2013年05月04日

昼夜逆転はいいの? 悪いの?

 こもることについての一番の話題の一つ。それは昼夜逆転
厳密に言うと、昼夜逆転生活。

ざっぱに説明すると、夜起きていて昼間寝ている生活のこと。

 昼間、人の気配が重圧だから。
    夜静かな時間に起きていたいから。
       寝付きが悪い、夜中悪夢や何やらで目覚めてしまうようなことから、睡眠リズムが逆転してしまったから。
などなどの理由で、

 都合、昼夜逆転した生活となることが多いようです。

 この生活スタイル、ひきこもりの問題行動の代表格ですが、本当に問題のある行動なのでしょうか?

なにごとも「問題」となるのは、自他に害を及ぼすとき。

 ですから、昼夜逆転の生活スタイルが、誰かまたは何かに害を及ぼすならば問題です。

 そこで、問題があるかないか、まず睡眠の面を考えてみます。
 睡眠時間が十分でない、時間は長いが深く眠れていない、
    床について1時間起きたままなどの寝付きが悪い、
        途中で目覚めるなどいわゆる睡眠の量と質が確保されていない場合は問題でしょう。

 人は、充分な休息が取れないと、心と身体の健康を害します。

 逆に、毎朝7時入眠して、午後3時ぐらいに熟睡から目覚め、活動を開始するのならば、
それは夜型の生活スタイルであり、問題はないかもしれません。
 このような生活リズムの社会人は少なくないでしょう。

 次に、誰かと一緒になにかをする社会的生活についてはどうでしょう。
これを実行するには、まず一緒に活動する時間帯が誰かと合わなければなりません。

 現実的に、夜活動している人や社会は、昼間に比べ極端に少なくなっています。
ですから、一緒になにかをする人も、場所も比較的限定されます。

 そして、夜は休息の時間に充てている人が大勢なので、大きな音を立てたり、照明の使用する場合は配慮が必要です。
都合、できることの選択肢が少なくなっています。

 こういう風に、社会と関わる場合においては、問題というかデメリットがあります。

 一方のメリットは、だからこその連帯感でしょうか。
 少ない選択肢の中から、出会えて、一緒に誰かとなにかできる喜びはひとしおでしょう。
 こういうメリットがあると思います。

 さて、こもる生活から社会に再参画する時の大半の場合、

 昼夜逆転生活と昼間活動する社会との、折り合いの付け方が
結構な課題になります。

 だって、生活リズムを一変することは至難の業ですもん。

 そしてもし、寝坊したり、眠れなかったりで、折り合いがつけにくいことがしばしばあると、
いっそのこと社会に参画することをあきらめようかなという気持になりがちです。

 だから、もしそれに変化を加えよう思ったなら、
無理のないやり方をよくよく吟味して、そして実行して必要があると思います。

 新しいスタイルを手にするために、それまで間違いなく必要性のある、そしてなじみのある生活の一部を捨てることになるからです。

 私は、上記のようにメリットデメリットを考えて、どうも自分の望みを叶えるには、
昼間活動するスタイルの方がよさそうだという結論に達しました。
 そうして、昼夜逆転生活から昼間活動生活に、スタイルを切り替えていきました。

 昼夜逆転生活のメリットを手放し、昼間活動生活のメリットを手にしたのです。

 拙著『「親」を育てる「ひきこもり」』には
その様子が簡単なセルフワーク形式で書いてあります。
 よろしかったらご覧下さい。

  


Posted by 聞風坊 at 00:00Comments(0)拙著

2012年08月28日

頭の中のフレーズ

 なにかしようとするとき、または、なにかしようとしないとき

頭の中で、声が聞こえてきませんか?

 といっても「うらめしや~」などという季節がらの怪談話じゃなくて、

わりとよく聞こえる自分を奮い立たせたり、逆に気持ちを抑えたりする声のことです。

頑張れ!
とか、

すぐやれ!
とか、

弱音を吐くな!
とか、

やめとけ!
とか、

どうせ無理!
とか、

 意識して頭の中に耳をそばだててみると、子どもの頃から、よく頭の中で繰り返し聞こえるフレーズがありますね。
どうやら私たちって、そのフレーズに従って、行動を起こしたり、止めたり、考えたり、感じたりしているようです。

 さて、もし、そのフレーズがダメだ! とか、気をつけろ! とか、あぁ~あとか、
気が滅入るようなネガティブなものばかりだったとしたら、どうでしょう?

