2018年08月20日

ひきこもり支援と言えば就労支援だったそうな

 少し前に個人的に判明したことです。
 個人的にリサーチして。
 
 かつて、
 ひきこもりの支援と言えば、就労支援だったそうです。
 ある意味、現在でも継続されているそうです。
 知りませんでした!!!

 これは、全国的な話なのでしょうか?
 少なくとも東京圏ではそうだったようですが。 

 私自身のことを思い返せば、
 ひきこもり自助グループを仲間と立ち上げてやっていた頃に、

 若者自立支援の名目で、宮崎の若者支援現場が動き出して、
 そこに自らアクセスして、NPOに所属して支援に関わることをやり始めたのが2005年。

 ひきこもりを対象の一つにしていましたが、その団体の意識としては無業の若者であるニート支援でした。
 
 当時はひきこもり=ニートと認識されていた時代だったからです。

 その環境下、

 ひきこもりとニートは違います! とNPO組織の内部で言い続け、

 働きたくなった、働く場面に意識が向いている人の(そういう人に限り)就労支援をするように意見し続けた記憶があります。

 働く気力がわかない人に就労支援をしてはならないという意味も含んでいます。

 この頃は、当事者活動ばかりやっていた時期なので、
 当事者の声を届ける役目に意欲満々! 
 な思いの強さが影響していたようです。

 そんななので、
 話せるニート当事者がいるということで、地元マスメディアの取材もたくさん受けました。
 地元ニュース番組にも出ました。コミュニケーション障害のニートという設定で。
 
 正直なところ、特段就労に意識は向いておらず、そんなこんなを事前の打ち合わせで細かく意見交換したにも関わらず、コミュニケーション障害の就労に悩む若者としての取材でした!
 ※社会が求める当事者イメージを引き受けた!

 私はすでにそれなりに社会の仕組みを知っていたので、
 メディアは自分たちの意図に合うようにインタビューを編集するだろうから、
 そうならないよう腹をくくり取材を受けました。

 若者は高度経済成長から始まる現代社会の犠牲になっている。

 学校教育で個性を尊重されなかったことが原因だ。

 みんな働きたいんだ。働く機会がないんだ。

 みんな自己肯定感が低いんだ。だから自己肯定感を上げる支援がイイんだ。

 みんなコミュニケーション障害だ。コミュニケーションの練習が最優先だ。

 メディアが用意したそういうありきたりの結論に持っていかれないように。
※さぞ、取材しづらかったでしょうね。かわいげのない当事者だもの。

 さて、
 ニート支援は別の言葉で言うと若年者就労支援となります。
 一言でいうと若者支援です。

 私が身を置いていた宮崎市の若者支援界では、
 サポステや、若者自立塾や、
 若者の支援をしている人たちのネットワークである支援者ネットなどが徐々に立ち上がっていきました。

 民間団体みんな連携しました。
 若者支援・若年者就労支援=ニート支援という意識で。
 
 最近では、
 若者ではなく、老若男女、当事者・家族区別せず困難を抱える人へ何か手助けをする「その人支援」という形になってきています。

 こんな感じで、
 2000年代初頭に始まった宮崎の若者支援ですが、
 この間ずっと、ひきこもり支援はなかったと私は認識しています。

 私のまわりの支援者は、
 こもる人も含む「若者を支援している」感覚だったからです。

 とはいえ、すでにもう高齢化が取り沙汰されていて、
 私自身も若者と呼ばれるにはちと心苦しい中年にさしかかっていたので、
 ほどなく高齢化の問題にも視点を向けるようになりました。

