2015年06月08日

スター・ウォーズが許可映画じゃなかったこと

 新作が話題のスター・ウォーズですが、
最初に公開されたのは、私が中学生の頃でした。

 当時、映画は許可制でした。※今はどうなの?
学校が許可した許可映画だけ観てよくて、
 もし許可してない映画を観たら、罰則がありました。

内容や本数などを考慮して学校が視聴の可否を判別するのです。
 管理教育という言葉を体現したような制度ですね。

 さて、このスター・ウォーズ。
公開になったら観に行こうと映画好きの私聞風坊は密かに思っていました。

 しかしなぜか公開日が過ぎても許可されていませんでした。
こういうことよくあったのです。

 でも、
世界で話題の映画だ!
 というのは、田舎の生徒の耳にも入ります。

 そのため、許可が待ちきれず、
隠れて観に行った生徒がいました。

 ところがそれがバレて、学校は激怒したのでしょうか?
許可は降りなくなりました。
 という噂が伝わってきました。
※許可が降りた時だけ生徒には知らされるのです。

 このことでクラスは結構騒然となったものです。

 同級生の中には、
隠れて観に行ったヤツに怒りを向ける人もいました。
許可になったら行くつもりだったのにフンッ
地元以外で観たらいいんじゃないの。OK という知恵者もいました。

 一方、私聞風坊というと、
これといった感情を持ちませんでした。
恨むこともなく、怒ることもなく、
 ただあきらめました。

 すでにこの頃、あきらめることに慣れていたのでしょう。

自分の望みが不条理にも叶わないのに怒りもせず、
 知恵をしぼって自分のやりたいことを達成しようとせず、

ただ社会に適応すること。
 社会のパワーに順応することを最優先にしていたのですね。

 映画にまつわる逸話でした。
  


2015年05月20日

子どもの頃から説明力がいりました 2

 前記事の続きです。

 私聞風坊が説明できるようになったのは、親との関わりで苦労したからなんです。
例えば、全国ニュースで大雨の注意喚起をしていたとして、その受け止め方が独特で、それを子どもの私が解説していたのでした。

 東京の方が雨だったってことだよ。

 土砂崩れは起きてないよ。気をつけて外に出ようね。ってことだよ。

 外出の際は注意してね。というメッセージだから、この際政治は関係ないよ。
ということを言うのですが、

 その説明がきっかけとなって、また誤解が生まれ不機嫌の種になることはよくあったのです。叫び

 東京も雨は降ってなかったよ! 
 この時、東京の「方」というのは広く関東を意味していて、うちの近辺ではなく遠いところが雨だったんだよってニュースなんだよということが言いたかったのですが、「東京」に注意が行くのですね。
 しかも東京が晴れていたというその情報は、数時間前の渋谷の交差点の情報バラエティ番組のテレビ映像だったりもします。
 実際に大雨が降ったのは、その後。

 政治は関係ない。の一言で火が付いて、どれだけ政治が悪いかをその後何時間も言い続けます。
 もし、私がその場を去ったとしたら追いかけてくることもありますし、私のその態度が火に油を注いでいよいよ激情が高まることはしばしば。
 自分の発言が招いた結果なので、行為責任を取って辛抱強く話が終わるまで聞き続けなければなりませんでした。

 発言には注意しろ!
親からは直接的によく言われました。
そして、実際注意が必要でした。

 だから、
どんな風に発言するか、説明するか、
このタイミングか、今は止めとくか?
受け入れられそうなら、次に進むが、どうか?

