2016年08月13日

イーストウッドの映画を観たのでした

 先日、クリント・イーストウッドが監督した「ミリオンダラー・ベイビ-」(2004)を観たのでした。

 その年度のアカデミー賞を獲った映画ですね。

 それを今ごろ初めて見たとは、相変わらず、時流に乗れておりません。ガーン

 とはいえ、今だからこその感動ポイントがあるのです!!!

 ズバリ!

 教えてくれる存在のありがたさに感動したのでした。

 私聞風坊も、格闘技にハマった人間ですから、主人公のボクサーがボクシングにすべてをかける感覚は良く分かります。

 生活のすべて、見るもの聞くもの話すことすべてが一色に染まります。

 その理由の一つが、
 
 導いてくれる存在。

 文字通り手取り足取り教えてくれる人がいること。
 
 のように思えます。

 実は、格闘技は特にこの手取り足取り感が強いんです。

 私の足の位置を先生や先輩が手で直に修正してくれましたし、私も相手の足の位置を手で直しました。
 文字通り手取り足取りで稽古するんです。

 主人公もきっと、こうやって親身に教えてくれる人がいたから、

 自分の生涯をかけるほどにボクシングに打ち込んでいったのだろうなと、

 勝手に感動しておりました。

 自分のことを気にかけてくれる人がいる。

 この経験は人生を生きるのにとっても大切なことのようです。
  


2016年07月17日

子供を不安にさせる親

 愛着理論によると、

 子どもは、親と関わることで、自分が感じている不安を解消し、力強さを取り戻し、

 好奇心に従って、世界を探求していくのだそうです。

 だからか、親(または親のような存在)のことを安全基地なんていいますね。

 この時、親は、子どもの不安な気持ちを抱きとめ、
 子どもが自分の気持ちを抱えていけるように寄り添っているんだそうです。

 そのため、一時的に親は不安を抱えることになります。
 親に胆力が求められるところですね。

 ところが、中には、自分の不安やイライラや不満を解消したくて、子どもと関わる親がいるみたい。

 自分のネガティブな気持ちの排出先として、子どもをアテにしてる感じ。

 親の怒りや不安やイライラや淋しさなどのネガティブな気持ちを排出された子どもは、

 とっても不穏な気持になります。

 だって、
 大人である親が抱えられない気持ちを肩代わりするほどの胆力はまだないもの。

 きっと親からのネガティブな気持ちに圧倒されるでしょう。

 ちょっと気持ち聞いてくれる?

 みたいに落ち着いたトーンで、子どもに相談するのなら、
 子どもは圧倒されないかもしれませんが、

 もし、感情が高ぶったまま、自分の気持ちを吐き出す感じで子どもと関わっているとしたら、
 改める必要があると思います。 
   


2015年12月24日

ユーモアのある人は生き残る

 ずーっと前に、アルフォンス・デーケンさんを講演に招くという仕事をしたことがあります。

 デーケンさんは、死生学の第一人者なので、死とどうき合うかについての講演を依頼したのでした。
 細かい内容は忘れてしまいましたが、

 生きるに当たって、死を受け容れるに当たって、
 ユーモアを持ち続けることがとても重要だということは今でも覚えています。

 だからか、ご自身がとってもユーモアのある方でした。

 ユーモアは、humorと書き、humanの仲間ですね。※きっとそうだ。

 つまり、人間らしさ。

 虐待や、災害や、病気やケガや、戦争などに遭遇し、過酷な人生を送っているにも関わらず、
ユーモアのある人がいます。

 とても人間味を感じます。

 ユーモア。
 それは、
 自分と他者と人生への思いやりかもしれません。

 人間性を奪うような出来事に遭っても、
 人間として生き続けるために、
 ユーモアを欠かさない。
 セルフメディケーションとして。

 ユーモアあふれる人の奥に、その人のこれまでの厳しい歩みに思いをいたす。
 世界に人間性を増やすために。

 そんな思いやりの心を持ちたいと思っています。

 明日は磔刑の聖人が生まれた日。
  


2015年10月24日

アダルトチルドレンの痛み

 久しぶり、アダルトチルドレンについてです。

 アダルトチルドレンについての否定的な意見に、自分の問題から逃げるために全部を親のせいにしているというのがあります。

 確かに、
友だちがいないのも、
 恋人がいないのも、
   太っているのも痩せているのも、
 仕事が長続きしないのも、
   酒癖が悪いのも、
 勉強ができないのも、
    コミュニケーションが苦手なのも、

