千尋の谷に落とそうと奮起する親に育てられた話

2019年11月15日

 最近気づいたのですが、私の(実の)親は、

 獅子は我が子を千尋の谷に落とす。

 の言い伝えに従って、

 子どもの邪魔をする、

 子どもが失敗するようにする、

 そうして、
 子どものやることなすことをめちゃくちゃに破壊するのが、

 親の役目だと思っていたようです。

 そこから自力で復活することでこそ、

 独りで生きる力が獲得できる。

 みたいなことを折りにつけ言われていました。

 親にとっては養育法のつもりなのでしょうが、
 私にとっては、ただの人生破壊行為なので、
 だんだん親とは関わらなくなりました。

 結局、
 自力はついたのですが、親との愛着関係は育まれませんでした。

 どうやら親は、
 親子関係を千尋の谷に落として壊してしまったようです。 

 そんなことから、
 子どもの力強い成長のために、
 子どもに強めの負荷をかける養育法の喩えならば、

 壁になる
 とか
 旅をさせる
 とかより適切な言い回しがあるので、

 そっちのイメージでやった方がいいんじゃないかと思ったのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析過去の出来事

自分のお気に入りのアニメ通りに人生を生きているかもしれない話

2019年11月11日

 TA・交流分析には、
 人は子どもの頃に自分がどう生きていくかのシナリオを書いて、その通りに生きる。
 ※セラピーを受けたり大きな出来事があってそれまでの生き方を変えるなどしない限り
 という考えがあります。

 さて、そのシナリオを知るのには、簡単な質問ですむようです。
(『エリック・バーン 人生脚本のすべて』(エリック・バーン著 江花昭一監訳 星和書店 2018)参照)

 子どもの頃、
 好きなおとぎ話は?

 または、

 好きなマンガは?

 アニメは?

 または、

 憧れのヒーロー・ヒロインは?
 

 答えてみます。

 私聞風坊の好きなおとぎ話はありません。

 楽しく読み聞かせしてもらった記憶がないからかもしれません。

 一方で、ヒーローはいます。

 タイガーマスク
 ガッチャマン
 仮面ライダー
 ウルトラマン

 中学生の頃は、
 あしたのジョー2
 リングにかけろ
 ジャッキー・チェン

 高校の頃は、
 北斗の拳の面々。ケンシロウはもちろん雲のジュウザ。
 ロッキーというかスタローン
 ランボーというかスタローン
 ダーティーハリーのハリー刑事
 ブルース・リー
 修羅の門の陸奥九十九
 スティーブン・セガール

 中年になると、
 座頭市の市
 子連れ狼の拝一刀
 御家人斬九郎の松平残九郎
 
 こうして列挙すると、自分がどんな人になろうとしたのか、なっているのか、一目瞭然な感じ。

 ヒーローは独りつるまず。
 戦いの場でこそ力を発揮する。
 感謝される。
 戦いが終われば去って行く。 
 ですね。

 さて、
 これを読んでいるあなたはどう?
  
タグ :人生脚本


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析過去の出来事

ここじゃないと思うのは「属するな」という命令に従っているからかも

2019年10月20日

 これまで何回か紹介してきましたが、

 TA・交流分析の根幹理論の一つに

 禁止令(最近は強制命令という場合もあります)と言うのがあります。

 生き残るために、自分を律するメッセージのうち、否定形のものです。

 その1つが「属するな」です。

 集団に属するな。

 という意味で、

 具体的には、

 うちの家族に属するな。

 地域に属するな。

 学級に属するな。

 国に属するな。

 友人関係に属するな。

 なんてなります。

 そんなことするのは子はうちの子じゃない。

 と言うメッセージをしばしば強く受けた子は、

 家族に属することを禁止するようになる。

 家族の一員であることを許可しないようになる。

 と考えます。

 こんな感じで、

 地域住民に属せず、

 学校や学級の一員となることを認めず、

 友人が集う場にあっても、
 ここに属しちゃいけないとして、

 とその一員であることを認めません。

 具体的には、

 ここは違う。

 自分の居るべき場所じゃない。

 なんか違う。

 という認識、感覚として感じられると思われます。

 この感覚、

 不登校やひきこもる人の多くが、

 または、

 死にたいより消えたい感じ。

 を持つ人の多くが抱くようです。

 ここじゃない。

 ここでもない。

 どこにも居場所がない。

 属する場所がない。

 そもそも属したら息苦しい。

 とはいえ、
 そこにいるのもなんかイイ感じ。

 と言うことで、自分なりに折り合いをつけます。

 属している感じがしなければ、いてもいい。

 だから、気配を消していればいい。

 消えた状態・見えないならいてもいいかな。
 ※かつて「見えるな」という禁止令がある! と議論になったこともあったとか。

 姿形は見えないから、属してることにはならないし。

 人が集まる場の辺縁にいて、機嫌がいい人。

 みんなとは距離を置いているけど、いつもいる人。
 
 属していることが目立つ感じじゃないけど、属している。

 そんな交流をしている人。

 「属するな」の命令に従っているかもしれません。

 とはいえ、実のところ集団の他のメンバーは、
 あなたが、そういう感じで自分たちの集団に所属していると当たり前に思っていることも少なくありません。

 客観的な結論として、
 つまりすでにもう属しているんです。

 となると、

 所属する集団の名前を自己紹介の時に使うなど、
 少し属してもイイかもしれません。

 自分の意見を言うなど、
 少しばかり姿形をはっきりさせてもイイかもしれません。
  


人生で勝っていいんだと思えるかどうかが肝だという話

2019年10月15日

TA・交流分析の根幹理論に脚本というのがあります。

それによると、

人は子どもの頃に、
両親からのメッセージを受けながら
自分の一生の脚本を書いていて、
多くの演劇ドラマ映画がそうであるように、
その結末に向かって、配役し、ドラマを行い、
人生を送ります。