 そんなことを常に意識を向けながら、親と関わっていたのです。

 必要なことを、最適な言葉で、順序立てて、言葉にして、分かってもらう。

 こうして私の説明力は上がっていきました。
発話に慎重な心性も出来上がっていきました。
  


2015年05月18日

子どもの頃から説明力がいりました

 私聞風坊は、説明好きです。

だから、説明力はわりかしあります。

 会話や講演や書類や書籍の要点を捉まえて、かみ砕いて伝えることが、
習い性になってます。

 そのせいか、私に説明を求める場面によく出遭います。
解説がなかなか上手なんです。

 そんな私なので、子どもの頃はよく知らないことでも平気で説明してました。
知ったかぶりでしたね。 ぷ 赤面

 実は、この説明力。
結構必死で習得したんです。

 なぜなら、我が親に対して、説明せねばならなかったからです。
しかも、一つ一つ、かみ砕いて、相手の理解を待って次に進むという手間暇かけて。

 ということで、普段から家族のことは詳しく語らないようにしていますが、今日は少しばかり話させて下さい。

 親は、相手の言いたいこと(コンテキスト)に焦点を当てるのが苦手みたいで、
会話や文章の中の、自分が気になる言葉・フレーズに注目し、それで文意を組み立てます。

 このことを上手く説明できるか分かりませんが例えば、

 スーツ 昨日の大雨で地盤が緩んでいます。通行の際はご注意ください。
 と、テレビのアナウンサーが言ったとしたら、

 → 昨日? 晴れてたよね。このアナウンサーおかしい。となったり、

 → 土砂崩れが起きたんだ。恐い! となったり、

 → 地球温暖化のせいだから、政治が悪い。となったり、
するのです。

 聞き違いは誰でもよくあるでしょうが、文意の読み違いはどうでしょう?
加えてここで大事なのは、その後どうなるか? なんです。

 アナウンサーの言ったことを聞いて不機嫌になった親は、スイッチが入ります。もう不機嫌が止まりません。都合、挙動が極端になります。

 ちっ、ちっ、ちっ 昨日は晴れてた! ということをその後10分15分、時によっては、翌日も言い続けたりします。

 大泣き 土砂崩れが起きた! ということですっかり怯えてしまい、家族が外に出ることを止めようとします。

 クレイジー 政治の悪口が半日続きます。

 一緒にいる私にとっては、この状況はとてもまずい。恐怖であり、危険です。
だからなんとか平和に戻そうと稚拙な語学力を駆使して必死に説明をしようとします。

この記事続く。
  


2015年05月16日

生きることはテレビを観てるような感じ 2

前記事の続きです。

 私聞風坊は、テレビや映画などの映像から多くを学んだのでした。
だからか、私にとって、一番親近感のある人たちはテレビや映画の中の人たちなんだって気づいたのです。

自分は茶の間にいて、二次元の画面の中の人たちと関わる。
 登場人物をモデルにするけど、
 画面の中のその人たちと
  握手もハグもない。
    肉体は触れあわない。
   同じ空気を吸わない。
 咳エチケットを気にする関係ではない。

 親近感はあるけど接触しない。
愛着を感じる人とは(物理的に)近づかない。
 むしろ思いをはせる形で(空想の中で)近づく。

 どうやらそんな風な関わり方になじんでいるようです。

 これ、
リアルな人間関係にも通じてるようです。
共感もするし、心配もするし、応援もするし、一緒に楽しむし。
 それでいて一定の距離を置いて近づかない。

 誰かが誰かと幸せになるのは嬉しいし、
 誰かが誰かとケンカするのは不愉快。

 共感しつつも見守る感じ。

それは、
 テレビの中の人たちのドラマを見守るのと同じ感覚。
私と誰かとの間には、液晶画面や銀幕があるかのよう。

 それはまるで、
 テレビや映画の登場人物と付き合っているよう。
別世界の者同士が関わっているかのよう。

 社会と距離を置きたい世界中の人。
のうちの幾ばくかは、同じような感覚を持ってるかもしれません。
  


2015年05月14日

生きることはテレビを観てるような感じ

 あんた、映画が好きやね。

 中学の頃、母に言われた一言です。
この時、自分はあぁ映画が好きなんだ。と確認できました。

 確かに、子どもの頃からテレビや映画をたくさん観て育ちました。
テレビや映画からいろんなことを学んだんです。

 例えば、
 アメリカのテレビ番組では、
レディーファースト。男女や人種や年齢による差別はいけないこと。
バンパイアやミュータントやいろんな人の立場に立つことが大事なこと。