 でも、どこから手を付けていいのか分からない!
 高齢化と言っても介護問題とはちょっと違う。
 はてさてどうすると困っていたところ、ふとひらめきました。

 子が高齢となれば、親も高齢なので、親の福祉サービスをひきこもり支援の入口にしよう!
 逆転の発想です。

 すぐさま、
 当時市内2ヶ所しかない地域包括センターにアクセスしました。

 予想通り福祉現場の人は居宅しているサービス利用者の子どもと思われる誰かをどこにつなげればいいかで悩んでいました。

 これはもう、若者支援と言うより親子二代支援の様相です。

 支援のカテゴリーで言うと、
 介護支援、生活支援、医療支援・・・となるでしょうか。

 そんな暮らし向きだからお金がたくさんあるということを前提にできません。

 だから、
 お金のかからない支援法でやっていかねばならないのです。
 そして、今すぐ取りかかれる支援でなければなりません。

 社会と距離を置いている時間が長い分、支援する期間も長くなるでしょうし、
 親も子も高齢なので、不登校支援でありがちな「焦らずゆっくり」なんて悠長なことは言えないからです。
 
 そこから、
 今、使える制度を利用してやっていく。
 という発想が生まれました。
 新しい制度を組み上げる時間と労力がもったいない。
 それは誰かに任せて、現場の支援者は現場のことを考える。

 支援者のネットワークもこの発想をもとにしています。
 
 実のところ、
 現有制度を組み合わせれば、なかなか頼りになるのでした。

 この記事続く。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

2018年08月15日

メンタライジングと「こもって、よし!」のこと

 メンタライジングとかメンタライゼーションとかいう考え方や心理療法があるようです。

 他者の心について、知り、感じ、想像し、共感するなどして、他者とイイ関係を築き、

 社会でよろしくやっていくための効果的なアプローチのようです。

 ※個人的には「心の理論」なんていう呼び名の方がなじんでるんですが。

 相手には、相手の気持ちがあり、受け取り方があり、都合なり、相手の自由意志がありということを知って、

 それらを尊重して一緒に社会をやっていく練習をするみたいです。

 同じように、自分にも自分の気持ちがあり、自分なりの受け取り方があり、自分の都合があり、自分の意志がありますので、

 それらも尊重しつつ、相手とよろしくやっていくことになるのでしょう。

 ひとりよがりにならずに、それでいて相手に従属することもなくやっていくためには必要なことだと思います。

 親子関係でいうと、親が子どもの気持ちや受け取り方や考えた都合を尊重する。
 子どもも親のそれらを尊重する。
 そうして親子関係をよろしくやっていく。
 家族としてやっていく。

 となるでしょうか。

 職場なら同僚同士、上司と部下、取引先と自社でしょうか。

 支援者と利用者も同様でしょうね。

 拙著『こもって、よし!』では、これに通ずることを書いています。

 フォルダを作る。

 という表現です。

 私の中に、相手のことについてのフォルダを作って、
 相手のことをまるごとそこにファイルするというイメージです。

 解釈などの加工をせずにまるごとそのまんま保存する。

 自分のフォルダは別に独立保存してあるので、相互干渉はない。
 双方安全に保存されている。

 そんなイメージ。

 こうすると、相手の立場に立って感じたり、考えたりという想像がしやすくなります。
 私の中にある相手のフォルダを検索すればいいのだもの。

 同様に、私の中にある自分のフォルダを検索すれば、私ならどう感じるかということが分かります。

 比較対象もしやすくなり、

 都合、折り合いもつけやすくなります。

 私とあなたの境界を踏み越えずそれでいて協調してやっていくことが期待できます。

 私の中の私のフォルダの中に無理やり相手のことを入れ込もうと苦心惨憺したり、
 それでもどうにも難しくて相手のことが受け容れられずに排除してしまったりする事態を避けられます。

 小耳にはさんだメンタライジングと、拙著の心の理論である「フォルダ」理論の話でした。

  