 自分の今の苦労のなんでもかんでもをすべてが親子関係に由来するとして、
 自分には責任がない、ぜんぶ親のせいだ、親が悪いんだという風に、
 なんだか自分の不幸に居直っている様な印象も受けることもあります。

 自分の苦痛のすべてを親の責任にすることで痛みを感じないようにしているのでしょう。

 ですが実のところ、
アダルトチルドレンと自認することは実はすごい痛みを伴うことなのです。

 なぜって !?!?

 自分の親は常軌を逸している。

 ということを認めることからアダルトチルドレンが始まるからです。

 依存症系自助グループでは、自分たちのことをまともじゃない、正気じゃない、などと認識しています。
それは、自分を含め家族みんながそういう状態だったということです。

 自分のまともじゃなさ。
 家族の異常さ。

 その痛みを受け止めること。

 アダルトチルドレンの快復は、痛みから逃れることではなく、
痛みの体験から始まり、

 痛みを受け容れ、

   痛みを伴う出来事に対して寛容の気持になることで、なされるのです。

 この辺のこと、拙著にてもう少し詳しく書いてあります。↓
『関わることを考えよう ボクたちはこうしてほしいんだ。』
            (B6版128頁・頒価1,000円)

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アダルトチルドレン

2015年07月24日

マインドフルネス瞑想のこと 2

 前記事の続き、マインドフルネス瞑想についてです。

 実は、以前受講したトラウマケアの研修でもマインドフルネス瞑想の効果が指摘されていました。

 心的トラウマが強いと、気が高ぶっている状態が常になり、意識があっちへ行ったりこっちへ行ったりするのですね。

 常に、闘争か逃走かという気を張り詰めた状態なので、
心は平静ではありません。

 マインドフルネス瞑想をすることで、これが改善されるということでした。

 実際、短い時間ですが私も瞑想を続けていますが、心が落ち着いた状態が増えてきたように思えます。
または、心がざわついたときも、落ち着きを取り戻しやすくなってきました。

 私はオーソドックスに、呼吸をする鼻に意識を向けるやり方が好み。
吸うときに、鼻の入口を空気が中に通って、
吐くときに、鼻の入口を空気が外に通っていく。
それを体感する。
それをただくり返す。

 するとあら不思議、気持ちが安らいできます。
一般的には邪念として扱われる考え事に意識が向いても、
 おぉ、これを考えたいのね私は。
 そして今、
嫌な気持ちでいる。恥ずかしい思いでいる。怒っている。喜んでいる。
 OK,OK

鼻の呼吸の感覚を味わおう。
 OK,OK

 今ここでの体感を味わう。
すると心が安らぐ。

 ホントに不思議。
  


2015年07月22日

マインドフルネス瞑想のこと

 最近話題のマインドフルネス瞑想について、少し勉強しているので、今日はそのお話です。

瞑想といえば、禅のお坊さんがやってる、あの瞑想を思い浮かべます。

 ひとつ事に意識を集中して、邪念を払って、自分を無にして・・・
なんて風にやるらしいというイメージがあります。

 私は格闘技をよくやってましたので、稽古の中で瞑想の時間はよくありましたが、
 その時も、目をつぶって何も考えないで気を静めるという指導でした。

 でも、これがむしろ難しい。
目をつぶるといろいろな邪念がわき起こるんです。キョロキョロ

 マインドフルネス瞑想は、これとはちょっと違って、
体感覚のうちの一つに意識を向けつつも、他のことに意識が向いても、それはそれでOK。

 あぁ、今意識がこちらに向いているな。そしてこんな感情でいるな。なるほどなるほど。
 なんて風に、
今の自分の意識や感情の状態に気づくことを重視するんだそうです。

 そうして、
またもとの体感覚に意識を戻す。
ホームポジションに戻ることをくり返すのだそうです。
 往復が要なのだとか。

 一度研修を受けましたが、意識がよそに行っても問題なし。
それがフツー。
気づいたら味わって元に戻ればいい。
 との指導で、とても気楽に瞑想ができました。

この記事続く。

  


