて朗読します。

 情感の込め方について、身体の感覚を大切にするようよく指導受けました。

 その役は、大きい人? 小さい人?
 背中を丸めている? 上を向いている? その時どんな気持ち? どんな体勢?

 声を出す前に、まずそんな身体の状態をチェックします。

 同時に気持ちも。

 つまり、心と身体の調和を意識するのですね。

 調和がとれた段階で初めて声を出す。朗読するのです。

 うつむいた姿勢では元気のいい声が出ないこと。

 喜び讃える気持ちのときは、胸を張り顔が上を向いていること。

 力一杯何かを訴える時は、両足を踏ん張ると気持ちがこもること。

 いろいろ学びました。

 演劇ワークショップは、トラウマケアに効果があるそうです。

 私は、自分の心と身体の連携を学び、自分の身体の感覚を、気持ちと関連付けて言葉にできるようになりました。

 それまでバラバラだった心と身体と言葉を、連動させて表現できるようになったのです。

 今の自分の状態を感じ、言葉にすることができるようになること。

 それは、トラウマを負った人が苦手にしているところの、
 自己理解と自己受容ができるようになったということ。
 
 私にとっての演劇ワークショップは、まちがいなくトラウマケアでした。

参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月16日

トラウマケアのこと 2 少林寺拳法

 運動音痴の私聞風坊は、10代の頃、一念発起して少林寺拳法を始めたのでした。

 覚えの悪い私に、
 先生や先輩や同輩が文字通り手取り足取り根気強く関わってくれたおかげで、少しずつ技を身につけていくことができました。

 特に一番指導されたのが体重移動でした。

 今どこに体重がかかっているか?

 これが肝心かなめ。

 足の裏? 右足? 左足? 爪先の方? 踵の方? 内側? 外側?
 細かくチェックする毎日が続きました。

 次が、
 こぶしをしっかり握っているか?
 足の指はしっかり反っているか?
 呼吸と動作が調和しているか?
 右手の動作と左手の動作が連動しているか?

 自分の体感覚を瞬時に感じ取りながら技を繰り出す練習です。

 そして究極、
 相手はどの方向に力を加えているか?
 という風に、相手の感覚も感じ取れるように練習しました。

 これらの練習を毎日毎日何時間も繰り返すことで、

 自分が何を感じているか?

 今の自分の身体の状態はどんなか?

 今の体勢はどんな状態か?

 以前より、敏感に分かるようになりました。

 さらに加えて、
 腹に力を込める練習もたっぷりやりました。

 どっしりと構えつつ人と対峙する。物事に取り組む。

 格闘という戦いの場、恐怖・脅威の場にいて、その中でやっていく。

 そんな経験を、重ねていきました。

 おかげで、対立場面で人と関わる自信がつきました。

 またさらに、関節技で降参する練習もするんです。
 これは、降参しても安全だと言うことを体験することになりました。

 それまで降参は安全の崩壊を意味していましたが、それだけではないのですね。
 降参すれば許してもらえる経験をたくさんしました。もちろん私もたくさん許しました。

 そんなこんなで逃げる感覚も覚えたんです。

 全体として闘い方を覚えた。そんな感じでしょうか。
 それは、裏を返すと闘わないことも覚えたことになります。

 ホント闘うって大変なんです。疲れるんです。リスク高いんです。
 だから闘わない解決方法を探る。そんな気持になりました。

 これらのことをトラウマケアの視点から考えると、

 闘争と逃走という自分の安全を確保するための能力を開発したとなるようです。

 さて、
 人間関係でトラウマを負うと人間と関わることが苦手になります。

 だからケアが受けられず、傷も癒えにくくなります。

 私にとって少林寺拳法は、身体との対話、調和、連動の仕方を学ぶとともに、
 その過程で人とのふれ合い、信頼・協調を学んだ貴重な経験でした。

 それは間違いなくトラウマケアなのでした。

参考:身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

  


2017年08月13日

トラウマケアのこと 1 身体

 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
 ( べッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2016)