2018年07月20日

支援者に必要なのは想像力だと思うのです。

 人を支え、手助けする人。

 それを支援者と呼ぶならば、

 支援者に必須の要件は、

 想像力だと思います。

 相手の立場、

 状況、

 可能性、

 苦痛、

 考え方、

 傷み、

 気持ち、

 責務、

 権利、

 等々への。

 さて、
 支援者は、以下のような対応をよくやります。

 若いのだから未来は明るいよと励ます。

 40代でも仕事はありますよと希望を持たせる。

 学校は楽しいよと登校を誘う。

 ひきこもりはPCが得意だから、PCを基軸とした就労支援をする。

 不登校は学校が嫌いだから学校に行かないですむ社会にする。

 ニートは自己肯定感が低いからとにかくほめる。

 野良犬に噛まれたようなものだと思って過去を忘れて生きるように支援する。

 自分を大切にしていないからと、命の大切さを説く。

 支援者は、
 自分たちのこれまでの人生をもとにして、自分たちのが苦労や頑張りが報われたからといって、

 その人がその職に就けるかどうかが分からないのに、

 自分たちが、学校では嫌なことやつらいこともあったけど全体的に楽しかったから、
 
 自分がPCが役立つと思っているから、
 PC得意じゃない、否、持ったこともないこもる人は多いだろうに、

 自分が学校嫌いだからといって、
 相手は学校嫌いじゃないかもしれないのに、
 むしろ行きたいのかもしれないのに、
 そして、
 学校に行かないですむ社会はいつ実現するかも分からないのに、

 対人支援のブームが自己肯定感を高めるためにほめることだからといって、
 ほめられるとむなしくなることも多いのに、
 上手に折り紙ができたところで仕事につながらないのに、

 相手の様子が痛々しいからといって、
 簡単に忘れられたら20年前から楽に暮らせてるのに、

 自分の命をぞんざいに扱われているのに、

 ありきたりな関わり方をさも当然に、
 自分たちがゆるぎなく正しいとして、

 自分たちの貧しい想像力をもとに、
 支援を組み立てるのはナンセンスです。

 想像しましょう。

 そうしてその人に会った支援の仕方を創造しましょう。
  


2018年07月05日

親からの自立は身を切る覚悟がいるかもしれない話

 親からの自立。

 という考え方があります。

 それまで親の保護のもとに生活していたけど、

 これからは自分で自分を保護しながら生きていく。

 ときに親を頼り、甘え、

 ときに親を保護しながら。

 自立のイメージって、こんな感じでしょうか。

 具体的には、

 経済的自立と心理的自立

 なんて言われること。

 自分で働いて収入を得て、日々の暮らしをまかなっていく。

 これが経済的自立。

 こもる人やニートの親の人がよく口にする自立はこれですね。
 とにかく働いてほしい。切なる願い。

 一方の心理的自立は、

 気持ちの上で親を頼らなくなること。
 代わりに自分を頼みに生きていくこと。

 とでもなるでしょうか。

 それまで親の考えに従い、
 親の許可を得、
 何かにつけ親に相談していたものを、
 
 自分で考え判断し、行動する。

 そういう風になることですね。

 一言でいうと、
 (自分のことに関して親が担っていた責任を)
 自分で担うようになる。

 こうなると、
 親を自分の管理監督者みたいに上位に置くのではなく、
 対等なオトナとして付き合っていくようになります。

 互いに尊重しあって。
 互いの考えや意見か気持ちや立場を思いやって。

 オトナ同士。

 日本のルールでは、オトナになるのは20歳です。
 一人前の社会人として認められ、だから自分の行動について法的にも責任を持たねばならなくなる年齢です。
 この時から、オトナとしての権利と義務が生じるのですね。

 さてこの自立、人によって差があります。
 その人がどれくらい自立しているかの指標を自立度なんて言いますが、

 人によっては、20歳過ぎても自立度が低い人がいます。
 人によっては、10代のころにオトナレベルの自立度の人もいます。
 ときに一ケタの年齢の頃からオトナとして暮らしている人もいるでしょう。