2015年06月08日

スター・ウォーズが許可映画じゃなかったこと

 新作が話題のスター・ウォーズですが、
最初に公開されたのは、私が中学生の頃でした。

 当時、映画は許可制でした。※今はどうなの?
学校が許可した許可映画だけ観てよくて、
 もし許可してない映画を観たら、罰則がありました。

内容や本数などを考慮して学校が視聴の可否を判別するのです。
 管理教育という言葉を体現したような制度ですね。

 さて、このスター・ウォーズ。
公開になったら観に行こうと映画好きの私聞風坊は密かに思っていました。

 しかしなぜか公開日が過ぎても許可されていませんでした。
こういうことよくあったのです。

 でも、
世界で話題の映画だ!
 というのは、田舎の生徒の耳にも入ります。

 そのため、許可が待ちきれず、
隠れて観に行った生徒がいました。

 ところがそれがバレて、学校は激怒したのでしょうか?
許可は降りなくなりました。
 という噂が伝わってきました。
※許可が降りた時だけ生徒には知らされるのです。

 このことでクラスは結構騒然となったものです。

 同級生の中には、
隠れて観に行ったヤツに怒りを向ける人もいました。
許可になったら行くつもりだったのにフンッ
地元以外で観たらいいんじゃないの。OK という知恵者もいました。

 一方、私聞風坊というと、
これといった感情を持ちませんでした。
恨むこともなく、怒ることもなく、
 ただあきらめました。

 すでにこの頃、あきらめることに慣れていたのでしょう。

自分の望みが不条理にも叶わないのに怒りもせず、
 知恵をしぼって自分のやりたいことを達成しようとせず、

ただ社会に適応すること。
 社会のパワーに順応することを最優先にしていたのですね。

 映画にまつわる逸話でした。
  


2015年05月20日

子どもの頃から説明力がいりました 2

 前記事の続きです。

 私聞風坊が説明できるようになったのは、親との関わりで苦労したからなんです。
例えば、全国ニュースで大雨の注意喚起をしていたとして、その受け止め方が独特で、それを子どもの私が解説していたのでした。

 東京の方が雨だったってことだよ。

 土砂崩れは起きてないよ。気をつけて外に出ようね。ってことだよ。

 外出の際は注意してね。というメッセージだから、この際政治は関係ないよ。
ということを言うのですが、

 その説明がきっかけとなって、また誤解が生まれ不機嫌の種になることはよくあったのです。叫び

 東京も雨は降ってなかったよ! 
 この時、東京の「方」というのは広く関東を意味していて、うちの近辺ではなく遠いところが雨だったんだよってニュースなんだよということが言いたかったのですが、「東京」に注意が行くのですね。
 しかも東京が晴れていたというその情報は、数時間前の渋谷の交差点の情報バラエティ番組のテレビ映像だったりもします。
 実際に大雨が降ったのは、その後。

 政治は関係ない。の一言で火が付いて、どれだけ政治が悪いかをその後何時間も言い続けます。
 もし、私がその場を去ったとしたら追いかけてくることもありますし、私のその態度が火に油を注いでいよいよ激情が高まることはしばしば。
 自分の発言が招いた結果なので、行為責任を取って辛抱強く話が終わるまで聞き続けなければなりませんでした。

 発言には注意しろ!
親からは直接的によく言われました。
そして、実際注意が必要でした。

 だから、
どんな風に発言するか、説明するか、
このタイミングか、今は止めとくか?
受け入れられそうなら、次に進むが、どうか?

