2017年11月18日

願い下げるという気持ちすらない話

 不登校新聞2017年09月29日の
不登校からの青春問題 「リア充はくだらねぇと言ってもムダ」説
https://futoko.publishers.fm/article/16323/

 の記事に心が動いての記事です。

 不登校者の多くは、

 不登校しているからと言って、孤高を楽しんでいるわけではなく、

 内心、自分がフツーの人生を送っていないことに、いらだちを覚えているようです。

 その不快感をなんとかやり過ごすために、願い下げ処理という作業をしているのだそうです。

 記事から引用すると、願い下げ処理とは、
 
これは青春的なるものやそれに属する人々を「薄っぺらい」「青臭い」「バカっぽい」など、総じて低俗で幼稚であるとみなし、「そんなものはこちらから願い下げである」と自ら突っぱね、自分を保つ方法

 なのだそうです。

 そんな下らないものを手にすることは私は願わない。

 願い下げだ。

 という処理みたいです。

 この記事を読んで、正直ほっとしました。

 あぁ、フツーの世界に憧れを持っているんだ。
 裏を返せば、
 フツーの世界が自分と親しいんだ。

 と思ったからです。

 こんな思いの不登校の人は、きっとフツーの世界に居場所を見つけられるでしょう。

 それぐらいの多様性というか、不登校への理解は社会全体に進んでいると思っています。

 一方で、まったく願い下げ処理をしない人たちの存在が首をもたげてきました。

 どういう人たちでしょう?

 きっと、
 フツーの世界に憧れや親近感を持たない人たちでしょう。

 その人たちは、
 この世のことがすべて別世界の出来事のように感じているかもしれません。

 フツーの人が10代青春期に体験するようなことについては、

 機会があればやってみたいです。
 もっともそんなことないでしょうけど。

 なんて答えそうな人たちです。

 私聞風坊も、その一人。

 正直、それどころじゃないってのが本音。

 生き残るのに精一杯。

 ということすらオトナにならないと気づけないほど切羽詰まっている24時間を生きている子ども・青少年。

 自分には、願い下げる権利があることすら知らないかもしれません。
 
 この項続く。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

2017年11月15日

専門職と当事者・家族が折り合えない話

 専門職というのは、専門の範囲で仕事をする人のことです。

 ということは、範囲の外の仕事はしないし、してはならない面も強い。となります。

 ケータイ電話を販売することを専門に仕事している場合、
ケータイ電話に関する範囲は専門的な知識と技能があります。当然です。
 むしろ、持っていなければなりません。

 逆に、それ以外の専門性、例えば飛行機の操縦については知識も技能も要りません。
 別に、なくても構いません。

 医療や教育や福祉やカウンセラーなどの相談の専門職も同様です。

 自分の仕事の範囲については、
 しっかり専門的な知識と技能を習得し、責任を持って仕事します。

 ですが、その範囲の外は、さほど詳しくなくてもいいし、責任はもちろんありません。

 医療は、内科なら内科、精神科なら精神科の範囲で責任を持って専門的に関わります。

 教育なら、小中高の各学校を卒業するまで、教育的な面について責任を持って専門的に関わります。

 福祉も相談職も同様です。

 自分の仕事の範囲に集中します。

 都合、範囲外には意識はあまり向けません。
 それするぐらいなら(人の仕事の心配するぐらいなら)自分の仕事をもっとちゃんとしろ!
 みたいな気持ちもあるからでしょう。

 つまり、専門職は、自分の専門的技量を発揮して相手の利益を向上させる視線の送り先が、

 自分の仕事の範囲までなのです。

 医療なら病気やケガが治るまで。その先の仕事については関わらない。

 学校なら卒業するまで。その先の進学先や仕事についてはその先の専門職に委ねる。

 福祉も相談職も同様です。

 一方で、そういう支援を受ける側はそうではありません。

 病気やケガが治った後、

 卒業した後、進学した後、就職した後、

 福祉サービスを使い始めた後、

 相談した後、相談が終了した後、

 がある意味本番なのです。

 支援が終わったのだから、
 その後は、自分の力でやっていかねばならないからです。

 だから、支援を受ける人、つまり当事者や家族は、

 常のその後を気にしています。

 病気やケガが治った後。
 学校が終わった後。
 福祉の利用が始まった後、回復したりして利用できなくなった後。
 カウンセリングやセラピーが終わった後。

 言うなれば、当事者や家族は一生目線なんです。

 対して専門職は一時的目線と言えるでしょうか。

 専門職は自分たちのことを考えてくれていない。

 そんな思いを持つ当事者や家族は少なくありません。

 ひょっとしたら、自分たちと専門職の目線の送り先の限界が異なっているからかもしれません。

 教育場面では進路保障と言うようですが、

 この人の一生涯を少しばかり見すえて、支援の終結の形を考える支援。

 はとても大事なことのように思えています。

   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる発達障害ニート

2017年11月11日

【告知】ひきこもり家族教室と集いやってました

宮崎県精神保健福祉センター・宮崎県地域ひきこもり支援センター主催で、

ひきこもり家族教室(日南)

