依存症・DV・貧困・ひきこもり・不登校などが平等な話

2018年02月05日

 アルコール依存症

 DV・家庭内暴力・デートDV・虐待

 貧困

 ひきこもり

 不登校

 などの出来事、状態、問題、困難は、

 差別なく、誰の身にも、どの家庭にも、どんな状況でも起きるということを

 前提とすることは重要だと思っています。

 宗教家の家庭でも、

 教師の家族でも、

 医師の家でも、

 弁護士の家族でも、

 公務員の家庭でも、

 良妻賢母と言われる人の家庭でも、

 里親を拝命している人たちであっても、

 差別なく、区別なく、平等に発生します。

 だから、
 社会的に地位があるからと言ってヒドいことをしない、起きない。

 という思い込みは捨てる必要があると思っています。

 社会的に信用があり、人助けを生業にしていて、多くの人から頼られていたとしても。

 その家庭で何が起きているか、その人たちが何をやらかしているかはまったく別のこと。

 見過ごしてはなりません。 
   
タグ :DV暴力虐待


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アルコール依存症

アルコール依存症は珍しくないのです。

2018年01月25日

 アルコールやアルコール依存症について、誤解がいくつかあります。
 実際のところを列記してみます。

 飲酒による困りごと、つまり酒害がしばしばなのは、酒癖が悪いと言うより、
 病気である可能性が高いこと。
 その状態は、アルコール依存症と呼ばれること。

 依存症なので、
 治療は精神科が担当していること。

 アルコール依存症は進行性の病であること。
 酒を減らす! と心がけていても、飲む回数やタイミングや量をコントロールしようとしても、どうにもならないこと。
 
 だから、
 説教したぐらいで
 そのうち改心してよくなるということはないこと。

 飲酒者1人の努力ではとうてい回復できないということ。

 他に、下記のようなものがあります。

 アルコール依存症になると手が震えるということ。
 手が震えるのは依存症がだいぶ進んでからです。
 震えないから依存症じゃない。ってことにはなりません。

 肝臓(だけ)がやられるということ。
 その前に、胃炎とかって胃がやられます。
 飲んで胃がやられることがしばしばであるならば、節酒した方がいいでしょうね。
 肝臓がやられていないので、健康だということではないのです。

 眠れるように寝酒を飲むこと。
 アルコールを飲んで眠くなるのは、脳がアルコールで麻痺するかららしいです。
 自然な眠気ではないので、アルコールがキレると麻痺が治まり目覚めますね。
 それからしばらく眠れない。
 自然な睡眠リズムが乱れます。
 眠りのためにアルコールを飲む。のは逆効果なんです。

 薄めて飲むから大丈夫ということ。
 薄めて飲んでも量を飲めば一緒です。
 1日に20グラム以上はアルコールの取り過ぎ=飲み過ぎらしいです。
 5%のビールだと、500cc(=500グラム)飲むと、25グラムなので、ちょっとオーバーしてますね。

 酒に強くなるということ。
 そうじゃないようです。酔わなくなってるだけらしいです。耐性と呼ばれています。
 アルコールの影響に忍耐強くなっているみたいです。
 適正量をしっかりたっぷり超過したアルコールが体内に入っています。
 強くなるというより、単にアルコールに鈍感になっているだけらしいです。
 
 依存症は病名ですので医師の診断によりますが、

 依存症と診断されるほどではないけれども、程度の差こそあれ酒の害が起きている場合、

 自分の飲酒によって自分の身に酒害が起きていることを認めることは大事です。
 
 それは、家族や友人や恋人や職場の人への害でもあります。

 ストレス社会の現代で、アルコールに頼ることはそれほど珍しいことではありません。

 だから、
 飲酒によるいいこと悪いこと。

 その2つをよくわきまえて適切に飲むことが重要なようです。

参考サイト
厚労省「みんなのメンタルヘルス」
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_alcohol.html

