親は変わりたくないのだから子どもこそ変わるべきだと思っているのだから

2021年01月12日

ひきこもりや不登校の親の人と話す機会が割とあります。

その時、よく思うのが、

あぁ、変わりたくないんだぁ。

です。

私は変わりたくない!

子どもに変わってほしい!
子どもこそ変わるべきだ!

だって子どもの人生だもの!

って思いが強く感じられます。

一方の子どもはどうかというと、親と同様な感じです。

親のせいでこうなったんだ。
親こそ変わるべきだ!
変わるのは自分じゃない。

双方同じ心理。
まさに親子!
って感じです。

どちらも相手に期待して自分は動かない。
自分の望む状態は相手次第。

これが、8050の一因と思っています。

最近、
『敏感すぎるあなたへ 緊張、不安、パニックは自分で断ち切れる』(クラウス・ベルンハルト 平野卿子訳 CCCメディアハウス 2018)
を読みました。

ネガティブなことばかりしか考えつけない脳の神経回路がとても多く太く強くなっていることから今の悪い状態が続いているので、
ポジティブなことをあえて考えそして体験することで、ポジティブな脳神経回路を開発することにより、心と身体の状態がとてもよくなることが書かれていました。

納得することたくさんの本だったのですが、その中で特に気をひいた一節があります。
アインシュタインの言葉として数回引用されています。

何もかも元のままにしておきながら、何かが変わると期待することほど、愚かなことはない。
(p2)

です。

変わりたくない気持ちの奥には、本を読んだり相談に行ったり講演を聞き学習会に参加し、今まで何十年もさんざん変わろうと努力してきたのに、子どもが思う通りにならないという諦めの気持ちがあるはずです。
※子どもの側に立つと、小さいころからさんざん必死になって叫びながらも(親に)言ってきたにも関わらず~となります。

そんな気持ちに寄り添いながら、
痛みを癒しながら、

子どもを変えるという気持ち、それこそを変える手伝いをするのが支援なのかなと思いました。

だって、
変えられるのは本人だけなんだもの。
この事実を受け入れられるように支え助力する。
それこそが、心の平安への早道であるのだから。

  


虐待を受けて大人になった人のためのケアの本を読んだのでした

2020年10月12日

『児童期虐待を生き延びた人々の治療 -中断された人生のための精神療法-』
(メリレーヌ・クロアトルら著 金吉晴監訳 星和書店2020)
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn1001.html

を読んだのでした。

子どもの虐待については、やっと取り沙汰されるようになってきた昨今ですが、
子どもの頃に虐待を受けて今は大人になった人については、まだあまり取り沙汰されていません。
特に、その治療・ケアとなると、とても資源が限られます。
現在の子どものことについても十分じゃないのだから、大人になった人のケアについてはより不十分というのは仕方が無いのかも。

トラウマケアについても、
事故や災害などのケアは進んできているのですが、長い期間をかけて未治療のままの虐待・逆境体験のトラウマケアについてはまだまだなんです。

本書は、そんな大人のためのケアの貴重な一冊です。
大人になって苦労することに焦点を当てて、ケアプログラムが開発されたようです。
だからとても助かる。

大人になって苦労すること。
それは、
感情調節と誰かと何かをやっていくこと。

つまり、
自分の気持ちの扱いと、他者との関わり方、ちょうどいい振る舞い方。
が分からずに、または上手にできずに苦労するんです。

そうなんです。
私聞風坊も、結局のところこの2つにとっても苦労したんです。
今でも。

気持ちの調整がつかないということでどんな風に困るかというと、
身体が言うことを聞かなくなるんです。

うれしいことに出会ったとき、
嫌なことに出くわしたとき、
過去のことをふいに思い出したとき。

身体が動かなくなったり、
あたふたしたり、
動きすぎたり。

なんだかとてもおかしな状態。
いわゆるパニック状態になってしまうんです。

これが、
感情で身体がいっぱいいっぱいになって、感情に身体が振り回された状態であること。
だから、
今感じている感情を知り、身体を落ち着かせることが先決であること。
を知ったのは最近と言えば最近です。