脚本は、結末ごとにタイプがあります。

先祖伝来引きついできたメッセージを受けた両親からのメッセージに負けず、
自分が自由に決めたOKな結末を迎える勝者脚本。

両親からのメッセージにもとづきつつ、自分の自由意志もそれなりに叶える
勝たないし負けでもない脚本。

両親からのメッセージ通りに結末を迎える敗者の脚本。

の3つのタイプがあります。

親や社会のメッセージ、圧力に負けて、
そんなもんさと自分の一生を終える敗者になるのか。

それとも、
圧力と折り合いをつけながら、
ときどき出し抜いて一時の勝ちを味わう。

全体を見回して、
少なくともいくつかの望みは叶えられたと評価できる人生。
勝ったとは言えないが、だからといって負けた感じもしない。
そんな一生を過ごすのか。

はたまた、
親や社会のメッセージ、圧力を受けて、
それにもとづいた人生行路を歩んでいたが、

あるときふと自分のこれまでと行く末を見直して、
自分の望みをもとに生きても世界は崩れ落ちないし、
命の危険もないし、
友人知人に受け入れられながら楽に生きられそうだし。

と言う見通しを立てて、
自分の思いを叶えるために生きていくと再決断して、
その後を自分の望みを手に入れ続ける勝者として生きていく。
のか。

人は、
親や学校や社会の圧力に負けて、
(ひきこもったまま)一生を終えてもイイ。

そこそこの勝ちを収めながら終えてもイイ。

自分で自由にデザインした自分の人生を生きてもイイ。

のですね。

親の縛りはきついけど、
進学とか仕事とかそこそこ自分の思いは通せてるし、
他者との関わりでも自己主張して割と望みは叶ってるし、
だから負けてる感じじゃないけれど、

子どもの勝利(自分の好きなことをやって達成を喜ぶ)を妬む親だったというのもあるし、
勝利すればけなされるか、からかわれるかだったし、

だから妬まれない程度に、
目立たない程度にやる(勝利する)ように、
これぐらいなら勝ってもいいだろうと言う風に意識して勝負していたので、

つまり、勝利するにしても制限をかけていたので、
勝利の美酒を味わったという風に勝ってる感じもしない半生を生きてきた私聞風坊は、

勝ってもいいんだと。

勝ったとしても誰も悲しまないし、むしろ喜ぶ人は多いし。自他の利益も多いし。

勝利を味わってもいいんだ。

と最近思ったのでした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析

まずはやるべきことを私がやれば悪いことは起きないという幻想の話

2019年10月10日

 TA・交流分析の私的お勉強のアウトプットです。

 人は子どもの頃に、一生を左右する決断をしていて、
 その決断を、どんな風に実現していくかというパターンがいくつかあります。

 例えば、
 ~の後は悪いことが起きる。 
 と言うパターンで二日酔いになる。

 ~までは(好きなことを)やらない。
 と言うパターンでストレスがたまる不満な日常を送る。

 などがあるのですが、

 この「~までは」の関連で、

 「まずは」~をやる

 と言うのがあるように思えたのです。

 例えば、自分のことよりも、

 まずは、親の要望を叶える。

 他者(会社の上司、友人など)の気持ちを優先する。

 そうして、自分のことに乗り組む。

 こんな感じ。

 「~までは」のバリエーションみたいですが、
 「まずは」の方が、よりピッタリな感じ。

 どんな人がこのパターンを持っていそうかというと、

 虐待的環境で、自分の身の安全を守るために、

 まずは強者の言うことを聞かねばならない立場の人たちです。

 そしてもう一つのパターン。
 「私がそうすれば」怖いことは起きない。

 相手は暴力はふるわない。

 世界は崩壊しない。

 というのもあるようです。

 とはいえ、
 実はこの2つ、幻想なんです。

 私がしようがしまいが、相手はお構いなし。
 私がどうあろうがあるまいが、相手はやるし、やらないし、なのです。

 私の努力が足りなかったから相手が暴力をふるった。
 私が我慢しさえすれば世界は安全だ。
 私が四六時中安全に気を配っていれば、怖いことから身を守れる。

 そんなことはありません。

 安全配慮の責任は誰にでもあります。

 そして残念ながら完璧に予防や対処はできません。

 人間の能力は限られているからです。
 能力に限界がないと思うのは幻想です。

 とにかくいつでも、
 まずは誰かの意向をかなえれば、

 とにかくいつでも、
 私さえそれをすれば、

 安全だ。
 安全になる。

 なんて思いは、幻想なんです。

 ※だから現実的には、危険からは逃げるのです。

   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)交流分析