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アルコール依存症

消費される当事者 2

2016年10月02日

 少し前、子どもの貧困を取り上げたニュース番組に登場した当事者について、
実は貧困ではないのではないか? という議論があったことを受けての記事の続きです。

 人の存在を否定する言説。
 が横行している社会。

 こんな現状を再確認し、
 ふと思いついたのが

 消費される当事者

 という言葉でした。

 まるで、当事者というネタを多種多様な人たち=社会が、自分たちの好きなように利用し、気がすむまで使い倒す。

 気がすんだらゴミ箱に投げ捨てるように、日常の雑談の話題よろしく自分たちの暮らす社会の問題への関心すら一緒に捨ててしまう。

 社会が自分たちの話のネタが欲しいという気持ちを満たすための道具として扱われる当事者。

 そんな感覚を持ったからです。

 消費とは、自分の欲を満たすためにナニカを使って無くすことと言われています。

 人が、自分の欲を満たすために当事者という人の存在を使い果たす。

 当事者を材料(ネタ)にして、自分たちの言いたいことを言い放つ。

 言論は自由ですが、人を自分たちの消費財として扱わないよう、言論の仕方には思いやりが必要だと思うのでした。

この項終わり。
   


消費される当事者

2016年09月30日

 少し前、子どもの貧困を取り上げたニュース番組に登場した当事者について、
実は貧困ではないのではないか? という議論があったようです。

 「実は違うのではないか? だから当事者の意見ではないのではないか」
 という議論はひきこもり界でもよくありました。

 体験発表やメディアなどで発言するひきこもりは、こもっていないのだから、もはやひきこもりではない。
だからひきこもりの意見ではない。
 こういう論調です。

 さて、当事者が社会に対して声を挙げるのは、
 自分たちの存在を知らせ、困難を示し、そうして社会に議論を呼び起こすという意味合いがあります。

 そこに身を呈すほどの価値を見い出すから、当事者は社会に訴えるのですが、

 当事者の声なりありようを受けた社会の側の多種多様な意見には、
 好意的なものもあるし、否定的なものもあるし、個人攻撃も少なくありません。

 都合、当事者は、とにかく多種多様な方向から、分析され意見され、評価され、いじられるのです。
 卑近な言葉だと「さらされる」と言われます。

 そうして当事者は、大きなストレスにさらされます。
 これで心身を壊すことも珍しくありません。
 ※だから私聞風坊は体験発表に批判的なのです。

 特に冒頭の話にあるように、

 あの人は当事者かどうか? というその人のありようそのもの(属性)に対して批判が相次ぐことが多くなっています。

 曰く、あの人は貧困者じゃない。アイツはひきこもりじゃない。あの子は不登校じゃない。あの人は障害者じゃない。・・・。

 ありよう・属性の否定は存在自体を否定すること。

 人の存在を否定する言説。
 
 ところが、それらの意見を言った人たちは自分の行為の責任は誰もとりません。
 
 そうなることを予想して当事者は自己を公開したのだから、自分たちに責任はない。
 当事者の自己責任だ。と言わんばかりです。

この項続く。
  


家族が問題を長びかせていること

2016年06月03日

 ひきこもり・不登校関係で、家族特に親の関わり方についてよくお話をしますが、

気になるのは、親が問題を長びかせている場合が少なくないことです。

 例えば、
やんややんや年がら年中うるさい場合。
あれしたらこれしたらと次から次にアドバイスする場合。
あーだこーだと不満や不平ばかりこぼす場合。

 親としては、自分の気持ちが平穏ではないので、
ついついいろいろ関わってくるのでしょうが、
 
 子どもの立場に立つと、それら親の
やんややんやや
アドバイスや
不平不満に
 年がら年中対処することになります。

 これ、親の(心の)問題に巻き込まれているってことになります。

 都合、親に対処することが当面の取り組む課題になっているので、
自分の問題や、
将来について、
 考える余裕がなくなるのです。

 または、そんなストレスがかかることをしなくてすむので、
親に対処することを常にしている可能性も少なくありません。

 親とのややこしい関係に対処していれば、自分のややこしい問題に触れなくてすみますもの。

 だから、親は、自分の心を安らかにする必要があるのです。
不安でいっぱいな状態で子どもと関わると、解決には至らないことが多いのです。

 自分の問題を自分で取り組めるようになる。ときに他者の協力をあおぎながら。

そんな風な子どもになってほしいなら、親は自分のケアは自分で行う必要があります。ときに他者の協力をあおぎながら。

 家族向けのお話しには、こんなテーマを秘めています。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)家族教室アルコール依存症