心と身体の調和を保つためには、マインドフルネス瞑想が推奨されています。
今ここの自分の気持ち、身体の状態に思いをやり。ただ受け入れる。

身体が落ち着き、心が鎮まってきたら、どうすればイイかを落ち着いて検討して実行する。
穏やかに穏やかに。それで大丈夫だから。怖いことは起きないから。起きても対処できるから。

実行にあたっては、社会的スキルが必要です。
子どもの頃に虐待を受けて育った大人はもっぱら虐待する相手にのみ関わってきたから、そうじゃない相手に対しての関わり方が十分に身に付いていないんです。
心構えというか、気の持ちようというか。
どうすればいいのか戸惑ってしまう。

身体や心への暴力がともなわない人間関係での関わり方を知らないから。
つい攻撃的になったり、身構えたり、すぐキレて立ち去ったりする。
それしか知らないから。

つまり、
人との交流のパターンがとても少ないんです。
だから、このパターンを増やす練習が必要なんです。

『こもってよし!』や『親を育てるひきこもり』に記した記録は、まさにこの練習の軌跡です。
親以外のフツーの人々、虐待環境でないフツーの社会環境で生きていく術を大人になって身につけていく過程の記録です。

さて、社会参加、人との関わりのポイントは、”パワーバランス”と指摘されています。

相手のパワーと自分のパワーのバランスを考えて、振る舞い方を変える。替える。
それが社会でやっていくコツなんだ。
そんなことを伝えているようです。

これを知らないんです。
教えてくれる大人がいなかったから。

だから、
振る舞い方を間違えて痛い目に遭ったり、白い目で見られたり、空気を読めずに浮いてしまったりするんです。

今どんな風に振る舞うべきか?

職場の上司の意見には基本的に従う感じて。
異見を言うときは慎重に。

友人同士ならそんなに構えず。正直な気持ちを伝え合うように。
とはいえ、ネガティブなことは慎重に。

相手と自分、その場の雰囲気を感じ取って、適切に振る舞う。
時には沈黙。時には雄弁。時には親しく。時には他人行儀に。
時には気持ち重視。時には理論重視。
時には優しく。時には厳しく。

たくさんの振る舞い方、豊かな交流の仕方があります。
これらを身につける必要があります。

自由に、ストレス少なく暮らすために。

そのあと、

そのあとなんです。

トラウマと向きあう。
いわゆるトラウマ処理をするのは。

リソースなんて言いますが、今ここでそこそこ安全で安心で自信をもった暮らしができるようになってから、
過去の苦痛な体験について語るのですね。
ナラティブと言われています。

以上ざっとした説明ですが、
当事者の困難にとことん寄り添って作り上げられたプログラム、手順が丁寧に紹介された本でした。
よろしかったらお手元にどうぞ。


  


逆境的小児期体験ACEについて知ったのでした 2

2020年10月08日

『小児期トラウマと闘うツール――進化・浸透するACE対策』(ナディン・バーク・ハリス著 片桐恵理子訳 パンローリング社 2019)
https://www.panrolling.com/books/ph/ph95.html
を読んだのでした。

その感想の2です。


子どもの頃に暴力や虐待などの逆境体験をした場合、それが人体に悪影響を与えて、心と身体の病気を大人になっても引き起こす。
それは、人類共通の反応であり、人類のほとんどが逆境体験を経験している。
だから、早期発見し、影響を見極め、必要なケアを行う。
それが社会で標準化される。

これが、
逆境的小児期体験・ACE(Adverse Childhood Experiences)研究を中核にすえた医療実践している著者の願いでした。

血液検査でガンマGTPが高かった。標準体重をだいぶ超過し、血圧も高かった。
だからまずはお酒を控え、食生活指導を受け食事を改善し、運動のプログラムに参加する。
それで効果がないなら降圧剤の服用も考える。
加えてACEスコアが4点以上だったから、逆境的体験の回復プログラムも取り入れる。
そんな感じでかなとイメージしました。

