2016年11月07日

肩こりを頑張る話

 私聞風坊は、腕組みをする癖があるんです。

 子どもの頃から。

 人と話すときも、テレビを観るときも、信号待ちの時も・・・。

 とりあえず腕組んでます。

 きっと腕のやり場に困って組んでるのだろうと思っていましたら、

 なんと、

 仰向けに寝てるときでも組むんです。

 最近発見して、笑ってしまいました。

 寝ながら腕を組むって、面白すぎる。

 せっかくなので、

 なぜ組むのか?

 検証してみました。

 胸になかなかの重みが加わるので、安心するからでした。
 確かに組まないより組んだ方が落ち着く。

 同時に、肩が上がるんです。
 そうしていろいろ考え事をしたいからでした。

 確かに子どもの頃は布団に入ると、考え事をよくしていました。
 寝ながらでもテンション上げて思考したかったんですね。
 都合、寝つきがヒジョーに悪い。

 しかも肩をすくめるので、首肩が凝る。
 
 つまり、寝る間も惜しんで。
 肩が凝るよう頑張っていた。
 
 のです。

 この気づきを機に、腕を組まないように気をつけています。

 おかげで少し肩こりが減ったような。

 イヤ減ってないかな。
   あ、でも以前よりは・・・

 と考えを巡らさないように。

 肩を落として、呼吸もヘソまで落として。

 過ごしています。


  


2016年10月18日

親が発達障害であること 2

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 について考えてみる記事の続きです。
 
 特に、

 どれだけ努力しても、親から共感されない、
 相談に乗ってくれない、
 社会のルールなど社会で生きていくために必要なスキルを教えてくれない、
 いつも親からの一方的な要求ばかり。
 自分の気に入らないことがあるといつまでも激しく感情的に接してくる。

 つまり、
 こちらの立場を思いやってもらえない。

 そんな子ども時代を過ごし、
 大人になっても変わらずずっと不快な気持ちを味わっている人。

 にとって、
 自分の親が特性に応じたサポートを受けてこなかった発達障害である可能性
 を考えることはとても大事なことだと思っています。

 もしかすると、
 子どもの頃から味わうあの不快感。恥の感覚。忸怩たる思い。
 は、自分の努力不足ではないかもしれないからです。

 今ここでの他者の気持ちに寄り添う。
 そういうことがとても苦手な親なのかもしれません。
 だから、こちらの思いはいつもいつも聞き届けられない。

 その結果、
 私は大事にされない。
 私には価値がない。
 そんな想いを抱くのも不思議ではありません。

 発達障害の分野では、寄り添うことが基本です。

 そう考えると、

 子どもに寄り添えない。
 子どもが寄り添うしかない親。

 なのかもしれません。

 大人になった今、
 寄り添い方というか、期待の仕方というか、あきらめ加減というか、距離の取り方というか、
 そういう親との付き合い方は、自分で決められます。

 もう、親の気まぐれに振り回されずに生きていいんです。

 親に期待することをあきらめていいんです。

この項終わり。
   


2016年10月16日

親が発達障害であること

 相手の立場に立った言動が難しい。

 暗黙の了解など、空気を読むのが苦手。

 じっとしていない。

 こだわりが強い。

 コミュニケーションが苦手。

 誤解が多い。会話の要点がズレている。

 食べ物の好き嫌いが多い。

 自分なりのルールに従う。

 融通が利かない。

 予定などの急な変更にひどく動揺する。

 感情に振り回されやすい。

 興味のあることには熱心だが、興味がないことには極めて素っ気ない。

 具体的に、ひとつひとつ説明されると分かるが、ざっぱな説明だと混乱する。

 なんて印象を持たれたり、観察されたりした子どもは、

 発達障害ではないかと懸念を持たれることが多いもの。

 でもこれ、子どもに限ったことではありません。

 お前の頭はゼッペキでかわいそう。
 なんて、子どもの立場に配慮のない一言を平気でちょくちょく口にしたり、

 子どもから相談されても、ポイントがずれた返答をいつもいつも繰り返したり、
 または、子どもがなんでそんなに悩んでいるか共感できなかったり、

 そもそも、自分の関心のあることに熱心で、子どもと関わることに興味がないことが日常しばしばだったり、

 自分なりのルール・手順を重視するあまり、社会のルール(特に暗黙の取り決め)を子どもに教えることが苦手だったり、
 または、厳しくルールを守らせすぎたり、

 子どもにいつもいつも、大声出したりやイライラして感情的に関わったり、

 基本的に自分の都合優先で、子どもにも都合があることが分からない。子どもの都合を想像しない。

 そうして、
 親がそんな関わりをしていると、子どもがどんな風に苦しんでいるかなんて、思いを寄せることをしなかったり、
 ※自分がどれほど苦労しているかには強い関心があるけれど、