家族の集い(延岡)が行われています。

家族教室は支援者も参加可
集いは家族のみです。

ちょっと気になった方は、のぞいてみやってもいいかもしれません。

案内チラシ↓




  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる家族教室

2017年10月30日

ひきこもり家族教室4回終了しました

 みやざき楠の会さんの例会でのクラフト学習会4回、

 なんとか終着しました。

 関係皆さんに御礼申し上げます。

 当事者活動人の私聞風坊がやるクラフト講座は、支援者がやるのとはちょっと違って、

 望ましい行動を増やすのに焦点を当てたやり方ではなく、

 当事者理解に重点を置いたものにしています。
 
 ただ行動が変化しただけでは、
 家族の溝、相互無理解の悪影響は改善されないからです。

 さて今回は、そんな本流クラフトとはちょっと違うやり方で進めてきた学習会の肩の荷を降ろしながらの感想記事です。

 これまで、
 親の方や支援者の皆さんに、講演や講座研修の形で、

 当事者目線から支援の方法についてお話しする機会をたくさん頂いているのですが、

 全般的印象として、皆さん、

 こもってる人のことを知らない!!!

 どれくらい知らないかというと、

 ホントに知らない!!!

 20年経っても!

 学習会では、こもっていく仕組みから入り、

 だから、理解と共感が大事なんだと言うことを知るのですが、

 それでもいざこもる人と関わる時には、どうしても、アドバイスなり指図なり、挙げ句脅しになりがちなんです。

 親も支援者もです。

 少し知識がある人だと、やってはならないことは知っているので、
 「そうだったんですねぇ、つらかったですねぇ。」
 「そんな思いなのですねぇ。」
 こんな感じで、アドバイス的なことはせず 
 共感支持に努めるのですが、これはただ表面的に共感と支持だけなので、理解に到りません。
 
 「だから、そう感じたのですね」
 「そういう状況なら、そう考えるのも当然ですわ」
 「そしたら、こんなことに苦労したんじゃありません?」
 「となると、この先こうなるように思えるけど、どうだろうか?」
 このように、
 こもる人の立場に身を置いて、感じ、考え、予想する。
 そういう理解ができていません。

 だから、事態を改善する一手が思いつきません。

 こもる人が自ら動くこと。
 状況突破の手助け。
 ができません。

 そんなこんなで、
 理解と共感。

 この2つがとっても重要だと再確認している今なのでした。

 そしてなにより、親がクラフトを使って子どもと関わることはとても難しいということを実感したのでした。

 理由は、心の余裕がないから。

 他者を支えるには心に余裕がなければなりません。
 でも、親の皆さんはそれが十分でない。

 だから、子どもを支えることが十分にできない。
 子どもが自分の力で生きていく手助けが力強くできない。
 
 ということで、
 まっ先に取り組むべきは、親の心の滋養のように思えているのでした。 

 そのお役に立ちましたら幸い。

 ↓最終回の様子はこちら


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる家族教室

2017年10月15日

暴力的なひきこもり支援のこと

 こもっている人を無理やり暴力的に引きずり出し、

 社会参加を強要する人たちがいるようです。

 そうでなくとも、

 家族からの暴言、暴力はよくあります。

 兵糧攻めと呼ばれる、お小遣いや生活費等のお金を渡さない作戦も聞きます。

 いずれも、攻撃すれば嫌でも動き出すだろうという思想がもとになっているようです。

 そういう場合もあるでしょう。

 こもる人が、とってもエネルギッシュな場合です。

 そしてそういうケースはとても希少でしょう。
 
 だって、元気があれば、部屋にじっとこもっていられないもの。

 元気パリパリなのに、じっとしているのは苦痛だもの。

 体力も気力もない、つまり元気のないこもる人は、

 残った力を振りしぼって、抗議して要望を伝えるのだけども、

 そんな非力な訴えは、暴力という強さには対抗できません。

 そもそも暴力的なのだから、こちらの言い分なんか聞く耳持ちませんし。

 じゃ、どうするか?

