2017年09月24日

親と闘うことをやめてみる話

 以前紹介した記事の再掲と言えば再掲です。
常に意識した方がいい、
座右の銘と思えますので。

 それは、

「きみの家庭での力関係を考えて、勝つ見込みのない闘いは避けなさい」
(『心的外傷と回復 』(ジュディス・L. ハーマン著  中井 久夫 訳 みすず書房 p266)

親を変えよう!
親に分かってもらおう!
自分の苦しみを分け与えよう!
復讐してやろう!

 いろいろな思いから、親に対して直接的になにかしようとすることはよくあります。
でも、家庭内の関係にあって親の影響は大きい。

 よしんば勝ったとしても、その後何が残るのか?
権力を持ったとしても、親を隷属させたとしても、それは家庭内だけの小さな世界での話。

 そんなくだらないことに限られた力を使うより、
自分を養うことに力を使った方がましだよ。

 親のために使うことはないよ。
自分のために使いなさいよ。

 そんなメッセージが聞こえてくるのでした。


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Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アダルトチルドレン

2017年09月12日

精神療法の前提が違うということ

 アダルトチルドレン、ひきこもり、不登校、トラウマ関連の書籍や各種調査でよく指摘されていることに、

 治療効果がない。

 支援継続が難しい。

 分かってもらえない。

 逆に傷つく。

 というような、治療・支援と当事者本人がうまく協調できていない点があります。

 支援のミスマッチなんて言われることもあります。

 さて、心理・精神療法は治療モデルというものがあります。

 当事者本人が困難をかかえるに至ったいきさつや、

 そこから困難解消までの道筋を、

 ある程度パターン化したものです。

 この、状態が悪くなってきたパターンとよくなっていくパターンをもとに、治療が進められます。

 認知の歪みが原因だから、ゆがみを直せば改善する。とか、

 感情を抑え込んでいるから、感情を解放すればいい。とか。

 一人で問題を抱え込んでいるから、しっかり聴かれる経験をすれば自然と回復する。とか。

 本当はまったく怖い要素はないのに、不安でいっぱいで行動を起こせないから、まず行動するよう少し強引でも行動を起こさせる。とか。

 です。

 ところが、このモデル・パターンには、前提があるんです。

 人と関われる。

 健康になりたい欲求がある。

 社会生活を送りたい気持ちがある。

 将来展望がある。

 どうもこんな感じ。

 そのため、

 人と関わることに一番困難を感じる。 ※人である治療者と関わることが難しい。

 だから、健康になって人と関われるようになる意味を感じない。
 
 だから、社会と関わる気がない。

 そんな自分だから、将来の夢や希望がない。

 そんな人に対しては、そもそも治療が成り立たないのです。

 治療モデルの前提が違いすぎる。

 当事者本人が、町の医療機関、支援機関に行っても、

 あの有名な医師や、治療家や、支援者を頼っても、

 今ひとつ効果がないと感じることはよくあります。

 前提の違いの影響のように思えます。

 そもそもこの世に足場のある人を前提に作られた治療モデルだからでしょう。

 では、どうすればいいのか?

 足場を築くことが先決なようです。

 足場のない人がそのまま違和感なくいれる場で、足場は築かれます。
 
 受容支持的な治療空間や、

 いわゆる当事者グループは、その足場になるのでしょう。

   
タグ :足場前提


2016年11月16日

何を意識してこもっていたか?

 充実したひきこもり時間を過ごすためにどうしていたかシリーズです。

 私聞風坊は、こもった当初から、

 もうヤだ!

 限界だ!

 二度とゴメンだ!

 という思いがそこはかとなくありました。

 もうこれまでのような生活はゴメンだ!

 今までのような生き方は限界だ!

 あんな経験は二度とゴメンだ!

 という思いです。

 親の顔色をうかがい、

 自分の気持ちを押し殺し、

 やらねばならないことをしぶしぶやり続け、

 あるべき姿でいることでいっときの安全を確保する。

 そんな生き方です。

 そんな生き方を捨てる!

 新しいやり方で生きる!

 当時無意識に、そう決断したようでした。

 だから意識したのは、

 好きなようにやる!
です。

 でも、実のところ、この「好きなように」が分からない。
 自分が何が好きなのかが明確じゃないのです。

 嫌いなことは分かるのに。

 だから、
 好きなこと探しからはじめました。

 それはある意味やりたいこと探しです。

 やりたいことをやり続ける。

 それを心がけて、ひきこもり生活を送っていました。

 そんな生活も、
 何年かすると、気がすんだようです。

 一生わがまま勝手にやりたいことをやり続ける心配はいりませんでした。

 気がつくと、
 力まずに好きなことができるようになってきました。

 そう、フツーの人がやっているような感じで。
  


2016年11月07日

肩こりを頑張る話

 私聞風坊は、腕組みをする癖があるんです。

 子どもの頃から。

 人と話すときも、テレビを観るときも、信号待ちの時も・・・。

 とりあえず腕組んでます。

 きっと腕のやり場に困って組んでるのだろうと思っていましたら、

 なんと、

 仰向けに寝てるときでも組むんです。

 最近発見して、笑ってしまいました。

 寝ながら腕を組むって、面白すぎる。

 せっかくなので、

 なぜ組むのか?