 活き活きと、自信を持って、力強く、他者を信頼して、誰かと一緒に生活するのは、なかなか難しいでしょうね。

 だって、そんなのダメだ! だまされるなよ、信じるな! またダメだった、あぁ~あ…。
という声がひっきりなしに頭の中に聞こえるのだもの。

 そのフレーズにもとづく慎重さ、緊張感が、今まで生きる役に立ってきているのは間違いありません。
そして、そのフレーズの効果がありすぎて、気楽に生きるのを少々邪魔をしているのもまた事実ですね。

 頭の中のフレーズを、肯定的にしてみよう。
というのが、私の推奨する〈「親」育て〉の基本にあります。

 まず最初の一歩としては、このネガティブなフレーズの力強さをちょっとだけ横に流して強さをそぐフレーズを自分に声かけしてみます。

 そのフレーズとは、
「にも関わらず」です。

ダメだと思うにも関わらず、ちょっとだけやってみようか自分。
またダメだったにも関わらず、嫌な気持ちにひたらないよ私は。
 こんな風に。

参照:『「親」を育てる「ひきこもり」』



 

  


Posted by 聞風坊 at 09:20Comments(0)拙著

2012年08月12日

ひきこもりのリアルを伝えたい私

 毎年8月になると、太平洋戦争について考える機会が多くなりますね。
私は、40歳過ぎていますので、戦中派の人から直接戦争の話を聞いた世代です。

 現在も古今東西の専門家による史実の検証が進んでいますが、
誰の話もたどり着く結論は、

 戦争はしてはいけないこと。の一言に集約されるように思えます。

 さて、こもっていた頃、私は、社会との接点をもつために、心身の調子が悪くて多少無理してでも街に出ていました。
そして、映画をよく見ていました。

 印象に残っている1本が、「プライベート・ライアン」です。
ノルマンディ上陸作戦を中心とするヨーロッパ戦線での、アメリカ軍兵士の姿を描いた映画です。

 戦争のリアルにこだわった作品ですが、私の記憶が正しければ、制作者へのインタビューによると反戦映画ということです。
 観客がまさに今、上陸作戦中のノルマンディの海岸にいるような臨場感を持つことで、恐怖と嫌悪感をもってもらおうと意図したのだそうです。

 的中でした。まったく怖かったです。痛快さゼロ。戦争はイカン! 本能的にそう思いました。

 実は、拙著『こもって、よし!』は、この経験から生まれています。
 本当に、こもることのつらさ、実体を分かってほしいのなら、リアルに、感情的な表現を控え、ただ描写するように、ひたすら実生活を書くのがいい。

 映画「プライベート・ライアン」のように。
 私はそう決意しました。

 医療関係者や支援者の人が外側から見た「ひきこもり像」ではない、こもる本人が、いわば内側から記録したひきこもりの実像の1つが、こうして出来上がったのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 15:06Comments(0)拙著

2012年07月13日

当事者グループの作り方

 いわゆる当事者グループというのが近年話題に上っています。
家族会、患者の会、被害者の会など、多くの当事者が集って、問題解決に取り組んでいます。
10年ほど前、私も仲間と一緒にひきこもり自助グループを立ち上げました。

 そのとき一番注意したのが、ルール作りでした。
 特に、
仲良しクラブにならないためのルール作りに腐心しました。

 それはなぜでしょうか?

 私たちは、お互い仲良くなるのが難しいと考えたからです。
ヤマアラシノジレンマという言葉がありますが、仲良くなろうと近づくとお互いのトゲで傷つけ合ってしまう可能性が私たちは高いのですね。

 私は、今までの人生の中でこの経験がしょっちゅうありました。
そこで、私と同じ仲間なのだから、この致命的な可能性はあるなと予想したのです。

 傷つけ合わずに、それでいて仲良く、しかも自分たちの役に立つグループであるためのルール。
そんなルールを模索しました。

 注目したのは、自分たちの癖でした。

 私たちの癖は、
 自己主張しない、すぐあきらめる、やりとげない、主体的じゃない、人の意見に迎合する・または反抗する、早とちり、考えがまとまらない、判断に時間がかかる、熟考好き…。
 こんな感じです。

 私は、これらの癖にそったルールを作れば、上手くいくのではないかと考えました。
そこで、グループのルールを作ることを、グループでの最初の協働の作業にしました。

 提案があると、うんともすんとも言わないので、一人一人が感じたことを発言するように司会がやりとりする。
 実現が難しそうな提案は、こういうやり方ならできそうだと実現する方向で意見交換する。
 率直な自分の意見を言うことを奨励するやりとりをする。
 グループの方針が一応の結論に達したら、周知に1ヶ月、試用に1ヶ月かけて、最後検討して本採用と、じっくり吟味する時間をとる。
 などのルールが、ある意味雰囲気として出来上がっていきました。

 与えられたルールに従順に従う癖のある私たちが、自分たちの力で、自分たちの役に立つルールを作っていったのですね。

 こうして、
仲良く楽しくワイワイ遊ぶわけではないにも関わらず、協働の作業をする仲間として活発に交流し、信頼関係を築いていきました。

 「グループでは、メンバーが「子ども」の自我状態にいても、安心して安全に、のびのび活き活きと活躍できるようにルールを作り守るのです。まさに親心ですね。」
                              (『「親」を育てる「ひきこもり」 p56)