 する親の場合、

 親が特性に応じたサポートを受けていない発達障害である可能性
 を考えてみることは大事だと思っています。

 特に、
 親との関わりに子どもの頃からとても苦労している人の場合は。

この項続く。  
タグ :発達障害


2016年09月15日

逃げ出せない立場に身を置いて

 先日、炊事場で、ゴーヤを洗っているときにふと思いついたことです。

 逃げ出せない立場。

 を基準に、物事を考える。

 それが自分の立脚点だと。

 当事者。

 自分の症状、

 自分の特性

 自分の歴史

 ・・・

 自分から逃げ出せません。


 家族。

 うちの子は不登校だから家族解消。

 うちの親が統合失調症になったから別の親に代えてもらう。

 うちの子が、うちの親が、うちの兄が、うちの妹が、うちの・・・。

 これらはなかなか難しい話。

 家族から逃げ出せません。


 時間外なんで。

 うちは専門外ないので。

 休みを取っているので。

 ・・・
 
 専門職は、逃げ出せます。

 というか、専門職として働く以外の時間をとるように努めます。

 じゃないと、心身が傷んでしまうからですね。



 逃げ出せない立場に身を置いて考える。

 当事者支援者の真骨頂のような気がしています。
  


2016年08月13日

イーストウッドの映画を観たのでした

 先日、クリント・イーストウッドが監督した「ミリオンダラー・ベイビ-」(2004)を観たのでした。

 その年度のアカデミー賞を獲った映画ですね。

 それを今ごろ初めて見たとは、相変わらず、時流に乗れておりません。ガーン

 とはいえ、今だからこその感動ポイントがあるのです!!!

 ズバリ!

 教えてくれる存在のありがたさに感動したのでした。

 私聞風坊も、格闘技にハマった人間ですから、主人公のボクサーがボクシングにすべてをかける感覚は良く分かります。

 生活のすべて、見るもの聞くもの話すことすべてが一色に染まります。

 その理由の一つが、
 
 導いてくれる存在。

 文字通り手取り足取り教えてくれる人がいること。
 
 のように思えます。

 実は、格闘技は特にこの手取り足取り感が強いんです。

 私の足の位置を先生や先輩が手で直に修正してくれましたし、私も相手の足の位置を手で直しました。
 文字通り手取り足取りで稽古するんです。

 主人公もきっと、こうやって親身に教えてくれる人がいたから、

 自分の生涯をかけるほどにボクシングに打ち込んでいったのだろうなと、

 勝手に感動しておりました。

 自分のことを気にかけてくれる人がいる。

 この経験は人生を生きるのにとっても大切なことのようです。
  


2016年07月17日

子供を不安にさせる親

 愛着理論によると、

 子どもは、親と関わることで、自分が感じている不安を解消し、力強さを取り戻し、

 好奇心に従って、世界を探求していくのだそうです。

 だからか、親(または親のような存在)のことを安全基地なんていいますね。

 この時、親は、子どもの不安な気持ちを抱きとめ、
 子どもが自分の気持ちを抱えていけるように寄り添っているんだそうです。

 そのため、一時的に親は不安を抱えることになります。
 親に胆力が求められるところですね。

 ところが、中には、自分の不安やイライラや不満を解消したくて、子どもと関わる親がいるみたい。

 自分のネガティブな気持ちの排出先として、子どもをアテにしてる感じ。

 親の怒りや不安やイライラや淋しさなどのネガティブな気持ちを排出された子どもは、

 とっても不穏な気持になります。

 だって、
 大人である親が抱えられない気持ちを肩代わりするほどの胆力はまだないもの。

 きっと親からのネガティブな気持ちに圧倒されるでしょう。

 ちょっと気持ち聞いてくれる?