 親をアテにしなくなる。
 親から自立する。
 親と境界を引く。
 親をクビにする。
 親を切り捨てる。

 子どもが、自分を頼みに生きていく際に、
 そのやり方には穏当なものから過激な力強いものまでいろいろな表現があります。
 
 それまでの親子関係によって表現は違うでしょう。

 穏当で、良好で、成長を促し見守る親との関係だったなら、穏当な表現になるでしょう。

 過激で、一方的で、略奪・侵襲的で、成長の邪魔をし、
 むしろ自分が保護してもらうことを期待しているような親との関係だったなら、

 表現は激烈になるでしょう。

 それは、子ども自身を傷つけることにもなります。

 自分が自立して社会の中で生きていくために、
 親子関係を引き裂くことをせねばならないのですから。

 親は期待するほど自立を手助けしてくれないのだから。
  
タグ :自立


2018年06月30日

回復なんかない成長だけがあると思う話

 昔から映画が好きで、もちろんテレビっ子で、

 オタクという名が出て来る前からアニメマニアで、
 同人誌も作ってたりこともあるくらいで、

 中でも大好きなのが、

 オーメン、エクソシストのような悪魔憑き系と

 ヴァンパイア系と

 ミュータント系です。

 今でもよく観ています。

 どんな風に観ているかというと、

 ほぼ自分のこととして。

 共感しすぎなくらい。

 だから見終わった後は、自分にも超能力が使えそうな錯覚。

 念力とか、強靱な力とか、空飛べるとか・・・。

 そして、勉強してます。

 どんな風にして社会でやっていけばイイのかを。

 昔、自分のことを弾かれ(はじかれ)者と言い表していました。

 社会から弾かれている感じが子どもの頃からしていたからです。

 実際は弾かれていないのですが、なんだかそんな感じがしてたのです。

 違和感、ズレ、なんか違う、ここじゃない、

 他にいろいろ表現はあります。

 みんなと違うフツーでない自分を強く感じて、

 どうやっていけばイイのだろう?

 とつねづね考えてました。

 ヴァンパイアや特にミュータントの人たちは、同じ悩みで暮らしてます。

 だから、勉強になるんです。

 自分をどう使って世の中でやっていけばいいか?

 それは、昔の状態に戻る、つまりフツー人になるということではありません。

 自分を成長させてニューバージョンとしてよろしくやっていく。

 自分の取扱いが巧みになって、よろしくやっていける。

 それは回復と言うより成長です。

 ひきこもり、アダルトチルドレン、虐待サバイバーなど、

 元に戻ることが決して利益にならない場合、

 回復より成長を目指すのがいいのかもしれません。

 よりよい自分になるために、今日一日を生きる。

 そんな思いで。
 
 珍しく聞風坊の独白でブログらしい記事でした。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる過去の出来事

2018年06月25日

祈りが心のよりどころだった話。

 親を頼りにすることができなかった子どもの頃、

 頼りにしていたのは仏様でした。

 何の変哲もない単なる仏教徒なのですが、

 自分には仏様がいる。

 と思うだけで、なんとなく落ち着きを得ていたのを思い出します。

 人はみな仏の子。

 という教えのためでもあるでしょう。

 見守られている。

 そんな気持になったようです。

 そして、
 仏の子としてどう生きるか?

 それが基軸になったようです。

 いじめられたときも、こもっているときも、日常困ったときも。

 自助グループでは、ハイヤーパワーに委ねることを学びます。

 自分の手に余ることを。

 そして、大いなる自然の営みの中にいる自分という意識を持ちます。

 そうして、
 ひとりでいろいろな重責を背負い込むことや
 自分は誰よりも上手になんでもできるという錯覚を手放し、

 ひとりのただの人間として謙虚に暮らしていくことを学びます。

 両方とも大いなる何か、サムシンググレート・Something greatとのつながりによって、
 自分をよく保ち、暮らしていくのですね。

 窮地を生き延びる術は、大いなる何かとのつながりを得る(再確認する)こと。

 そんな気がしています。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる過去の出来事

2018年06月15日

ひきこもり状態では身体が炎症を起こしている話

 ひきこもり、ひきこもり状態の研究や支援については、
もっぱら、精神医療や心理面と就労や居場所などの社会(参加)的な視点から支援されてきました。

 今回、九州大学の研究で、身体的に炎症を起こしているという指摘がなされました。
 https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/researches/view/218

