当事者運動の腹構えの話

2018年03月25日

 当事者活動人(とうじしゃかつどうじん)という新しい人間ジャンルで活動している私聞風坊は、

 当事者活動・自助グループの先輩たちから学んだいろいろなことを肝に銘じてやっています。

 その一つが「配慮」です。

 自分が親や教師や友人や家族や支援者などからされたこと。

 そのために、夜も眠れず悪夢を見て、昼も人と関わりづらく、恐怖におびえて暮らす日々を送っていたとしても、

 活動するにあたっては、その人たちへの最大限の配慮を忘れないようにする。

 のですね。

 当事者活動の主軸は、体験を語ることになるかと思います。
 発話で語るか、文字で語るか、語り方はいろいろあるでしょうが、

 話の内容は、自分の苦労・困難についてのこととなるでしょう。

 そして、その困難に強く関連のある人々の話にもなるでしょう。
 それは、おおむね、親や教師や友人や家族や支援者など、自分とかかわりのあった人々でしょう。

 話の内容は、その人たちを批判する意味合いが少なくないでしょう。
 時に批判がほとんどになるかもしれません。

 今、自分への理解者が現れ、社会が体験談を求めていて、自分も話したくて、それが社会に貢献することだとして、

 語りをはじめとする自分の言動が、
 
 自分に関係する人たちや

 親や教師や友人や家族や支援者たちや、

  その人たちの親や教師や友人や家族や関係者

 に与える影響をちゃんと考えねばならないと考えています。

 やっと自分の苦しみを言葉にし、聞いてもらえる機会が巡って来たとの喜びから
 怒りや憎しみや、されたことされなかったことの、
 3倍返しの非難や批判や侮辱やらの怨讐を語る口調になることはままあります。

 しょうがないんです。恨み溜まってるんだもの。
 そして、
 憎しみも悔しさも恥の感覚も悲しみも。

 でも、こんな形での表現は、破壊しか生みだしません。
 過去の復讐だからです。

 もし、自分がされたように相手を傷つけ貶めようとの気持ちが高まったとき、

 かつて自分に害をなしたその人たちには、
 昔も今も
 親や子どもや兄弟姉妹や恩師や友人や、恋人や職場の上司や同僚や後輩や部下、ご近所の人、その子どもたち・・・
 がいるであろうことに思いをいたすことは大切です。

 そして自分にも!
 スーパーの店員さん、隣近所の人、バスの運転手、ネットの友人、職場の上司・同僚・部下、仕事先の人々、学友など、
 支援者、理解者、隣人など、
 自分の今の暮らしに害なく普通に関わる人たちがいることにも。

