小学校に上がってひったまがった話

2018年12月10日

 最近昔のことをよく思い出します。

 個人的な話です。

 ほぼ不登校だった幼児教育を無事に卒業して、

 小学校に入学して、最初の授業でひったまがったのでした。
             ※共通語訳:とっても驚いた!

 先生がみんなに向けて呼びかけるのです。

 「みんな、わかりましたか~?」

 間髪を入れずみんなが応答します。

 「はーい、わかりましたー!」

 競うがごとくに皆おらびます。
      ※共通語訳:叫びます

 私はきょとん。

 なんだ? (このやり取りは?) 

 そういえば、

 「わかった人~?」

 と先生が言うと、みんな我先に手を挙げてた。

 手を挙げてと言われてないのに? なぜなんだ?

 で、手を上げない私と目が合う先生。

 「わかった?」

 訊いてくる。

 「はい」

 きちんと返事する私。

 そして手は上げない。

 みんなはまだ手を挙げている。

 なぜなんだ?

 わかったら自分が喜べばいい。

 別に言わなくても。手を上げなくても。おらばんでも。
               ※共通語訳:叫ばなくても

 当時そんな思いでいました。
 ※実は今でもそう。

 主張しない。

 そんな生き方の始まりだったようです。

 とはいえ、このルール。誰が教えたのでしょう?

 蛇足:その後は、答えがわかったら、一応手を挙げるようにしてました。空気を読んで。  
タグ :社会性


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)過去の出来事

許される範囲でのびのびやっていた話

2018年12月05日

 今回も個人的な話です。

 いま改めて考えると、これまでいろいろ自分なりに考えてやってきたのですが、

 それらはすべて、許される範囲をまず考えて、現実的にこれくらいなら大丈夫だろう。

 邪魔されないだろう。

 という範囲の中で、

 その中の選択肢から、

 最善を選んだのでした。

 高校進学も。

 大学進学も。

 関心のある勉強も。

 遊びも。

 友だち付き合いの深さも。

 親が許容できるだろう範囲・種別。

 親が邪魔しない範囲・時間数。

 親がうらやましがらない。

 口をさしはさまない程度。

 それでいて、
 邪魔が入ればすぐに今取り組んでいることを中止する。

 という条件付きで。

 緊張感あふれる学びであり遊びであり半生でした。

 もし、許容できないことをしたら、

 親がどうなるか分からない。

 そんな恐怖に裏付けられた精いっぱいの自己主張した生き方でした。

 若いんだから自由だ。

 選択肢はたくさんある。

 自分の人生は自分で選べるんだ。選んでいいんだ。

 絵空事でした。私にとって。

  


子どものころ、精神的な問題が出ていた話

2018年11月30日

 個人的な話です。

 子どものころ、

 1日中毎日数か月~数年かも。

 鼻を鳴らしたり、
 片方だけまばたきを繰り返したり、
 咳払いしたり、
 首をひねったり、

 してました。

 また、空想の世界によく浸っていました。

 しょっちゅう、
 周囲の音や、会話の相手の話し声や、自分の声が、
 甲高く、早回しで聞こえていました。
 
 いやな体験を思い出しては、落ち込んでいました。

 夜は、
 寝付くのが怖くて、
 死んだ後のことばかり考えて、
 悪い夢ばかり見てました。


 上から順に、
 チック、解離・離人、フラッシュバック、睡眠障害、

 などの精神症状の可能性があります。

 人の話がよく理解できず、
 相手がイラついたり、

 言われたことを理解したとして、いざ行動しようとすると
 気持ちと体のつながりが外れて、
 身体が動かなくなったりすることも
 割とよくありました。
 
 言葉を介してのコミュニケーションに難があったのでしょう。
 挙句それでパニクッていたのでした。

 そんな状態にもかかわらず、誰も手助けしてくれませんでした。

 ヘンな子。

 で片付けられていたのでしょう。

 ヘンな子の扱いは誰も知らなかったのでしょう。

 40年ほど前の話です。

 
  
タグ :ヘンな子


回復なんかない成長だけがあると思う話

2018年06月30日

 昔から映画が好きで、もちろんテレビっ子で、

 オタクという名が出て来る前からアニメマニアで、
 同人誌も作ってたりこともあるくらいで、

 中でも大好きなのが、

 オーメン、エクソシストのような悪魔憑き系と

 ヴァンパイア系と

 ミュータント系です。

 今でもよく観ています。

 どんな風に観ているかというと、

 ほぼ自分のこととして。

 共感しすぎなくらい。

 だから見終わった後は、自分にも超能力が使えそうな錯覚。

 念力とか、強靱な力とか、空飛べるとか・・・。

 そして、勉強してます。

 どんな風にして社会でやっていけばイイのかを。

 昔、自分のことを弾かれ(はじかれ)者と言い表していました。

 社会から弾かれている感じが子どもの頃からしていたからです。

 実際は弾かれていないのですが、なんだかそんな感じがしてたのです。

 違和感、ズレ、なんか違う、ここじゃない、

 他にいろいろ表現はあります。

 みんなと違うフツーでない自分を強く感じて、

 どうやっていけばイイのだろう?

 とつねづね考えてました。

 ヴァンパイアや特にミュータントの人たちは、同じ悩みで暮らしてます。

 だから、勉強になるんです。

 自分をどう使って世の中でやっていけばいいか?

 それは、昔の状態に戻る、つまりフツー人になるということではありません。

 自分を成長させてニューバージョンとしてよろしくやっていく。

 自分の取扱いが巧みになって、よろしくやっていける。

 それは回復と言うより成長です。

 ひきこもり、アダルトチルドレン、虐待サバイバーなど、

 元に戻ることが決して利益にならない場合、

 回復より成長を目指すのがいいのかもしれません。

 よりよい自分になるために、今日一日を生きる。

 そんな思いで。
 
 珍しく聞風坊の独白でブログらしい記事でした。
  


祈りが心のよりどころだった話。

2018年06月25日

 親を頼りにすることができなかった子どもの頃、

 頼りにしていたのは仏様でした。

 何の変哲もない単なる仏教徒なのですが、

 自分には仏様がいる。

 と思うだけで、なんとなく落ち着きを得ていたのを思い出します。

 人はみな仏の子。

 という教えのためでもあるでしょう。

 見守られている。

 そんな気持になったようです。

 そして、
 仏の子としてどう生きるか?

 それが基軸になったようです。

 いじめられたときも、こもっているときも、日常困ったときも。

 自助グループでは、ハイヤーパワーに委ねることを学びます。

 自分の手に余ることを。

 そして、大いなる自然の営みの中にいる自分という意識を持ちます。

 そうして、
 ひとりでいろいろな重責を背負い込むことや
 自分は誰よりも上手になんでもできるという錯覚を手放し、

 ひとりのただの人間として謙虚に暮らしていくことを学びます。

 両方とも大いなる何か、サムシンググレート・Something greatとのつながりによって、
 自分をよく保ち、暮らしていくのですね。

 窮地を生き延びる術は、大いなる何かとのつながりを得る(再確認する)こと。

 そんな気がしています。