 また、NHKテレビ「ガッテン!」では、
 http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20180606/index.html
 人類は、孤立すると、身の危険を感じて身体が炎症反応を起こすことが紹介されました。
 これ、人類の本能なんだそうです。

 人はストレスを受けると、炎症が起きる身体の仕組みになっているのですね。

 炎症は、そもそも細菌やウィルスなどの外敵から身を守る反応の一環ですが、これが長びくと健康を害するのだそうです。

 こんな性質の炎症ですが、人と関わることで鎮静するのだとか。

 さて今回、
 ひきこもり状態の人で炎症を起こしている状態が確認されたと言うことは、

 こもっている人は、ストレスを受けている。ということでしょう。
 長く、強く。
 慢性的に。
 炎症が起きるほどに。
 炎症が治らないくらい。

 そして、孤立している。

 こう考えると、
 
 遊んでいる。
 お気楽。
 いいご身分だ。
 甘えだ。

 というひきこもり状態に対する解釈や感想は、当てはまらないでしょう。

 だって、
 孤立という危険な状態にあるのだもの。

 こんな風に考えると、

 自分もたまにはひきこもりたい。
 と望む人は、

 自分もたまにはストレスで身体に炎症を起こしたい。

 と言っているのも一緒になりますね。オドロキ

 さて、
 今回の九大の研究が進めば、身体の医療の方面から、こもる人の手助けが行えるようになることが期待できます。

 また、居場所、自助グループなどの効果が、人と関わることと炎症鎮静の関係の面から解き明かされるかもしれません。

 少しずつ、少しずつ、こもる人への効果的な手助け方が増えてきている思いです。

 世の中、まんざらでもないようです。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

2018年05月27日

働かなくていいと働けなくていいと快復の話

 快復目線の補足です。

 快復のためには、

 働かなくていい!

 と社会に認めてほしい。
 
 だけじゃなくて、

 働けない自分を認める。

 働けなくたって、納税できなくなって、自分の価値そのものが落ちたわけではない。

 なにも傷ついていない。

 魂を削り、対価を得る働き方を求める社会では、

 働かなくていい!

 それぐらい価値のある人間なんだ自分は!

 こんな風に、

 快復の道は、
 働けない自分であることを許可することからはじまるように思えます。
 
 
 そしてさらに補足。

 社会からひきこもっている人は、社会の話題からもひきこもってしまいがち。

 だから、たとい税の話でもしっかりしたほうがいいと思うのです。

 そう言うことなので働かないとならないんだよ君!
 と説得の材料に使うのではなくて。

 自分たちの社会の話をただするという意味で。

 こもる人の状態の悪化を懸念して快復の障害になるからと、
 医療者・支援者が話題を選ぶことはあるでしょうが、
 だからと言って、話題の制約(タブーの設定)を強要するようなことはあってはなりません。