 検証してみました。

 胸になかなかの重みが加わるので、安心するからでした。
 確かに組まないより組んだ方が落ち着く。

 同時に、肩が上がるんです。
 そうしていろいろ考え事をしたいからでした。

 確かに子どもの頃は布団に入ると、考え事をよくしていました。
 寝ながらでもテンション上げて思考したかったんですね。
 都合、寝つきがヒジョーに悪い。

 しかも肩をすくめるので、首肩が凝る。
 
 つまり、寝る間も惜しんで。
 肩が凝るよう頑張っていた。
 
 のです。

 この気づきを機に、腕を組まないように気をつけています。

 おかげで少し肩こりが減ったような。

 イヤ減ってないかな。
   あ、でも以前よりは・・・

 と考えを巡らさないように。

 肩を落として、呼吸もヘソまで落として。

 過ごしています。


  


2016年10月18日

親が発達障害であること 2

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 について考えてみる記事の続きです。
 
 特に、

 どれだけ努力しても、親から共感されない、
 相談に乗ってくれない、
 社会のルールなど社会で生きていくために必要なスキルを教えてくれない、
 いつも親からの一方的な要求ばかり。
 自分の気に入らないことがあるといつまでも激しく感情的に接してくる。

 つまり、
 こちらの立場を思いやってもらえない。

 そんな子ども時代を過ごし、
 大人になっても変わらずずっと不快な気持ちを味わっている人。

 にとって、
 自分の親が特性に応じたサポートを受けてこなかった発達障害である可能性
 を考えることはとても大事なことだと思っています。

 もしかすると、
 子どもの頃から味わうあの不快感。恥の感覚。忸怩たる思い。
 は、自分の努力不足ではないかもしれないからです。

 今ここでの他者の気持ちに寄り添う。
 そういうことがとても苦手な親なのかもしれません。
 だから、こちらの思いはいつもいつも聞き届けられない。

 その結果、
 私は大事にされない。
 私には価値がない。
 そんな想いを抱くのも不思議ではありません。

 発達障害の分野では、寄り添うことが基本です。

 そう考えると、

 子どもに寄り添えない。
 子どもが寄り添うしかない親。

 なのかもしれません。

 大人になった今、
 寄り添い方というか、期待の仕方というか、あきらめ加減というか、距離の取り方というか、
 そういう親との付き合い方は、自分で決められます。

 もう、親の気まぐれに振り回されずに生きていいんです。

 親に期待することをあきらめていいんです。

この項終わり。
   


2016年10月16日

親が発達障害であること

 相手の立場に立った言動が難しい。

 暗黙の了解など、空気を読むのが苦手。

 じっとしていない。

 こだわりが強い。

 コミュニケーションが苦手。

 誤解が多い。会話の要点がズレている。

 食べ物の好き嫌いが多い。

 自分なりのルールに従う。

 融通が利かない。

 予定などの急な変更にひどく動揺する。

 感情に振り回されやすい。

 興味のあることには熱心だが、興味がないことには極めて素っ気ない。

 具体的に、ひとつひとつ説明されると分かるが、ざっぱな説明だと混乱する。

 なんて印象を持たれたり、観察されたりした子どもは、

 発達障害ではないかと懸念を持たれることが多いもの。

 でもこれ、子どもに限ったことではありません。

 お前の頭はゼッペキでかわいそう。
 なんて、子どもの立場に配慮のない一言を平気でちょくちょく口にしたり、

 子どもから相談されても、ポイントがずれた返答をいつもいつも繰り返したり、
 または、子どもがなんでそんなに悩んでいるか共感できなかったり、

 そもそも、自分の関心のあることに熱心で、子どもと関わることに興味がないことが日常しばしばだったり、

 自分なりのルール・手順を重視するあまり、社会のルール(特に暗黙の取り決め)を子どもに教えることが苦手だったり、
 または、厳しくルールを守らせすぎたり、

 子どもにいつもいつも、大声出したりやイライラして感情的に関わったり、

 基本的に自分の都合優先で、子どもにも都合があることが分からない。子どもの都合を想像しない。

 そうして、
 親がそんな関わりをしていると、子どもがどんな風に苦しんでいるかなんて、思いを寄せることをしなかったり、
 ※自分がどれほど苦労しているかには強い関心があるけれど、

