2016年10月18日

親が発達障害であること 2

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 について考えてみる記事の続きです。
 
 特に、

 どれだけ努力しても、親から共感されない、
 相談に乗ってくれない、
 社会のルールなど社会で生きていくために必要なスキルを教えてくれない、
 いつも親からの一方的な要求ばかり。
 自分の気に入らないことがあるといつまでも激しく感情的に接してくる。

 つまり、
 こちらの立場を思いやってもらえない。

 そんな子ども時代を過ごし、
 大人になっても変わらずずっと不快な気持ちを味わっている人。

 にとって、
 自分の親が特性に応じたサポートを受けてこなかった発達障害である可能性
 を考えることはとても大事なことだと思っています。

 もしかすると、
 子どもの頃から味わうあの不快感。恥の感覚。忸怩たる思い。
 は、自分の努力不足ではないかもしれないからです。

 今ここでの他者の気持ちに寄り添う。
 そういうことがとても苦手な親なのかもしれません。
 だから、こちらの思いはいつもいつも聞き届けられない。

 その結果、
 私は大事にされない。
 私には価値がない。
 そんな想いを抱くのも不思議ではありません。

 発達障害の分野では、寄り添うことが基本です。

 そう考えると、

 子どもに寄り添えない。
 子どもが寄り添うしかない親。

 なのかもしれません。

 大人になった今、
 寄り添い方というか、期待の仕方というか、あきらめ加減というか、距離の取り方というか、
 そういう親との付き合い方は、自分で決められます。

 もう、親の気まぐれに振り回されずに生きていいんです。

 親に期待することをあきらめていいんです。

この項終わり。
   


2016年10月16日

親が発達障害であること

 相手の立場に立った言動が難しい。

 暗黙の了解など、空気を読むのが苦手。

 じっとしていない。

 こだわりが強い。

 コミュニケーションが苦手。

 誤解が多い。会話の要点がズレている。

 食べ物の好き嫌いが多い。

 自分なりのルールに従う。

 融通が利かない。

 予定などの急な変更にひどく動揺する。

 感情に振り回されやすい。

 興味のあることには熱心だが、興味がないことには極めて素っ気ない。

 具体的に、ひとつひとつ説明されると分かるが、ざっぱな説明だと混乱する。

 なんて印象を持たれたり、観察されたりした子どもは、

 発達障害ではないかと懸念を持たれることが多いもの。

 でもこれ、子どもに限ったことではありません。

 お前の頭はゼッペキでかわいそう。
 なんて、子どもの立場に配慮のない一言を平気でちょくちょく口にしたり、

 子どもから相談されても、ポイントがずれた返答をいつもいつも繰り返したり、
 または、子どもがなんでそんなに悩んでいるか共感できなかったり、

 そもそも、自分の関心のあることに熱心で、子どもと関わることに興味がないことが日常しばしばだったり、

 自分なりのルール・手順を重視するあまり、社会のルール(特に暗黙の取り決め)を子どもに教えることが苦手だったり、
 または、厳しくルールを守らせすぎたり、

 子どもにいつもいつも、大声出したりやイライラして感情的に関わったり、

 基本的に自分の都合優先で、子どもにも都合があることが分からない。子どもの都合を想像しない。

 そうして、
 親がそんな関わりをしていると、子どもがどんな風に苦しんでいるかなんて、思いを寄せることをしなかったり、
 ※自分がどれほど苦労しているかには強い関心があるけれど、