 何を話すか話さないかは個人が個別に決めること。
 Nothing about us without us.
 私たちのことを私たち抜きで決めるな!
 です。

 また、
 この話題は話しちゃいけないんだ。
 と関わり方に制約がかかると、周囲の人もこもる人に関わりづらくなります。

 関わりづらさ。それは孤立を招きます。
 孤立。まさにひきこもる人が抱える根幹の問題です。
 だから、関わる障害になるような指示や提案はしてはならないのです。

 そもそも、
 当事者本人・患者にだって税の話をする権利はあるし、

 なにより自分がかかわる社会の話をすることは快復の役・社会再参画の役にたつことなんです。
 だって、自分が暮らす社会のことだもの。

 話したくない人は話さなくていい。
 話したい人は話していい。
 話したくなったら話していい。
 話したくなくなったらやめていい。
 決めるのは当事者本人。

 周囲と調和し穏やかに暮らせる状態に快復するためになることは、
 進んでやっていいのです。

 だって、それが今の仕事だもの。

 この項終わり。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる

2018年05月26日

働けないと税と公共サービス受益の話

 続きです。

 働かないから納税しないけど公共サービスは受けている状態をどう受け止めるかについて考えてみました。

 こういう状態をタックスイーター(Tax eater)なんて侮蔑的に呼ぶこともあります。
 ちなみに税金を納める人はタックスペイヤー(Tax payer)ですね。

 注目したのは、

 働かないでいい!

 の言葉の奥の気持ちです。

 働かなくていい。
 全然問題ない。
 働くなんてありえない。
 なんて風に働くことを馬鹿にした思いから発された言葉のようには感じないのです。

 むしろ働くことにとても価値を置いている。
 働くことの大事さを知っている。
 だからこその発言のように思えるのです。

 そこから私は、

 働かなくていいよ。って言ってほしい。

 そんな気持ちがあるように感じました。

 そしてそれは、

 働けないのだから。

 を意味しているように思えます。

 働かない!
 として、働かずに受益だけを目指しているのではなく、

 働けない!
 ってことを言いたいのではないか。

 そう思うのです。

 働けない!
 税金も納められない!

 それほど、
 社会で傷ついてしまったのかもしれません。

 そんな心の痛みをどうにも感じてしまいました。

 さて、こう考えてくるならば、
 
 社会から

 ある意味無条件に優しくされていい。

 と思えてきます。

 働かなくても、

 納税しなくても、

 社会は最低限の健康と安全は守ります。
 サービスは提供します。

 差別なく。

 能力があるなしに関係なく。

 生産性があるなしに関係なく。

 社会貢献度が高い低いに関係なく。

 あなただから。

 そんな自分なんだ。

 それぐらい甘えていいんだ。自分って。

 この社会に属している自分って。

 社会から優しくされる価値があるんだ。

 ここにいるだけで。

 生きているだけで。

 そんな社会の中にいるんだ。

 そんな人たちの中にいるんだ自分って。
 
 そもそも、思いやりで成り立っている社会にあって、
 思いやりどころか、ひどい仕打ちばかり受けてしまったのだから、
 少しぐらい、優しくされてもいいい。
 大目に見られてもいい。