 を読んで、自分がこれまでやってきたことと照らし合わせてみるシリーズです。

 心に傷(心的トラウマ)を負うと、様々な問題が起こります。

 身体との関係が悪くなります。

 幼少期から受傷した、受傷し続けたとすると、身体とのよい関係が築けなくなります。

 どういうことかというと、

 トラウマを負うと、

 ふとしたきっかけで、トラウマを負った体験のまっただ中に放り込まれます。

 過去の恐怖・驚愕・脅威を面前にした体験を、

 今ここで再体験しているその時、身体は当時の状況を再現します。

 自分の身に何が起きているのかまったく分かりません。

 身体は自分の思う通りに動きません。

 それは、いつ起きるか予測がつきません。

 日常ありがちないろいろな音や匂いや味や香りや景色や話題や人の表情や熱い寒い身体に触れる感じなどなどが、
 きっかけとなって、そんな状態に陥るからです。

 フラッシュバックとも言われるこの状態、

 トラウマを負った人は、この状態にいつなるか予測がつかない不安と緊張の中で暮らしています。

 だから、1日、日常を送ることだけでひどく心身を消耗してしまいます。

 そんな状態を改善するために効果的なことは、身体の状態を感じ取ることのようです。

 今自分が、どんな感覚でいるのか? 

 そこに意識を向けることで、フラッシュバックのパニック状態から少し距離が置けるようになるようです。

 脚の裏を床に着けて、床からの圧力を感じる。

 背筋を伸ばして椅子に坐り、座面の感覚や、お腹に力が入る感覚を感じる。

 身体の感覚に意識を向けることで、身体とよく対話できるようになるようです。

 そうしたら、身体が何をしたいかの予測がつく。

 肩周りがこわばっているのでぐるぐる回してほぐしたい。

 胸の辺りが重く凹んでいるので、胸を張って息を深く吸いたい。

 前に手を伸ばして、NO! と言いたい。

 とか。

 身体アプローチと言って、トラウマケアでは、身体感覚をとても大事にします。

 私聞風坊の身体アプローチの最初の出会いは、10代の頃に始めた少林寺拳法でした。

 運動音痴の私は覚えはものすごく悪かった。

 運動音痴。
 今にして思えば納得がいきます。
 身体の感覚にうとかったからです。
 感覚に圧倒されそうだったから、身体感覚を感じないようにしていたからかもしれません。
 身体に関心を持たない。身体を大切にしない。そういう言い方もできるかもしれません。

 そんな私に、
 先生や先輩や同輩は根気強く関わってくれて、年月をかけると私もそれなりにできるようになってきました。

 その話は次回。
  


2017年08月10日

トラウマを負うとコトバの意味が一般と違ってくること。

 8/7の記事の関連です。
 そして次からのトラウマシリーズ記事の序章。

 言葉の意味が、一般社会ととても違う。

 虐待など一般社会ととても違う環境で育った人、

 戦争や犯罪など一般社会ととても違う環境を経験した人の場合、

 こういうことはよくあります。

 社会人の
 「今度の休みは2、3日はひきこもりたいなぁ」
 と、
 40年こもっている人の「こもること」の意味は違っているでしょう。

 職業人の
 「仕事しないと食べていけないからね」
 と、
 仕事のストレスで食べることもできなくなった人の「仕事」と「食べる」の意味は違っているでしょう。

 居酒屋で友人と飲みながら
 「アイツ上から目線でやだよね」
 「いつも一方的だよね」
 と
 怯えて震えている人がやっと口にする
 「上から目線が苦手です」
 「あの人一方的なんです」
 の意味は違っているでしょう。

 「もやし食ったら、鼻に中に入って取るの大変で、それからもやし食うとき緊張して、まじトラウマなったし」
 と
 なにかのきっかけで、その瞬間に放り投げられた感じで全身が硬直して、頭が働かなくなる体験が頻繁に起こる人の
 「トラウマ」
 の意味は違っているでしょう。

 身の危険を意味する強さについて。

 家庭、親子、ご飯、家族、友だち、おしゃべり、笑顔、喜び・・・。

 一般的に、安全、安心、安らぎ、信頼、を意味する好ましい言葉も、

 危険、恐怖、脅威、硬直、嫌悪を意味する言葉になっている人たちはいます。

 トラウマを負った人たちです。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)トラウマ

2017年08月07日

失敗というコトバの重みがフツーとは違うこと

 失敗を恐れずにチャレンジを!

 失敗してもイイんだ。それをバネにすれば!

 失敗から学んでいこう!

 失敗について、こんな感じの教育的なアドバイスは珍しくありません。

 これ、たぶん、前提が

 失敗は怖くない。

 だと思います。

 死ぬほど、痛め付けられるほど、ケガするほど、暴力ふるわれるほど、親がヘンになってしまうほど・・・。

 ところが、

 失敗が命取りの環境で育った子どもはこの前提が通じません。

 その子たちにとって、失敗とは?