 そんなことを常に意識を向けながら、親と関わっていたのです。

 必要なことを、最適な言葉で、順序立てて、言葉にして、分かってもらう。

 こうして私の説明力は上がっていきました。
発話に慎重な心性も出来上がっていきました。
  


2015年05月18日

子どもの頃から説明力がいりました

 私聞風坊は、説明好きです。

だから、説明力はわりかしあります。

 会話や講演や書類や書籍の要点を捉まえて、かみ砕いて伝えることが、
習い性になってます。

 そのせいか、私に説明を求める場面によく出遭います。
解説がなかなか上手なんです。

 そんな私なので、子どもの頃はよく知らないことでも平気で説明してました。
知ったかぶりでしたね。 ぷ 赤面

 実は、この説明力。
結構必死で習得したんです。

 なぜなら、我が親に対して、説明せねばならなかったからです。
しかも、一つ一つ、かみ砕いて、相手の理解を待って次に進むという手間暇かけて。

 ということで、普段から家族のことは詳しく語らないようにしていますが、今日は少しばかり話させて下さい。

 親は、相手の言いたいこと(コンテキスト)に焦点を当てるのが苦手みたいで、
会話や文章の中の、自分が気になる言葉・フレーズに注目し、それで文意を組み立てます。

 このことを上手く説明できるか分かりませんが例えば、

 スーツ 昨日の大雨で地盤が緩んでいます。通行の際はご注意ください。
 と、テレビのアナウンサーが言ったとしたら、

 → 昨日? 晴れてたよね。このアナウンサーおかしい。となったり、

 → 土砂崩れが起きたんだ。恐い! となったり、

 → 地球温暖化のせいだから、政治が悪い。となったり、
するのです。

 聞き違いは誰でもよくあるでしょうが、文意の読み違いはどうでしょう?
加えてここで大事なのは、その後どうなるか? なんです。

 アナウンサーの言ったことを聞いて不機嫌になった親は、スイッチが入ります。もう不機嫌が止まりません。都合、挙動が極端になります。

 ちっ、ちっ、ちっ 昨日は晴れてた! ということをその後10分15分、時によっては、翌日も言い続けたりします。

 大泣き 土砂崩れが起きた! ということですっかり怯えてしまい、家族が外に出ることを止めようとします。

 クレイジー 政治の悪口が半日続きます。

 一緒にいる私にとっては、この状況はとてもまずい。恐怖であり、危険です。
だからなんとか平和に戻そうと稚拙な語学力を駆使して必死に説明をしようとします。

この記事続く。
  


2015年05月16日

生きることはテレビを観てるような感じ 2

前記事の続きです。

 私聞風坊は、テレビや映画などの映像から多くを学んだのでした。
だからか、私にとって、一番親近感のある人たちはテレビや映画の中の人たちなんだって気づいたのです。

自分は茶の間にいて、二次元の画面の中の人たちと関わる。
 登場人物をモデルにするけど、
 画面の中のその人たちと
  握手もハグもない。
    肉体は触れあわない。
   同じ空気を吸わない。
 咳エチケットを気にする関係ではない。

 親近感はあるけど接触しない。
愛着を感じる人とは(物理的に)近づかない。
 むしろ思いをはせる形で(空想の中で)近づく。

 どうやらそんな風な関わり方になじんでいるようです。

 これ、
リアルな人間関係にも通じてるようです。
共感もするし、心配もするし、応援もするし、一緒に楽しむし。
 それでいて一定の距離を置いて近づかない。

 誰かが誰かと幸せになるのは嬉しいし、
 誰かが誰かとケンカするのは不愉快。

 共感しつつも見守る感じ。

それは、
 テレビの中の人たちのドラマを見守るのと同じ感覚。
私と誰かとの間には、液晶画面や銀幕があるかのよう。

 それはまるで、
 テレビや映画の登場人物と付き合っているよう。
別世界の者同士が関わっているかのよう。

 社会と距離を置きたい世界中の人。
のうちの幾ばくかは、同じような感覚を持ってるかもしれません。
  




【お知らせ】
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