 自分の復讐欲によって、それら大勢の人たちへの悪影響が起きるであろうことを。
 自分の言動が新たな不幸を生みだすであろうことを。


 復讐としての語りは、
 未来の希望を語っていません。

 復讐してはならない。
 自分が暮らしやすくなるのに役立つことをしなさい。

 グループで、そう学びました。

 当事者運動は、誰かを不幸にするためではないのです。

 日常の営みに希望を見出すためなのです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(2)自助グループ

謙虚さが大事だということを学んだ話

2018年03月20日

 かつて自助グループでともに気づきを得ていた頃の話です。

 そのグループでは「謙虚」ということが最大の価値の1つでした。

 ワレガワレガで自分頼みで生きてきた私聞風坊と仲間たちにとって、

 それはとても真新しい心の姿勢でした。

 だって、我を強くしないと家族から侵略されちゃうんだもの。

 控えめとか謙虚とかって引き下がっていては安全でいられないのだもの。

 親の代わりに自分がなんでも責任を果たさねばならないから、自然と思い上がってくる。

 だって、それぐらいじゃないと、家庭でやってけないのだもの。

 ところが、
 そのために息苦しく、人の世で暮らすことに困難が生じていたのです。

 生き延びるための手段が、生きづらさを生みだしていた。

 これを変えるために必要なことが「謙虚」であることだったのです。

 謙虚に、自分のやったことを振り返り、

 謙虚に、他者の言葉に耳を傾け、

 謙虚に、自分がやれなかったことを受け容れ、

 謙虚に、自分がやらかしたことを認め、

 謙虚に、自分の問題と向き合い、

 謙虚に、他者から学び、

 謙虚に、自己主張し、

 謙虚に、暮らす。

 私聞風坊の当事者活動の根源には、この教えがあります。

 おごらず、現実を引き受けて、自分にできることをし続ける。

 当事者運動の基本と思っています。   
タグ :当事者運動


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)自助グループ

そのままの私に価値があると気づく話

2017年11月12日

 今回は、自助グループの恩恵の話です。

 ミーティング主体の伝統的自助グループでは、

 自分に正直になることが求められます。

 虚勢を張らず、

 自分の弱い面も受け入れて、

 失敗したこと、

 できなかったこと、

 望ましくない行動をしたこと、

 を、

 成功したこと、

 できたこと、

 望ましい変化をしたこと、

 と同等に価値を置きます。

 すべては私のことだもの。

 そんな思いからです。

 自助グループでは、日常、フツーの暮らしの中に、自分をよくしていく気づきを求めます。

 だから、日常の体験を語り合います。

 日常は、相変わらず悲惨で、どうしようもなく、悩みばかりで、晴れ晴れとしてはいないでしょう。

 価値があるとは思えません。

 それでも、その私の話はしっかりと聞かれ、労われ、心の糧となる話としてメンバーから感謝されます。

 そういう体験をする場なのです。

 別に皆に喜ばれようと思ってしたわけでもなく、

 自分の達成を多少盛り付けて話したわけでもなく、

 フツーの私。

 そのままの私。

 右往左往しながら暮らしている日常のこと。

 を正直に話しているだけ。

 そこに価値を置かれる場。

 それは、

 そのままの私に価値を置かれる体験となります。

 すると、
 私は、そのままで価値があるんだ。

 期待に応えるよう頑張って価値を上げなくてもイイんだ。

 そんな思いを持ちます。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)自助グループ

自助グループは拡大再生産を目指さない。

2017年10月12日

久しぶり自助グループの話です。

私が経験した伝統的ミーティングを主体とする自助グループは、

社会に訴える活動を主軸にすえません。

 そのため、
一部の当事者活動団体がやっているように、

自分たちの困難を広く知ってもらうためにイベントを行ったり、

マスメディアに露出したり、

広く知ってもらう活動を極力控えます。

都合、メンバーを増やすための活動も控えます。

メンバーが増え、所帯が大きくなり、グループがたくさんできることを目指しません。

もちろん仲間が増えることは望んでいますが、

そのために直接的な行動はしないのです。

 なぜなら、
外にうったえかける活動のために、自分の変化と成長が置き去りにされるから。

自助グループでは、自分を変えることを一番重要視しています。

 だから、
 他人を変えたり、社会を変えたりする余裕があるなら、

 もっと自分をよくするにはどうすればいいかを考えなさい。

 と厳しく指摘されます。

 このように、
広く世間に訴えかけ、生産量を上げ、利益を拡大する拡大再生産と呼ばれる消費社会のモットーは、

自助グループでは採用されていません。

自分をよくする。

それが結果的に社会を変えることとなる。

 他者を変えずに自分を変える。

こういうゆるぎない信念にもとづいて活動するのです。

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)自助グループ

自助グループの恩恵は与える能力に気づくこと

2017年09月30日

自助グループの恩恵の話です。

これまで、自分の体験を聴いてもらえる喜び、

つまり「他者から何かしてもらう点」を強調してきましたが、

一転、

自分は、
メンバーやグループになにかを与えることができるんだ。

ということに気づく場でもあるのです。

ミーティングでは、自分の日常体験を語るのですが、

それは、日常生活の工夫であり、ふとした気づきであり、自己洞察であり、ちょっとした失敗であります。

それらの話、自分の日常体験が、聞き手であるメンバーの成長の役に立つのです。

おぉ、そうやって工夫すればイイんだ!

あぁ、すばらしい気づきだ! 人は気づいて成長できるんだ。

そうだなぁ。自分にもそんなとこあるなぁ。

みんな失敗してるんだ。それぐらい当たり前なんだ。ほっとするなぁ。

そうして、自分の変化と成長に役立つものだけ持って帰ります。

自助グループには、与えることともらうことが同時にあります。

ギブアンドテイク。

自主的な提供とそれを自主的にもらって役立てる。

提供できる喜び。
価値あるものを与えることが出来る喜び。

それらを感じることが出来ます。

自分には、他人様に与えるほどの財産はない。
と思っている人には、ビックリたまげる経験です。

そんな自助グループの恩恵の話でした。


  
タグ :与える


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)自助グループ