 親から殴られたり、馬鹿扱いされたり、、夜中怒鳴り散らされたり、ため息つかれて相手にされなくなったり、

 親がご飯も作れないほど激しく落ち込み寝込んだり、より酒を飲んで暴れるようになったり、

 気が変になったんじゃないかと思うほどわめき出したり・・・、

 と、親の心や身体の調子が悪くなったり、感情の調節が利かず機嫌がものすごく悪くなったりと、

 親や周囲の人間から強力なネガティブな反応が返ってくることを意味しています。

 つまり、失敗は身の危険をもたらします。

 安全な失敗なんてないんです。

 その子たちには。

 だから、失敗しないようにまず親や周囲の人間を観察し、失敗しないように周到に準備し、言葉を選び、行動を選び、恐ろしいことが起きないような感情を選びます。

 それが成功するように、常に緊張感を高め、確認を繰り返し、

 実行する前のシミュレーションと実行後の検証を繰り返します。

 だから、ナニカをやる時は、いつも命がけ。

 だから、ナニカをやる時は、ものすごいストレスがかかる。

 日々を過ごすだけでものすごく消耗する。

 そんな子どもたちに、
 または、
 大人になったそんな子どもたちに、

 軽々しく、失敗してイイよ! なんて言うのは控えた方がイイと思っています。

 それは、死んでもいいよ。

 って言ってるも同じ意味合いになるからです。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)トラウマ

2017年08月01日

人間が社会と関わる順序は恐怖感からはじまること

 ポリヴェーガル理論を基盤とするトラウマケアの考え方によると、

 人が、なにか出来事に遭遇して、それにどう応じていくかについては、本能的に手順が決まっているようなんです。

 例えば、

 ゴトッ。と物音がした。

 サッと目の前をなにかがよぎった。

 なんか臭う。

 そんな風に、周囲になにかが起こったことを知覚した時、

 まず、恐怖感を感じ、安全かどうかを判断する作業を行うのだそうです。

 そのために、今やっている作業をおろそかにし、その分、知覚を研ぎ澄まします。

 何か音がしたのなら、聴覚を。

 見えたのなら、視覚を。

 臭ったのなら、臭覚を。

 同時に、行動しようと準備はじめます。

 行動の方向としては、その場から逃げ出すか、

 原因を探るために、何かの方に近づくかのどちらかです。

 その上で、危険度を測ります。

 もし、その何かが人間などの生き物だったなら、

 まずは、笑顔などを作って、親しくなろうとするのだそうです。

 「どうしました?」 みたいに声をかけるかもしれませんね。

 仲良くなることで安全を保とうとする本能的戦略です。

 そういえば、国と国の不調和の解決法に視点を変えてみても、まず外交で仲直りする努力を続けますね。

 さて、仲良くなる努力をしてみたところ、
 相手の応答から、相手の危険度を脅威だと判断したら、

 次の手順である、闘争するか、逃走するかの行動を選ぶことになります。

 物体(転がってきた空き瓶、落ち葉、ノラ猫の糞とか)だったら、危険度に応じて逃げたり、問題解決したり、脅威なしを判定してなにもしないことを選択するでしょう。

 国と国の不調和の解決手順でも、外向が不調に終わったら、武力による解決を図りますね。

 まとめると、

 恐怖を感じた何かに対して、自分から何かする。

 そうして、落ち着きを取り戻す。

 こういう手順です。

 もし、この手順が最後まで達成できなかったら、私たちは不調を抱えることになるようです。

 脳内にアラームが鳴り続けたまま、ストレスホルモンが出つづけたままだからですね。

 脅威な何かに対して、

 闘って安全を勝ち取る。
 安全な場所に逃げおおせる。

 そうすることで、心=脳は平静に戻ります。

 もし、安全を確保できないままだとしたら、身体は常に戦闘状態と一緒でしょう。

 この状態になると、世界全体が脅威となるでしょう。

 身体が常に恐怖を感じている状態だからです。

 この状態だと、
 言動が過度に攻撃的、過度に防衛的になるのも不思議ではありません。

 喧嘩っ早い人、こもり続ける人は

 こんな状態なのかもしれません。

 恐怖を感じながら、人や社会と関わる。
 日々を暮らしている。

 そんな状態、

 いわゆるトラウマを負った状態です。

 社会との関わりには手順があり、手順を最後まで終えないとトラウマになることがある。

 ということを知っておくことは人を理解する上で役立つでしょう。
  
タグ :覚醒状態


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)トラウマ

2017年07月05日

精神疾患の親に育てられた子どもたちのこと

 NHKの番組ハートネットTV で、精神疾患の親を持つ子どもをテーマにした番組があったので視聴したのでした。

 番組URLはこちら→http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/hntv/267884.html