 社会に訴えるというのも1つです。

 ひきこもり新聞は、
 暴力的な支援団体によって気持ちを蹂躙された人の声。今まで社会に届くことのなかったひきこもり自身の声を伝えるために

 創刊されたそうです。
 http://www.hikikomori-news.com/?page_id=42

 または、自分の身を自分で守るというのも1つですね。

 暴力が迫ってきたら?

 対抗する。

 外に逃げる。
 
 服従する。

 およそ3種類の防御法が考えられます。

 私たちは、服従を選択しがち。

 加えて、他の2つができるようになると、心に余裕ができるでしょう。

 対抗は、
 パンチやキックや関節技を磨くことや、警察に通報する。というのもあるでしょう。

 外に逃げるは、
 着の身着のままで突っ走るというのもありますし、事前に食料品や服など必要品をまとめておくという準備をしておく。
 というのもあるでしょう。

 いずれにしても、体力と気力・ガッツがいりそう。

 ということは、
 こもる生活に、体力と気力を養うメニューを入れた方がいいということ。

 筋トレで筋力を、
 
 ストレッチなどで急な動きでもケガせずしなやかに動作ができるような身体の柔軟性を、

 ランニングやウォーキングで心肺機能を、

 あえて人混みの中に外出する、苦手な家族と関わる、助けを求める電話をかける練習をするなど、気力を養いストレスになれる。

 などがいいように思えます。

 こもる時間を、自分のためにどう使うか?

 これは、こもる人に任されています。

 あなたは、あなたのこもる時間をどのように使いますか?
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

2017年09月27日

奪われる恐怖と与える喜び

 こもっている人と話しているとき、わりとありがちなのが

 搾取・さくしゅとか、収奪・しゅうだつとか、略取・りゃくしゅとか、

 という言葉に表される、

 自分たちから、社会や権力者が奪う、盗むという感覚・発想です。

 そのため、
 自分たちは、社会や権力者から奪われる、盗まれる。

 オイシイ思いをするのは、力ある人たち。

 自分たちではない。

 そういう感覚・発想です。

 世界は自分の物を奪う。取り上げる。盗む。

 そんな意識なのでしょう。

 となると、

 社会と関わるということは、

 奪われる。

 と言うことになります。

 だから、
 社会に関わることがとても命がけ。

 必死の思いで社会と関わる。

 かつて、とても怖い目に遭ったからでしょう。

 実は、
 これとはまったく逆の感覚・発想もあります。

 自分は社会に何を与えられるか?

 自分はあの人に何を提供できるか?

 社会・他者から奪われる感覚・発想ではなくて、

 社会・他者に逆に与える感覚・発想です。

 こんな感覚・発想に触れると、余裕と力強さや思いやりを感じます。
 
 与えると思うと、恐怖と自分の力強さを感じます。

 時間、スキル、知識、笑顔、お金・・・。

 自分の何を与えるかは自分で決める。主体的。

 逆に、
 奪われることばかり意識して
 自らなにかを与えることを考えられない人は、

 人からもらうことばかり考えているのかもしれません。

 だって、自分はとても弱い存在だもの。
 人になにかを与えることなんてできない。

 と言うか、奪われたものを返してもらわないとならない。
 その権利がある。
 自分は債権者だ。

 残念ながら、望むような返還はなされません。
 優しくされても、承認されても、労いとともに給料もらっても、きっと宝くじ7億円当たっても。

 まだ足りない。

 ところが不思議なことに、
 与えることに意識を向けると、

 無くなったはずのものが、蓄えられて来ることに気づきます。

 無くなったはずのもの。

 奪われ続けたもの。

 それは、自尊心。

 自信。

 ほどなく気づくはずです。  


2017年09月26日

【告知】ひきこもり家族教室最終回やります

ひきこもり親の会・みやざき楠の会さんにお呼ばれして、4回シリーズで家族教室を行っています。

 今月は最終回!
 10/8(日)です。
 第4回大切なことだから言いづらいことも言うてみよう。です。

 言いづらいことを言うには、心の準備が必要。
 つまりは、腹構え。
 それをしっかり整えてから、言うのが鉄則です。

 整えないまま言っちゃうとどうなるか?
 大方の親ん衆は、しっちょんなさるじゃろ。

 内容はシビアだけど、談笑しながら楽しくやってます。
 
 よろしければ、どうぞ足をお運び下さいませ。

 詳しいことは、Webで。
 みやざき楠の会ホームページ
 http://kusunews.web.fc2.com/

 前回なにをやったかは、
  こちら↓


  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる家族教室

2017年09月24日

親と闘うことをやめてみる話

 以前紹介した記事の再掲と言えば再掲です。
常に意識した方がいい、
座右の銘と思えますので。

 それは、

「きみの家庭での力関係を考えて、勝つ見込みのない闘いは避けなさい」
(『心的外傷と回復 』(ジュディス・L. ハーマン著  中井 久夫 訳 みすず書房 p266)

親を変えよう!
親に分かってもらおう!
自分の苦しみを分け与えよう!
復讐してやろう!