 拙著にはこう書きました。TA的な見方をすると、こうなりますネ。スマイル  


Posted by 聞風坊 at 09:47Comments(0)拙著

2012年06月21日

赤裸々なひきこもり本です

 拙著「こもって、よし!」は、私の経験を文字にしておけば、いつかどこか誰かの何かの役に立つだろうと思って、原稿を書き始めたものです。

 ワープロの技能を上げたいという思いもあって、昼夜分かたずキーボードを打ったものでした。
お陰さまでブラインドタッチが出来るようになりました。

 原稿が完成すると、いくつかの出版社、印刷所にメールを送りました。
やがて地元鉱脈社さんとご縁を頂き、
あれよあれよという間に出版となりました。
 今でも、最初の出版打ち合わせのときのドキドキ感は忘れません。

 さて、本の出版には、編集、装丁、販売などなど多くのプロセスがあります。
そのプロセスの分だけ人が関わっているのですね。
 原稿を納めて本屋にならべられるまで、私が書いた原稿を、たくさんの人が本気になって、いいものに仕上げていって下さいました。

正直感動でした。

 あぁ、ここにも私を大事にしてくれる人がいるんだぁ。
しみじみ思いました。

 作業も後半のころ、パッケージの打ち合わせのときの話です。
デザインの方が原稿を読んだ印象で書いてくれた著者イメージの人物画を少々遠慮がちに見せて下さいました。

 小汚くやせ細ってしゃがみ込んでいて、それでいて目はギロッと大きく、親指を立てた片手を天に向けている男の子の絵でした。
 私は、一目見て気に入りました。
 まったく原稿の印象通りの人物画だったからです。
もちろん、実物とはだいぶ違いますよ。でも、心の中の自己イメージはまったくピッタリだったのです。

 なんでもあだ名をつけるのが趣味の私、
さっそく名前をつけました。
 セキララ君です。
 赤裸々に自分を表明して、よし! と言っているのです。

 私聞風坊の心の姿「セキララ君」は、本の帯のはしっこにちょこなんと居ります。
どうぞお気に止めて頂ければ、喜びます。
  


Posted by 聞風坊 at 10:40Comments(0)拙著

2012年06月11日

実は自助グループの本なんです。

 私の『こもって、よし!』は、ひきこもりの実像が赤裸々に書いてある。
ということで、周知されていて、大変嬉しいのですが、

 実は、
自助グループのマニュアルっぽいのを形にしたいなぁ。
 というのが、執筆動機だったのですね。

 依存症系グループでの体験をもとに、こもる人だけで自助グループを立ち上げようと思い立ったはいいけれど、
 何をしたらいいのか、何をしたら悪いのか、暗中模索の中、右往左往した記録を残しておきたかったのです。
 全国には、自分と同じような思いでいる人がきっといるだろう。との思いもありました。

 それで、自助グループのことについて原稿を書き始めたら、さぁ大変、
なんで、そんなこと気にしたの?
 という問いがいくつもいくつもいぃくつも出てきたのです。

 例えば、なぜ実名を明かさないのか? 仲良しクラブを目指さなかったのか? 本人だけにしたのか? などなどなど。

 参加者は自由になんでもしていいフリースペース・居場所がブームだった当時、結構厳しいルールに基づいて実施するグループは珍しかったのですね。
 それでそこら辺のとこも説明する必要が出てきました。

 ということで、前半に、ひきこもっていた日常をつぶさに記すことにして、そして後半にそれらの実体を受けてグループをデザインしたのだと解説するように構成したのですが、
はたせるかな、もっぱらこの部分が注目されて今に至っているようです。
 著者としては少々複雑な気持ちではあります。

 そんな現状を受け入れつつ、拙著が、
 当事者が、当事者意識をもって、自分のことに自ら取り組む自助の精神を広める手助けの一冊になることを密かに祈っている昨今です。


  


Posted by 聞風坊 at 09:05Comments(0)拙著

2012年04月24日

身体が資本のひきこもり

 こもっていて、何をしていたかというと、考えることばかり。

それもほぼ100%苦悶。大泣き

 とりとめのない反省と、侮辱への怒りと、どうすることもできないいらだちの繰り返しの渦の中にいました。
風呂にも入らず、食事もろくにとらず、寝るでもなく起きるでもなくただ悶々と時を過ごしていました。

 そんな中で、時々思います。

おわ、なんがしたいと?
(共通語翻訳:僕は何がしたいのだろう?)