 する親の場合、

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 を考えてみることは大事だと思っています。

 特に、
 親との関わりに子どもの頃からとても苦労している人の場合は。

この項続く。  
タグ :発達障害


2016年10月02日

消費される当事者 2

 少し前、子どもの貧困を取り上げたニュース番組に登場した当事者について、
実は貧困ではないのではないか? という議論があったことを受けての記事の続きです。

 人の存在を否定する言説。
 が横行している社会。

 こんな現状を再確認し、
 ふと思いついたのが

 消費される当事者

 という言葉でした。

 まるで、当事者というネタを多種多様な人たち=社会が、自分たちの好きなように利用し、気がすむまで使い倒す。

 気がすんだらゴミ箱に投げ捨てるように、日常の雑談の話題よろしく自分たちの暮らす社会の問題への関心すら一緒に捨ててしまう。

 社会が自分たちの話のネタが欲しいという気持ちを満たすための道具として扱われる当事者。

 そんな感覚を持ったからです。

 消費とは、自分の欲を満たすためにナニカを使って無くすことと言われています。

 人が、自分の欲を満たすために当事者という人の存在を使い果たす。

 当事者を材料(ネタ)にして、自分たちの言いたいことを言い放つ。

 言論は自由ですが、人を自分たちの消費財として扱わないよう、言論の仕方には思いやりが必要だと思うのでした。

この項終わり。
   


2016年09月30日

消費される当事者

 少し前、子どもの貧困を取り上げたニュース番組に登場した当事者について、
実は貧困ではないのではないか? という議論があったようです。

 「実は違うのではないか? だから当事者の意見ではないのではないか」
 という議論はひきこもり界でもよくありました。

 体験発表やメディアなどで発言するひきこもりは、こもっていないのだから、もはやひきこもりではない。
だからひきこもりの意見ではない。
 こういう論調です。

 さて、当事者が社会に対して声を挙げるのは、
 自分たちの存在を知らせ、困難を示し、そうして社会に議論を呼び起こすという意味合いがあります。

 そこに身を呈すほどの価値を見い出すから、当事者は社会に訴えるのですが、

 当事者の声なりありようを受けた社会の側の多種多様な意見には、
 好意的なものもあるし、否定的なものもあるし、個人攻撃も少なくありません。

 都合、当事者は、とにかく多種多様な方向から、分析され意見され、評価され、いじられるのです。
 卑近な言葉だと「さらされる」と言われます。

 そうして当事者は、大きなストレスにさらされます。
 これで心身を壊すことも珍しくありません。
 ※だから私聞風坊は体験発表に批判的なのです。

 特に冒頭の話にあるように、

 あの人は当事者かどうか? というその人のありようそのもの(属性)に対して批判が相次ぐことが多くなっています。

 曰く、あの人は貧困者じゃない。アイツはひきこもりじゃない。あの子は不登校じゃない。あの人は障害者じゃない。・・・。

 ありよう・属性の否定は存在自体を否定すること。

 人の存在を否定する言説。
 
 ところが、それらの意見を言った人たちは自分の行為の責任は誰もとりません。
 
 そうなることを予想して当事者は自己を公開したのだから、自分たちに責任はない。
 当事者の自己責任だ。と言わんばかりです。

この項続く。
  


2016年09月29日

【告知】発達障害児サポートの講演あります

スマイルクラブさんが主催して、
発達障がいの理解と対応について講演会があります。
子どもの気持ちにより添ったサポートの第一人者の講演です。

関心ある方はぜひのご参加を。

日 時 2016年10月10日(月・祝) 14~16時
場 所 佐土原総合文化センター
内 容 演題「気になる子のサポートとは ~発達障がいの理解と対応~」
    講師 西永 堅(にしなが けん)氏 星槎大学准教授
受講料 500円※資料代

主催・問い合わせ申込先
  スマイルクラブ

案内チラシ↓

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)告知発達障害

2016年08月18日

【告知】発達障害を疑似体験

 スマイルクラブさんが、LSA・学習支援員養成連続講座の一部を公開講座で実施します。

 今回は、
第1部が、見る・読む・聞く・話す・書くことに困難を持つLD(学習障害)を疑似体験で、
第2部が、当事者本人の講演です。

 ご関心のある方はぜひのご参加を。

日時 2016年8月21日(日) 9:50~13:00
会場 宮崎県立看護大学
受講料 一コマ1,500円(当日支払い)
※要申込み
主催・問い合わせ・お申し込み先
 困り感によりそうサークルスマイルクラブ
http://k19434649.miyachan.cc/

案内チラシ↓

  
タグ :LDLSA


Posted by 聞風坊 at 09:28Comments(0)告知発達障害

2016年07月20日

うちじゃない。と言えないのが家族です。

 仕事は、何事も職分というか領域があります。

 ここまではしっかりやるという、いわゆる守備範囲ですね。

 逆に言うと、それ以外の範囲はやらなくていいってことになってます。

 そこまではムリ!

 ってことからです。

 病院や、相談・支援機関も、この領分が決まっています。

 だから、ここまでは専門的な能力を発揮してしっかりやります。

 という境界があります。

 その境界を越すことについては、

 うちではない。

 となります。

 他をあたってくれ。
 よそに行ってくれ。

 って意味です。

 またなにかあったらいつでも来てください。

 も、同様な意味ですね。

 これ、ホントに「いつでも」じゃないんです。
 たいがい開業日中で予約した日時にって意味ですね。

 さて、視点を変えて、家族はどうでしょう?

 うちじゃない。
 って言えるでしょうか?