 ジャッキー・チェンの映画では、全身で激しく泣いたり笑ったり自分の気持ちを全身で表すこと。

 アニメでは言葉遣い。ちなみにガンダムやイデオンなどの富野作品の言葉遣いは、日常では使いづらいですね。

 NHK教育テレビでは、XやYの使い方。を小学生の頃に覚えていました。が、もちろん数式計算はできませんした。万歳

 あ、こうやって、話しかけるんだ。
   こうやって応えるんだ。
  こんな時は、嫌な気分になるんだ。失礼なんだ。

 「1人にして」って言っていいんだ。
   最初に「すまないけど」って一言入れると相手の意向に添わないキツいことも言えるんだ。

 そんな風に、私にとってテレビや映画は、社会勉強の大切なツールでした。

 今でも、テレビが大好き。最近はパソコンで観られる動画番組も大好き。
時間のある時に、撮りだめたシリーズものの一気観がこのところの贅沢です。チョキ

 さて、ちょっと前に、いつものようにテレビを観ていたら、ふと気づいたんです。
リアルな生活でも、このテレビを観てるようなスタンスだなって。

 テレビを観る時は、昔から、画面に合わせて身体が揺れてました。
 アクションシーンでは、俳優さんがパンチを食らうとパーンチ自分ものけぞるし、
 イタイ目に遭うと大泣き自分の身体をさすったり押さえたり。

感情移入もするし、
 共感もするし、
   激しく心も動くし、※最近はホントに涙もろくなって泣き
 我がことのように本気で悩むし。悔しがるし。喜ぶし。

 私にとって、一番親近感のある人たちはテレビや映画の中の人たちなんだって気づいたのです。

この記事続く。
  


2015年05月08日

布団の暖かさを知らないのです。2

 前記事の続きです。

 子どもの頃から周りの大人に合わせて生きて来ると、一般の感覚とはだいぶ違うことが多いのです。


 → 子どもの頃を思い出して、○○してください。
思い出すと、頭がボーッとして、知らずゲンコツを握り、肩をすくめます。
だから、○○ができないのでした。
 今でも、このフレーズは苦手。

 → 実家の味。久しぶりにお母ちゃんの手料理でも食べておいで。
ムリ。
このフレーズ聞いただけで頭が混乱してきます。
 ものすごく頭を使って、親がキレない言動を選んで会話しながら食べていたので、今さらそれをやれといわれてもムリなんですね。
 有史以来喜びの象徴である食とトラウマが関連してるのって、とてもキツいけど、ありがちかもしれませんね。

→ 関連で。 初めて買ったCDは?
 CDじゃなくてレコードだったという点ではなく、ちっ、ちっ、ちっ
 歌謡曲と野球が心底大っ嫌いで、ちょっとでも見たり聞いたりするとキレまくる家族がいたので、テレビマンガのLP版レコードなら安全だろうと買ったのが最初。
 宮崎では放送してない番組の歌が多く、都会ではこんなテレビをやってるんだと憧憬も交じりつつ新鮮でした。

 自分の望みを叶えるのに、まず周囲と折り合いが付くかどうかを何度も何度も吟味して、完璧な対応を心がけていたのですね。
今でもこの癖は抜けません。

 こんな風に、
 子どもの頃はリラックスできない環境だったので、
子どもの頃のように。という喩えを出されると、一気に緊張が高まるという
 久しぶりのカミングアウトでした。
  


2015年05月06日

布団の暖かさを知らないのです。

 社会一般的に、
子どもは自分の好きなようにのびのびとしていて、
 大人になっていくにしたがって、子どもの頃の素直さやまっすぐな気持ちを忘れていく。
という常識がありますが、

 実のところ、大人になって、ケアを受けて、始めて、自分の好きなこと、嫌いなこと、うれしいこと、嫌なこと、自分の素の気持ち、
自分の素の状態を知る人は多いのです。

 つまり、
子どもの頃は、自分の気持ちに素直ではなく、周りの大人に合わせて生きて来た人は多いということ。

 私聞風坊もその一人。

なので、

→ 冬の朝、暖かい布団の中でずっと眠っていたい。
というのが分かりませんでした。
 眠るということはとても危険なこと。布団の中にいては、周りで何が起きているかよく分からないので、危険への対処が遅れる心配があり、
おちおち寝てはいられなかったからです。
 すがすがしい朝の気持ちよさ。というのもよく分かりませんでした。だって、これからつらい1日が始まるんだもの。