 みたいに落ち着いたトーンで、子どもに相談するのなら、
 子どもは圧倒されないかもしれませんが、

 もし、感情が高ぶったまま、自分の気持ちを吐き出す感じで子どもと関わっているとしたら、
 改める必要があると思います。 
   


2015年12月24日

ユーモアのある人は生き残る

 ずーっと前に、アルフォンス・デーケンさんを講演に招くという仕事をしたことがあります。

 デーケンさんは、死生学の第一人者なので、死とどうき合うかについての講演を依頼したのでした。
 細かい内容は忘れてしまいましたが、

 生きるに当たって、死を受け容れるに当たって、
 ユーモアを持ち続けることがとても重要だということは今でも覚えています。

 だからか、ご自身がとってもユーモアのある方でした。

 ユーモアは、humorと書き、humanの仲間ですね。※きっとそうだ。

 つまり、人間らしさ。

 虐待や、災害や、病気やケガや、戦争などに遭遇し、過酷な人生を送っているにも関わらず、
ユーモアのある人がいます。

 とても人間味を感じます。

 ユーモア。
 それは、
 自分と他者と人生への思いやりかもしれません。

 人間性を奪うような出来事に遭っても、
 人間として生き続けるために、
 ユーモアを欠かさない。
 セルフメディケーションとして。

 ユーモアあふれる人の奥に、その人のこれまでの厳しい歩みに思いをいたす。
 世界に人間性を増やすために。

 そんな思いやりの心を持ちたいと思っています。

 明日は磔刑の聖人が生まれた日。
  


2015年10月24日

アダルトチルドレンの痛み

 久しぶり、アダルトチルドレンについてです。

 アダルトチルドレンについての否定的な意見に、自分の問題から逃げるために全部を親のせいにしているというのがあります。

 確かに、
友だちがいないのも、
 恋人がいないのも、
   太っているのも痩せているのも、
 仕事が長続きしないのも、
   酒癖が悪いのも、
 勉強ができないのも、
    コミュニケーションが苦手なのも、

 自分の今の苦労のなんでもかんでもをすべてが親子関係に由来するとして、
 自分には責任がない、ぜんぶ親のせいだ、親が悪いんだという風に、
 なんだか自分の不幸に居直っている様な印象も受けることもあります。

 自分の苦痛のすべてを親の責任にすることで痛みを感じないようにしているのでしょう。

 ですが実のところ、
アダルトチルドレンと自認することは実はすごい痛みを伴うことなのです。

 なぜって !?!?

 自分の親は常軌を逸している。

 ということを認めることからアダルトチルドレンが始まるからです。

 依存症系自助グループでは、自分たちのことをまともじゃない、正気じゃない、などと認識しています。
それは、自分を含め家族みんながそういう状態だったということです。

 自分のまともじゃなさ。
 家族の異常さ。

 その痛みを受け止めること。

 アダルトチルドレンの快復は、痛みから逃れることではなく、
痛みの体験から始まり、

 痛みを受け容れ、

   痛みを伴う出来事に対して寛容の気持になることで、なされるのです。

 この辺のこと、拙著にてもう少し詳しく書いてあります。↓
『関わることを考えよう ボクたちはこうしてほしいんだ。』
            (B6版128頁・頒価1,000円)

  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)アダルトチルドレン

2015年07月24日

マインドフルネス瞑想のこと 2

 前記事の続き、マインドフルネス瞑想についてです。

 実は、以前受講したトラウマケアの研修でもマインドフルネス瞑想の効果が指摘されていました。

 心的トラウマが強いと、気が高ぶっている状態が常になり、意識があっちへ行ったりこっちへ行ったりするのですね。

 常に、闘争か逃走かという気を張り詰めた状態なので、
心は平静ではありません。

 マインドフルネス瞑想をすることで、これが改善されるということでした。

 実際、短い時間ですが私も瞑想を続けていますが、心が落ち着いた状態が増えてきたように思えます。
または、心がざわついたときも、落ち着きを取り戻しやすくなってきました。

 私はオーソドックスに、呼吸をする鼻に意識を向けるやり方が好み。
吸うときに、鼻の入口を空気が中に通って、
吐くときに、鼻の入口を空気が外に通っていく。
それを体感する。
それをただくり返す。

 するとあら不思議、気持ちが安らいできます。
一般的には邪念として扱われる考え事に意識が向いても、
 おぉ、これを考えたいのね私は。
 そして今、
嫌な気持ちでいる。恥ずかしい思いでいる。怒っている。喜んでいる。
 OK,OK

鼻の呼吸の感覚を味わおう。
 OK,OK

 今ここでの体感を味わう。
すると心が安らぐ。

 ホントに不思議。
  


2015年07月22日

マインドフルネス瞑想のこと

 最近話題のマインドフルネス瞑想について、少し勉強しているので、今日はそのお話です。

瞑想といえば、禅のお坊さんがやってる、あの瞑想を思い浮かべます。

 ひとつ事に意識を集中して、邪念を払って、自分を無にして・・・
なんて風にやるらしいというイメージがあります。

 私は格闘技をよくやってましたので、稽古の中で瞑想の時間はよくありましたが、
 その時も、目をつぶって何も考えないで気を静めるという指導でした。

 でも、これがむしろ難しい。
目をつぶるといろいろな邪念がわき起こるんです。キョロキョロ

 マインドフルネス瞑想は、これとはちょっと違って、
体感覚のうちの一つに意識を向けつつも、他のことに意識が向いても、それはそれでOK。

 あぁ、今意識がこちらに向いているな。そしてこんな感情でいるな。なるほどなるほど。
 なんて風に、
今の自分の意識や感情の状態に気づくことを重視するんだそうです。

 そうして、
またもとの体感覚に意識を戻す。
ホームポジションに戻ることをくり返すのだそうです。
 往復が要なのだとか。

 一度研修を受けましたが、意識がよそに行っても問題なし。
それがフツー。
気づいたら味わって元に戻ればいい。
 との指導で、とても気楽に瞑想ができました。

この記事続く。

  




【お知らせ】
これまでの発表や記事原稿を、「聞風坊の図書館」で適宜公開しています。
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