 今回は、子どもの立場に力点を置いた番組作りだったとか。
 親の立場に力点を置いた番組はきっと後日あるでしょう。

 さて、この番組を観て考えたのは、

 親の顔色をうかがわないと生きていけない子どもたちがいるということ。

 そうして大人になった人たちがいるということ。

 人知れず。

 一番身近な大人が、気分の波が激しく、

 だから家庭は緊張感が高く、安らぎの時間が十分でないこと。

 何が起きるか予想がつかないことが多く、

 自分の身の危険を常に感じながら暮らしているのが常となっていること。

 そんな状況で生き残るために、少しでも心の平安を得るために、

 親の状態、

 家庭の状態、

 周囲大人のひそひそ話を、

 観察し、聞き耳を立て、適切な行動をとらねばならないこと。

 もし、それに失敗すれば、

 今より悪い状況が到来すること。

 それは、自分の責任であること。

 だから、命がけで、

 親の顔色(健康状態の意味も込めて)、行動、雰囲気は良好か? 不良か?

 家の状態・・・ものは壊れていないか、なくし物はないか、増えているものはないか?

 人員が揃っているか、不明になっていないか?

 闘うか、逃げ出すか?

 人に助けを求めてイイか? 
 
 このことを口にしてイイか? イケないか?

 そうして安全か? もっと悪いことにならないか?

 しっかり考えたか? 十分に考えたか?

 と毎瞬毎瞬観察と思考と行動をしているのでしょう。

 そうして、密やかな安全を確保する。

 自分の精神的健康とひきかえに。

 不信感、猜疑心、用心深さ、人当たりのよさ、なじめなさ、心を開かないこと、親密がわからないこと、

 感情がわからないこと、自分の意見を口にすることができないこと、将来設計ができないこと・・・。

 そんな困難をかかえた大人になることとひきかえに。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(2)社会のことトラウマ

2017年06月12日

ちょうどいいテンションでいつづけること

 人の覚醒度、シャキッと度、テンションについての連続記事の4回目、

 ちょうどイイ覚醒状態、適度なテンションの状態についての2です。

 ポリヴェーガル理論によると、

 腹側迷走神経が優勢な状態が、人のちょうどいいテンション状態なのでした。

 腹側迷走神経は、顔面にまで延びていて、音を聞いたり、声を発したり、表情を作ったりすることで刺激されるそうです。

 これがなにを意味するかというと、

 ちょうどいいテンションでいるためには、世界と関わることが重要と言うことです。

 心地よい音を聞いたり、歌を唄ったり、豊かな表情でいたり、

 それは、誰かと関わることも含んでいます。
 
 誰かとおしゃべりしたり、誰かの歌を聴いたり、気持ちを顔に表してやりとりしたり。

 もちろん、自分がリラックスできる相手に限りますが。 


 下がりすぎたテンションを上げたり、上がりすぎたテンションを下げたりするのに、

 一人で自分のペースでなにかすることは効果的です。

 同様に、信頼できる誰か、安らぎを与えてくれる誰かと関わることもとっても大事なんです。

 脳神経的にそうみたいです。


 そうして、ちょうどいいテンションにいる回数が増えれば、いつづける時間が長くなり、

 その状態がフツーになり、自分のテンションの基盤になれば、

 ビックリすることがあっても、落ち着いて対処して、ほどなく心が穏やかになり、

 落ち込むことがあっても、一人で抱え込まず誰かと分かち合い、慰めを得て、心が軽くなり、

 アタマに来ることがあっても、気持ちをしっかり言葉にして、不快な状況を改善して、心安らかになり、

 そうして日々を暮らしていく。

 そんな生き方ができるようになるようです。


 自分のテンション・覚醒度を意識して生活してみる。

 お試しあれ。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)トラウマ

2017年06月09日

ちょうどいいテンションのこと

 人の覚醒度、シャキッと度、テンションについての連続記事の3回目です。

 前々回は、テンション高過ぎの過覚醒・高覚醒、
 前回はテンション低すぎ・放心状態の低覚醒でした。

 今回は、ちょうどイイ覚醒状態、適度なテンションの状態についてです。

 さて、

 ちょうどイイ。

 これ、どんな具合なんでしょう?