 また来週会いましょう。
 なにかあったらまたおいでください。

 なんて言えません。

 いつでもどこでもアテになる関係であると同時に

 どうしても関わらないといけない宿命である。

 家族にはそんな面もあります。

 支援の立場にある者は、

 この替えの利かない、
 ある意味受け入れる以外にどうしようもない
 家族の立場に思いを寄せる必要があるでしょう。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)発達障害ニート

2016年06月23日

発達障害と注意力の話

 あちこちに注意が散漫して、人の話をきちんと聴かないとか、

 話があっちこっちに跳ぶとか、

 会話のポイントがビミョーにズレてるとか、

 空気を読まないとか、人の感情が分からないとか、

 発達障害に関する特徴がいろいろ指摘されています。

 以前の記事では、抑えが利かないという点について書きました。


 今回は、私聞風坊が最近関心を持っている「注意」について記します。

 注意散漫は、文字通り、
 今ここで目にしている教科書から、黒板上に掲示してある「努力!」の標語に意識が向き、
 そうかと思うと足元の靴紐が気になるという風に、
 注意(意識)が短い時間にいろいろなナニカに向いてしまうこと。

 話が跳ぶのも同じような感じ。

 これらは、「集中力がない」って表現されてるかも。

 会話のポイントがビミョーにズレるのは、
 相手が注意を向けているポイントと自分が注意を向けているポイントが違っていることから生じると考えられます。

 空気を読まない、人の感情が分からないなども、
その場にいる人たちの表情や会話のニュアンス姿勢などから体感的に推察するところの「その場の空気」「目の前にいる人の感情」に注意が向いておらず、話題や自分の言いたいことに注意が向いているのかも知れません。

 私聞風坊には、発達障害特性を持つ多くの友人がいますが、人の気持ちが分からない人たちは誰一人としていません。

 あの時、あの場の対応を、後日改めて振り返ると、必ず相手の気持ちにより添えます。
 そのために、あの時、あの場での自分の思いやりのなさを責めることが多いのも事実ですね。

 これは、その場、その時に相手の立場に注意が向かないってことじゃないかと思うんです。

 こう考えてくると、

 注意を向ければ、いいってことになります。

 注意を向けているポイントをお互いに一致させるってことですね。

 今は、○○の話をしています。

 ここを見て。

 ○○について考えてほしいんだ。

 具体的に、短く、要望を伝える。

 注意を一致させる。
ってことに注意を向けると、

 どうコミュニケートするか? いろいろアイデアが浮かびますね。 
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)発達障害

2016年06月21日

【告知】発達に凸凹のある子どもの自立についてのシンポあります

 困り感によりそう子育てサークル「スマイルクラブ」さん主催で、
発達に凸凹のある子どもの自立に向けて
理解と支援のネットワークを考える
 シンポジウムが開催されます。

 ご関心持たれましたら、どうぞお申し込みを。

 日 時 平成28年7月10日(日) 13:00~16:30
 場 所 宮崎県立看護大学
 定 員 100名
 参加費 一人1,000円(事前) ※当日は1,500円
     学生無料

 主催・申込み問い合わせ先
 スマイルクラブ
  http://smileclub2525.com

案内チラシ↓

  
タグ :発達障害LD


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)告知発達障害

2016年06月11日

発達障害と見る聞く感じるのこと

 先日、発達障害と感覚についての講演に行ってきました。

 発達障害と言えば、誰かと関わるときに困難感がある。

というのが有名ですが、

 実は、
 感覚過敏も相当な困難を招いているようなんです。

 前者は、いざとなったら人と関わらなければいいのですが、
 後者はそうはいきません。
 24時間、1年中、自分の感覚とは付き合っていかねばならないからですね。

 さて、感覚過敏。例えば、

 周囲の音を全部聞いてしまうために、いろいろな音が入ってきて困る。
 服の生地や、シャワーや空調の風などが痛くて困る。
 光りがまぶしすぎる。
 食べ物の味や食感がとても刺激的で食べるのに困る。

 などなど。

 だから、
 1日生活するのも大変な苦労をするのですね。

 感覚過敏についてはある程度知っていたつもりでしたが、
 シャワーが痛いという感覚は今回初めて知りました。

 反対に、刺激が相当強くないと感じない問題もあったり、
 それは、注意をどこに向けるかの問題だったりと言うことも学びました。
 
 名前をなんべん呼んでも相手が気づかないのは、
 相手が何かに集中しているために聴覚に向ける意識が少なくなっているから、
 相当強い刺激じゃないと気づかないからなのかもしれません。
 または、こちらに注意を向けやすいよう相手の視界に入ってから声をかけるとか。

 本人の困り感に寄り添った支援がいい。

 とは多くの支援場面で見聞きするフレーズです。

 私聞風坊も、感覚の問題を抱えています。

 それがフツーになってるから、改善されるなんてつゆほども思っていません。
 そんな感覚がフツー。みんな同じように苦労していると思ってるかも。

 だから、
 感覚の困り感に寄り添う支援は、本人の困り感に一番寄り添っているように思えます。

 なんか、感じ方で困っているようだ。
 ひょっとしたら発達障害の可能性があるかも。
 という感覚を持つ支援者が増えるといいなと思いました。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)研修受講発達障害


【お知らせ】
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