 いろいろな思いから、親に対して直接的になにかしようとすることはよくあります。
でも、家庭内の関係にあって親の影響は大きい。

 よしんば勝ったとしても、その後何が残るのか?
権力を持ったとしても、親を隷属させたとしても、それは家庭内だけの小さな世界での話。

 そんなくだらないことに限られた力を使うより、
自分を養うことに力を使った方がましだよ。

 親のために使うことはないよ。
自分のために使いなさいよ。

 そんなメッセージが聞こえてくるのでした。


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Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

2017年09月18日

病院がふわっと断ってくることについて 2

 患者に治療意欲がないという理由で医療者が患者の受け入れを実質断る場合について。
の続き記事です。

 各種調査ではっきりしているように、
こもっている人は、医療が必要な人がほとんどなのですが、
いざ受診するとなると、大きな壁が立ちはだかります。
 絶望するほどの厚く高い巨大な障壁です。

 それが治療意欲。

治療意欲がないと、医療の効果が期待できないので、実質「お断り」される場合は多いのです。
 つまり、拒否らレる。

確かに、こもっている人は受診をしないし、継続通院もなかなかしません。
つまり治療意欲がない。
 そういう面は間違いなくあります。

さて、この治療意欲。
もっぱら患者にそれがないと言うことだけ取り沙汰されますが、

 実は、患者に治療意欲がないという面に加え、
医療者にも意欲がないという面があるようです。

 なぜなら、医療者の
患者のために働きたい! 
 という意欲をくじく患者だからなんです。
治療意欲のない患者は。
治療意欲の見られない患者は。
治療意欲が感じられない患者は。

 そしてそれは、
長年精一杯やるだけやっても治らない回復の困難から、

医療に対して期待しなくなったこと、
自分の健康に対して希望を持たなくなったことなどの、
 思いを持った患者が、

医療者に対して、そういう思いで接しているからではないかと考えます。

どうせ無理でしょう? あなたも。 自分も。

 視点を変えると、
自分のくじけた意欲、解消不可能と思われる困難を抱える自分の痛みを、
医療者に無言で伝えているとも考えられます。

 でも、無言で伝えようとすると、伝わりづらいもの。
誤解すらされます。
治療意欲がない。
みたいに。

だから、なるべく言葉にして伝えることが大切。
医療者に分かりやすいように。

できれば、よくなりたいです。
でもその自信はありません。
それほど期待もしていません。
諦めています。

治ればイイと思っています。
でも・・・。

正直な思いを言葉にして、伝えてみる価値はあるでしょう。
にも関わらず、それを受け止められない医療者なら、
他をあたりましょう。

この項終わり。
  


2017年09月15日

病院がふわっと断ってくることについて

患者に治療意欲がないという理由で医療者が患者の受け入れを実質断る場合について。
の記事です。

具体的にどんな状況かというと、

家族が相談に行った場合、
「本人が来ないことにはどうにもできません」
「本人が、病気を治したいという気持ちがないと難しいです」
と言われたり、

本人が行った場合、
「もし、なにかあったら来て下さい」
と言われたり、
「どうします?」
「お薬を飲んでみますか?」
なんてなことを訊かれたりする場面で、

患者の治療意欲を確認しています。

理由としては、
患者自身が、今の心や身体の状態に困っていて、
それをどうにかしたいという強い意志がないと、
医療効果が上がらないという現実があるのですね。

具体的には、
食事をしっかりとるとか、お酒を控えるとか、睡眠時間を確保するとか、
薬をちゃんと飲むとか、運動をするとか。

患者自身が自分の心と身体のために
日頃の生活を変えてまでも、
やらねばならないことがいっぱいあるので、

やり続ける意志の強さが必要だからなのです。

治療・回復のための重要度を比較すると医療よりもむしろ患者の方が重いくらいなんです。
医療にできることが限られているって言ってもいいくらい。

でも、これ、ホントに難しい。
よっぽどの気合いがないと。

この項続く。
  




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