 する親の場合、

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 を考えてみることは大事だと思っています。

 特に、
 親との関わりに子どもの頃からとても苦労している人の場合は。

この項続く。  
タグ :発達障害


2016年09月15日

逃げ出せない立場に身を置いて

 先日、炊事場で、ゴーヤを洗っているときにふと思いついたことです。

 逃げ出せない立場。

 を基準に、物事を考える。

 それが自分の立脚点だと。

 当事者。

 自分の症状、

 自分の特性

 自分の歴史

 ・・・

 自分から逃げ出せません。


 家族。

 うちの子は不登校だから家族解消。

 うちの親が統合失調症になったから別の親に代えてもらう。

 うちの子が、うちの親が、うちの兄が、うちの妹が、うちの・・・。

 これらはなかなか難しい話。

 家族から逃げ出せません。


 時間外なんで。

 うちは専門外ないので。

 休みを取っているので。

 ・・・
 
 専門職は、逃げ出せます。

 というか、専門職として働く以外の時間をとるように努めます。

 じゃないと、心身が傷んでしまうからですね。



 逃げ出せない立場に身を置いて考える。

 当事者支援者の真骨頂のような気がしています。
  


2016年08月13日

イーストウッドの映画を観たのでした

 先日、クリント・イーストウッドが監督した「ミリオンダラー・ベイビ-」(2004)を観たのでした。

 その年度のアカデミー賞を獲った映画ですね。

 それを今ごろ初めて見たとは、相変わらず、時流に乗れておりません。ガーン

 とはいえ、今だからこその感動ポイントがあるのです!!!

 ズバリ!

 教えてくれる存在のありがたさに感動したのでした。

 私聞風坊も、格闘技にハマった人間ですから、主人公のボクサーがボクシングにすべてをかける感覚は良く分かります。

 生活のすべて、見るもの聞くもの話すことすべてが一色に染まります。

 その理由の一つが、
 
 導いてくれる存在。

 文字通り手取り足取り教えてくれる人がいること。
 
 のように思えます。

 実は、格闘技は特にこの手取り足取り感が強いんです。

 私の足の位置を先生や先輩が手で直に修正してくれましたし、私も相手の足の位置を手で直しました。
 文字通り手取り足取りで稽古するんです。

 主人公もきっと、こうやって親身に教えてくれる人がいたから、

 自分の生涯をかけるほどにボクシングに打ち込んでいったのだろうなと、

 勝手に感動しておりました。

 自分のことを気にかけてくれる人がいる。

 この経験は人生を生きるのにとっても大切なことのようです。
  


2016年07月17日

子供を不安にさせる親

 愛着理論によると、

 子どもは、親と関わることで、自分が感じている不安を解消し、力強さを取り戻し、

 好奇心に従って、世界を探求していくのだそうです。

 だからか、親(または親のような存在)のことを安全基地なんていいますね。

 この時、親は、子どもの不安な気持ちを抱きとめ、
 子どもが自分の気持ちを抱えていけるように寄り添っているんだそうです。

 そのため、一時的に親は不安を抱えることになります。
 親に胆力が求められるところですね。

 ところが、中には、自分の不安やイライラや不満を解消したくて、子どもと関わる親がいるみたい。

 自分のネガティブな気持ちの排出先として、子どもをアテにしてる感じ。

 親の怒りや不安やイライラや淋しさなどのネガティブな気持ちを排出された子どもは、

 とっても不穏な気持になります。

 だって、
 大人である親が抱えられない気持ちを肩代わりするほどの胆力はまだないもの。

 きっと親からのネガティブな気持ちに圧倒されるでしょう。

 ちょっと気持ち聞いてくれる?

 みたいに落ち着いたトーンで、子どもに相談するのなら、
 子どもは圧倒されないかもしれませんが、

 もし、感情が高ぶったまま、自分の気持ちを吐き出す感じで子どもと関わっているとしたら、
 改める必要があると思います。 
   


2015年12月24日

ユーモアのある人は生き残る

 ずーっと前に、アルフォンス・デーケンさんを講演に招くという仕事をしたことがあります。

 デーケンさんは、死生学の第一人者なので、死とどうき合うかについての講演を依頼したのでした。
 細かい内容は忘れてしまいましたが、

 生きるに当たって、死を受け容れるに当たって、
 ユーモアを持ち続けることがとても重要だということは今でも覚えています。

 だからか、ご自身がとってもユーモアのある方でした。

 ユーモアは、humorと書き、humanの仲間ですね。※きっとそうだ。

 つまり、人間らしさ。

 虐待や、災害や、病気やケガや、戦争などに遭遇し、過酷な人生を送っているにも関わらず、
ユーモアのある人がいます。

 とても人間味を感じます。

 ユーモア。
 それは、
 自分と他者と人生への思いやりかもしれません。

 人間性を奪うような出来事に遭っても、
 人間として生き続けるために、
 ユーモアを欠かさない。
 セルフメディケーションとして。

 ユーモアあふれる人の奥に、その人のこれまでの厳しい歩みに思いをいたす。
 世界に人間性を増やすために。

 そんな思いやりの心を持ちたいと思っています。

 明日は磔刑の聖人が生まれた日。
  




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