さて、私が注目したのは、
逆境的体験の一言でした。

これまで、子どもに対する悪い影響として取り沙汰されている事柄は、

虐待、
望ましくない養育であるマルトリートメント、
体罰、
いじめ、
が多いのですが、

これらは、
ぜんぶ加害行為に焦点が当たっています。
害を受けた子どもの側よりも。

害を与える行為はダメです。
という視点です。

そう言えば、
有害図書もそうですね。
害のある図書。焦点は図書です。子どもではない。

一方で、
逆境的体験となると、
体験した側に着目しています。

その子が、逆境に遭遇した。
逆境を体験した。
逆境を体験したのはその子。

害を受けた、害を受けている人にまなざしを送っている。
害を加える行為や、害を与える人ではなく。

この視点が、新鮮でありとても強く心を動かしたのでした。
そして、
すでにもう研究がだいぶ進み、支援に取り組まれ、成果を上げていることも、大きな喜びでした。

とはいえ当地でもまだまだの様子。
子ども時分に手当てされる人は多くなく、
大人になって、いわゆる成人病や大きな病を得てから、初めて子どもの頃の逆境的体験を思いやられる人は少なくないようです。

ましてや日本では?

そんなことを思ったのでした。


  
タグ :逆境的体験


逆境的小児期体験ACEについて知ったのでした

2020年10月04日

『小児期トラウマと闘うツール――進化・浸透するACE対策』(ナディン・バーク・ハリス著 片桐恵理子訳 パンローリング社 2019)
https://www.panrolling.com/books/ph/ph95.html
を読んだのでした。

虐待などのトラウマが与える悪い影響と言えば、
精神的な不調ばかりが注目されがちです。

ところが、
身体の不調もその影響が大きいようなのです。
※経験者は薄々気づいてます。

ACE研究はこれを明らかにします。
逆境的小児期体験・ACE(Adverse Childhood Experiences)研究。

これによると、
家庭内の虐待に限らず、犯罪が頻発する環境や、貧困によるストレスなどの環境面の影響が、
低体重や喘息など子どもの心と身体に悪い影響を与えていて、
その影響は、大人になっても、そう、一生つきまとうのだそうです。

大人になってから、
食習慣から糖尿病や肥満による高血圧や心臓や血管の障害などの病気になったり、
喫煙習慣から肺の病気になったり、
アルコール摂取習慣から依存症やいろいろな病気になったりすることも、
自己免疫疾患や甲状腺などの病気も、
子どもの頃の逆境的体験の影響があるようなんです。

逆境というストレスが、
人のストレス反応系(免疫系・ホルモン系・自律神経系など)に問題を引き起こし、それが長年にわたって、ときに一生、影響を与え続ける。

そういうことから上記の身体・人体の病気の治療や予防に、
ACE研究の知見を取り入れると、効果てきめんなんだそうです。

さて、
この逆境的体験ですが、ACE研究は、
逆境的体験は、人種性別国籍地域困窮富裕などに関係なく
ほとんどの人が経験していることを明らかにします。
そして、
体験の数が多いほど人体に与える影響も大きくなるとか。

逆境は人体に甚大な影響を与える。
のですね。

だから、
子どもの段階で逆境体験を発見し、早期ケアを始めることが重要と指摘します。

もちろん、
大人になってからでも、現病気の原因でもある逆境体験のケアを始めることが現病気の回復に役立つ!

そのために、
逆境体験のチェックリストを作り多くの医療福祉機関で活用しているのだそうです。
最初の段階(予診・問診)でチェックを実施するようです。

逆境は人体に甚大な影響を与える。

人類共通の仕組みゆえ。

実は、
私聞風坊のひきこもり研究も同じ視点・仮説に基づいていました。

人は誰でもこもる。

この仮説を実証したくてずっと研究してきたのでした。
成功すれば、老若男女人種国籍などの区別なく、こもるほどの苦痛体験の解消・軽減の道筋が見えるだろうと予測したからです。

その結果、
身体反応という結論に達しました。

人類共通の反応。
問題。
そして課題。

となれば、何が起きるか?
または何が起きないか?