 研究してる専門家がいます。

 ポージェス博士です。

 サイトはこちらhttp://stephenporges.com/

 ポリヴェーガル理論で有名な方です。

 私聞風坊の知能全力を傾けて理解したところによると、

 人は、ちょうどイイ状態で誰かと関わるように本能=古い脳=脳幹=脳神経ができている。

 みたいなんです。

 テンションの状態とどう関連しているかというと、

 古い脳に端を発する交感神経系が優位なときは、テンション高すぎの興奮、過覚醒状態になりやすく、

 同じく副交感神経系の背側迷走神経が優位なときはテンション低すぎの放心、低覚醒状態になりやすく、

 同じく腹側迷走神経が優位なときは、ちょうどイイ覚醒状態で、イイ感じで暮らせる。

 のだそうです。

 このように、迷走神経が複数なので、ポリ・ヴェーガル理論と呼ばれています。

 さて、このイイ感じの状態は、

 心拍・血圧が高すぎず低すぎず、筋肉の緊張が強すぎず弱すぎず、呼吸が多すぎず少なすぎず、気持ちは穏やかで、それらはおよそ安定している状態でしょうか。

 あるがままにいて、穏やかに呼吸しているマインドフルネス瞑想状態がこれだと言われているようです。
 
 この、ポリヴェーガル理論で注目すべき点は、

 腹側迷走神経は脳幹を基準にして、前面・顔面の方(腹側)に向かっている迷走神経ということ。

 知っての通り、顔には、目、耳、喉、口があり、腹側迷走神経はそれらに関連しているので、

 他者・社会との交流時に腹側迷走神経は活発になるそうです。

 つまり、本来、

 人は、どんな形にしろ他者・社会・外界世界と交流するときに、イイ感じにリラックスするようにできているということなのです。

 信じられない人、たくさんいるでしょうか?
 
 人は誰か何かと関わることで安全安心を得る社会的な生き物だという根拠の一つになるようです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)トラウマ

2017年06月06日

テンションが低すぎること

 人の覚醒度、シャキッとしてる度合いについての連続記事です。

 前回は、シャキッとし過ぎの、過覚醒、高覚醒状態についてでした。

 今回は、シャキッとしなさ過ぎの、低覚醒状態についてです。

 一般的に、何か脅威を感じ取ったときに、人のテンションは上がります。

 本当に脅威なのか?

 どれほどの脅威なのか?

 対決できるか?
 だとしたらどんな風に?

 逃げた方がいいのか?
 だとしたらどこに向かって?

 それらのことを短い時間に判断せねばなりません。

 ゆっくり吟味する時間はありません。

 だから、シャキッとテンション上げて、集中して、反射的に、本能的に、対応します。

 その結果、安全を確保できたら、テンションは通常の段階に下がります。

 ところが、安全が確保されなかったらどうなるでしょう。

 どうにもならない脅威、恐怖からせめて意識だけでも逃れるために、意識をシャットダウンするのです。

 いわゆる放心状態。

 交感神経系から副交感神経系に切り替わるので、
 呼吸は穏やかに、心拍や血圧も下がり、筋肉はゆるみます。

 この状態、ときに幸福感すら感じるともいわれています。

 こうして、脅威が去って行くのを待つのですね。

 一般的な表現だと、

 元気がでない、落ち込んでいる、やる気が起きない、ボーッとしている、なんて言われる状態でしょう。

 思考できず、判断できず、活動できず、反応できず、ボーッとしている、じっとしている。

 一見リラックスしている。

 そんな状態。

 思考したり、他者と会話したりする大脳より古い脳が優勢なのは、高覚醒の状態のときと一緒です。

 不登校やこもっている人たちの多くはこの状態で長い時間を過ごしているかもしれません。

 思考をつかさどる大脳が働いていなくて、動物的本能をつかさどる古い脳が優勢な状態。

 だから、
 今どんな気持ちなのか? 何を考えているのか? または将来のことなど尋ねても返答は無理なんです。

 余計な力みがないリラックス状態ではなくて、脱力、放心している状態だからですね。

 こんな状態の人と関わるとしたら、
 相手に脅威と感じられないように穏やかに話しかけて近づいて、相手の大脳が活動し出すのを待つことが重要です。

 話しかける、声をかける、近づく、目を合わせる・・・。

 それだけで、少しばかり覚醒が高まります。

 今はそれだけで。

 ・・・。

 次回は、適度な覚醒状態=リラックス状態について。
  
タグ :低覚醒うつ


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)トラウマ


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