 大人になって一人暮らしして、寝てても誰も怒鳴り込まないことを、2、3年確認して、やっと少し分かってきたような記憶があります。

 ついでに言うと、テレビでよくある寝起きにう~んと背伸びするシーン。アレがよく分かりませんキョロキョロ
 学校の先生や研修の講師が気分をスッキリしましょうと背伸びの運動をすることがありますが、
それで気持ちいいと感じたことは実はありません。
 気持ちよさ。というのがよく実感できないのですね。

この記事続く。
  


2015年02月26日

スミマセンや、やんなきゃと思うとき

 今日は、Web家族教室先生の立場から一転、当事者本人の立場に戻っての記事です。

 私は、子どもの頃から、なんとなく「悪いなぁ」という思いを抱いていたり、
自分が「やんなきゃ」という気持になります。

 幼い当時は意味が分かりませんでしたが、小学校の通知票には、責任感が強いと書いてありました。
今にして思えば、なるほどの評価です。

 一方、悪いなぁというのはどういうときに感じるかというと、

 自分が相手にお願いするとき、
つまり、
 自分はこうしたい、こうして欲しくない、という自分の欲求を伝えるとき、
 さらには、それに相手が応えてくれたとき。

 それは、ここにいてゴメンね。という場合もあります。
ここにいたいからいさせて、場違いかもしれんけど。

 さて、
昔、この思いをどんな時によく感じたかと考えると、

 親がいつものようにケンカして、子どもがいるから離婚できないと大声上げたとき。

 毎日弁当を作るのがとても苦痛だと親が言ってきたとき。

 給食着や体育着の用意にヒステリックな声を挙げたとき。

 学校に行かせてやってるのに。とため息交じりに親が言ったとき。

 家を燃やしてやりたいと思うけど、お前たちがいるからそれができないと親から悩みを打ち明けられたとき。

 あぁ、自分がいるからできないんだ。
 自分がいるから悪いんだ。ゴメンね。
 そう思ったものです。

 だからでしょう。
 子どもの頃からずっと今でも、外出先から戻るときは、家が無事にあるのか不安になります。

 また、そんな家から逃げたくもあります。
 でも、それはいけないことなのです。
 それに、逃げたとしれたらその後どんな危険が待ち構えているか。
 そもそも実際問題として、幼い子どもには不可能なこと。

 そんないろいろな思いがからまって、
 家から逃げたくてスミマセン。
 家にいなくて、学校にいてスミマセン。部活やっててスミマセンと思うのです。

 こもる人が家から出ないのは、
家の安全を見張っている。
 とか、
出てはいけない。
 という無意識の思いもあるかもしれませんね。

 そして、
このスミマセンの思いを打ち消すためにでしょう。

 やんなきゃパーンチ と思いました。

親のため、家のため、自分のため、
生きるために、
嫌なことでも、望まぬことでも、
嫌いなことでも好きになって、
一生懸命に努力して、
将来のことなど考えずに、ひたすら問題処理。課題遂行。

 そのために、
学校に行き、
家の手伝いをし、
必要な学問をし、
必要な人間関係を築き、
必要なスキルを身につけました。

 自分の欲と社会のニーズの折り合いをつける術を身につけました。
一番目は無理だとしても、第2、第3の欲求なら社会に受け入れられやすいことを知りました。
 決して私の一番の望みは叶わない。そういう信念を無意識に持っています。
これ、TAの脚本プロセスの一つですね。
 
 もし、
 一般的には、罪責感や罪悪感として知られるこれらの思いを常日頃感じるのならば、
 その源泉は、過去の交流にあるかもしれません。

 今の苦しみの始まりを知ることは、心の重荷を取る第一歩です。

 少しばかり罪悪感や罪責感が減ったとしても、
私らしさは、びくとも動きません。
  




【お知らせ】
これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
別サイトになります。こちらもご覧下さいませ。


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