その第1に挙げられるのはスティグマだと思っています。

実のところ、幼児期のトラウマ体験は、
その人を特殊な経験をした人にしてしまいます。
これが、
特殊な人という烙印・スティグマを押すことになるのです。
そうなるともうその人はフツーの人ではなくなります。
ひきこもり界では、
当事者論が盛んですが、これもこのスティグマとの葛藤から来るものと思っています。

障害者・(性)被害者・というスティグマと戦っている人たちも思いは同じでしょう。

トラウマ体験をすると、
逃げる努力が足りなかったから。
注意を怠っていたから。
無力だったから。
快復に力を入れてなかったから。
なんて、自分を責めがちなんでです。
他者からも非難を受けることも少なくありません。
支援者からですら。

そしてそれは、自分のことを
弱い、人と異なる、人に受け入れられない、
特殊な存在として認識することにつながります。
こうして、
自分でスティグマを押し、他者からも押されます。

逆境的体験に対処するように人体が反応して、
それが長期間にわたり心身に影響を与えている。

これは自然な人体の反応なんだ。
この反応は人としてフツーの反応なんだ。

自分の身体に何が起きているのかが分かれば、何をすればいいのか、何をしなくていいのかは明らかになります。

人類共通の反応であることが科学的根拠に基づいて解明されれば、

苦痛から解放される道が開かれるのです。
スティグマからの解放とともに。

そんなことを思った一冊でした。

  


どのように戦争を記憶しているかは国によって違う話

2020年08月12日

『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話』(キャロル・ブラック 講談社現代新書 2019)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000321621
を読んだのでした。

私たち日本では、先の戦争と言えば、太平洋戦争と答えることが多いかもしれません。
でも、平成を経て、令和の今では、アフガニスタンとかシリアという若者もいるかもしれません。

太平洋戦争については、
世界的には第二次世界大戦(Worl War Ⅱ)と呼ぶのが一般的らしいのですが、私の上の世代では大東亜戦争や日米戦争とも呼ばれていました。

太平洋を中心とした戦争と記憶されているか、
世界全体が戦争してその中の一つとして記憶されているか、
大東亜共栄圏確立のための戦争と記憶しているか、
アメリカと戦った戦争と記憶しているかの違いから、
呼び名に違いがあるのでしょう。

始まりと終わりについては、
12/8は、国力の差が歴然としている米国に国の存亡をかけた乾坤一擲の奇襲攻撃をかけた日として記憶されているでしょうか。
そして、終戦の8/15は、戦争が終わって平和な世界が到来した最初の日。
戦争被害から回復して新しい民主国家が興った記憶の始まりとして認識されているかもしれません。
戦争が終わったというか、新しい日本が始まったという記憶の方が強いかもしれません。

そして、
どちらの方が強く記憶されているかというと、取り上げられる多さから言って、終戦の方のようです。
私たち日本人は、終戦について強く記憶しているようです。

一方で、日本から占領された国々は、開戦日は占領という屈辱が始まった日として記憶されているでしょうか。
終戦日は、その屈辱からの解放の日であり、戦争は解放のための戦いの日々として記憶されているかもしれません。

アメリカの記憶は、12/7のパールハーバーでの初戦でしょうか。
戦争の記憶としては、理不尽な攻撃を受けて劣勢を強いられて、そこから一致団結して立ち上がり見事自由陣営の勝利をもたらしたとなっているでしょうか。
終戦は、アジアに新しい自由民主主義の国を自分たちが作りだした始まりとして記憶されているかもしれません。

または、年代によっては別の戦争の記憶が想起されるかもしれません。
ベトナムで戦った別の戦争を思い起こし、
それは敗戦の記憶として思い出されるかもしれません。

いくつもの戦いを経験しているアメリカでは、
どの戦争の記憶かで、世代が分かるかもしれません。

交戦した国同士で、その戦争に対する記憶が違うとき、
互いの国民の感情は、相容れないものになるでしょう。

さて、
ある出来事の記憶が、立場によって違うことが、引き起こす問題は多いようです。

あれはしつけだった。
という思いの親。

あれば純粋に暴力だった。
という思いの子ども。

あの出来事についての記憶が違うことは、わかり合えなさにつながります。

それは、言いようのない悲しみをもたらします。
記憶の仕方が違う。
それが要因で相互理解が進まない。
悲しみがもたらされる。

そんなことを思った一冊でした。
  
タグ :記憶戦争


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)本の紹介