 何も思い浮かびません。
したくないことは山ほどあります。
 でも、したいことは思いつきません。

 ただ消えたいだけ。
そんな気もします。

 こんな生命力のない感じで昼も夜も過ごしていて、ふと気づきました。
爪は伸びるし、髪もひげも伸びる。
ひっかき傷は勝手に治る。

身体は生きようとしてるんだ。
と!

 それから心機一転、身体重視の生活をするようになります。
筋力トレーニングもしたり、とにかくやたらと立って過ごしたりしました。

「身体の邪魔をしない!」と決心したのである。
以後、身体への敬意を払い、清潔を心がけ、中略
身体を痛め付けることを極力控え、養生に専念し、運動などしてからだが健全になるように心がけるようになった。

(『こもって、よし! ひきこもる僕、自立する私』 鉱脈社 p97)

 この結果、体力が復活してくると、気持ちも楽になってくるの不思議。
心身相関なのですね。

 こうして徐々に悶々とした底なしの生活が変化してきました。

 悶々したら、体を動かす。
おためしあれ。
  


Posted by 聞風坊 at 08:54Comments(0)拙著

2012年04月18日

こもって昼夜逆転生活。を変える

 不登校・ひきこもりの話で、必ずといっていいほど話題に上るのが昼夜逆転生活

 昼間寝てて、夜起きている生活様式のことですね。
一般的な生活とは逆なので、逆転と呼ばれているようです。

 さて、生活が昼夜逆転していると、
回復には、または問題行動の是正には、

きちんとした生活習慣から! 
 との号令にしたがったか、昼夜逆転生活は頭から悪いとされています。

 となると、夜の道路工事の人、夜警の人、朝一に新鮮な品を届けてくれる長距離ドライバーの人、深夜営業で働いている人、24時間営業店舗の夜勤の人、病院の当直の人などなど、
 夜に働いている人は、悪い生活習慣・労働習慣になります。
そんなことはありませんね。

 お前(不登校・ひきこもり)の昼夜逆転は悪いが、あの人たち(勤労者)のはいいんだ。
ということなのでしょう。
 でもこれでは納得いきません。なんか矛盾しています。

 そこで、
ほんとに昼夜逆転生活が悪いのか? マジでイケないのか?
 これにつき、こもっている時間を使って自問自答しました。

昼間起きている利益、夜起きている利益は?

昼間起きていることでの周囲への影響、夜起きていることでの周囲への影響は?

昼間起きるとどんな気持ち、夜起きているとどんな気持ち?

目標達成に向けて、どんな行動なら今すぐ無理せずできる?

この過程は、拙著の『「親」を育てる「ひきこもり」』(p77ー88)に詳しくあります。

振り返ってみると、私が自室で1人やった作業は、今話題の認知行動療法のセルフワークと似ていますね。

 でも、私のはTA・交流分析。
交流分析は、思考と感情と行動の連係をとても大事にしています。

手抜かずちゃんと考え、
 ちゃんと感じ、
    そして行動する。

 思考と感情と行動の連係を調整して
ちょっとずつ楽になっていきました。
  


Posted by 聞風坊 at 09:28Comments(0)拙著

2012年04月16日

ひきこもってホッとして

 ひきこもると、いろいろなことからのしばりがなくなります。
というか、身と心を縛り付けていたいろいろなしがらみを断って、
こもるのだから、それは当然です。

 そして、こもるといろいろなことをほんとにたくさん四六時中考えます。
自分でも思う異常なくらいに。

こもっていた頃、そんな状態に、私は内心ホッとしていました。

これで、自分開花に異常な人間なのかが他人にも分かるだろう、~中略~
 でもこれが真実の俺なのだ。こんなに異常な俺が、今まで平静を装って普通の社会で普通に生きるためにこれほどの労苦が必要だったか、少しはこれで想像できるだろう。~中略~
 もはや、普通人を装うことは必要なくなった。~中略~
異常な内面を抱えた者は異常な状態が故郷であり、異常な環境に安らぎを覚えるのであった。
 
『こもって、よし! ひきこもる僕、自立する私』(鉱脈社 p40-41)

 こもるまでの30年間、保育園、小学中学高校大学社会人とフツーの社会生活を送るのに、ものすごく無理をしていたのですね。

 いい子を演じるという言い方がありますが、演じるなんてそんな甘いものではありません。
言うならば、役柄の人物そのものになろうとしているのです。私でない誰かになる限り私は存在していてイイ。
 無意識にそう思っていたようです。

でもそれは、ものすごく不自然なこと。心を壊すほどに無茶なことだったのです。

もう社会で生きなくていい、自分以外の人間にならなくてイイ。

そう思ったから、こもってホッとしたのでしょう。

 私は、
こもって、やっと本来自然な自分自身に、よし!と言えたのですね。
  


Posted by 聞風坊 at 11:16Comments(0)拙著


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