 せめて公共サービスぐらい気兼ねなく受益してもいい。

 それでいいように思えます。

 私聞風坊には、こもっている最中に支えになる一文がありました。

 働かなくていい。
 今は回復することが仕事だ。

 この一文を胸に回復ばかりを考えて30代を過ごしてきました。
 
 十分なほどに回復すると、
   ※実際は快復だったり変化成長だったりしますが、
 働けそうな気がしてきます。不思議と。

 そんな心の状態になったら、実際に働けます。

 となると、自動的に所得から直接納税することになります。※もちろん応分です。
 タックスペイヤーになります。

 社会的活動が増えると消費も増えるので消費税納税の面からも納税額が上がります。
 
 働いて収入を得ることばかり、
 税金を納めることばかりが仕事ではありません。

 自分の心と体を健康に保つ。
 ということも、
 私たちが担っているものすごく大切な仕事なのです。

 働かなくていい。
 今は快復するのが仕事なんだ。
  


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる社会のこと

2018年05月25日

働くことと税金と公共サービスのこと

 最近、いわゆる当事者の声と一般の人の声と支援者の声が交わる場に居合わせたので、
 それをもとにいろいろ考えたことを記します。

 その場でどんな風に声が交わったかというと、

 まず、

 働かなくてもいい! という主張があり、

 それについて、
 税によって社会が回っている事実にについてどう考えるか?
 という問いかけがありました。

 これにこたえる形で、
 働かざるもの食うべからず的な倫理的・道徳的発想はやめるべきだ!
 という発言がありました。

 要約するとおおよそこんな感じでした。

 さて、
 税金というのは、暮らしの中でいろいろな形で使われています。
 道路の補修、信号機にも、
 上下水道にも、
 警察や消防救急や国防にも、
 
 生まれると登録される戸籍の管理にも、
 教育やインフルエンザ対策とかの公衆衛生にも、

 医療・介護保険制度は、税金みたいな感じで徴収し利用されてますし、もちろん公費=税金も入ってます。
 
 国税庁のホーページには、
みんなの安全を守る警察・消防や、道路・水道の整備といった「みんなのために役立つ活動」や、年金・医療・福祉・教育など「社会での助け合いのための活動」に使われています。
 そのために必要なたくさんのお金をみんなで出し合って負担するのが「税金」です。
 つまり税金は、みんなで社会を支えるための「会費」といえるでしょう。


とあります。https://www.nta.go.jp/taxes/kids/nyumon/page01.htm

 上記サービスは、私たちは意識しなくても、求めなくても、提供されるサービスです。
 その人や会社が税金を納めていてもいなくても提供されます。
 そして私たちは受益します。

 そのためか、
 私たちは、とても身近なことに税が使われているということをあまり意識しません。
 ごく当たり前、フツーに提供されているから税金がかかわっているって意識もしないのでしょう。
 
 だから、申請しなくてもサービスが受けられます。
 110番したら、まずは利用登録と利用料を払ってくれ、捜査はそれからだ。なんて話はあり得ません。

 こう考えると私たちは誰もが、
 これらのサービスを受ける権利を無条件に持っていると言ってもいいかもしれません。

 実はこんな身近な税金ですが、
 その税金はどうやって集めるかというと、
 所得税や消費税や住民税などの形があります。
 ※ちなみに、消費税が導入された時から、あらゆる国民は納税者になったと思われます。

 このうち、所得税や住民税は、個人や企業の儲けた額に応じて決定します。
 儲けが少ないと税額0円というのもありますね。
 応分負担と言うのでしょうか。

 おおよその場合、働いて収入を得ます。
 その収入から、かかった費用を引いたものが儲けですね。
 
 さて、
 この考え方をもとにすると、
 働かなくていい! 
 は、収入がなくてもいいとなり、

 つまりは納税しなくてもいい!
 ってことを言っていることになってしまいます。

 となるとこれは、
 みんなが自分を含むみんなのためのサービスに使うために
 税金を負担して成り立っている社会にあって、

 私は、サービスは受けるけど負担はしないよ!

 と言っていることになってしまいます。

 これだととても身勝手な感じ。
 
 じゃぁだからといって、
 拒否権を発動して、戸籍や警察や救急や医療、信号機などのサービスを受けなくてもいいです。
 というわけにはいかないのが難しいところです。
 
 私たちは否が応でも税金が関係するサービスの恩恵を被ってしまいます。
 税がまったく関わらないサービス、物品なんてないのではないでしょうか。

 おせっかいといえばおせっかい、思いやりがあるといえば思いやりがある。
 そんな社会の一員なんですね。知らず私たちはすでに。

 こう考えてくると、妙な気分になります。
 ありがたいけど、なんだかちょっと押しつけがましい。あ、でもやっぱりやってくれてるとホント助かる、ウン。
 あ、でも税金だし。納めてないし・・・。
 
 自分は働かなくていいと思っています。
 だから納税もしません。できません。
 それでは心苦しいからサービスも要りません。

 というふうに、
 負担したくないからサービスは要らない。
 の理屈は却下されるでしょう。
 税金を納めていてもいなくても、戸籍は管理されるし、警察や消防はサービスしてくれます。
 道路を歩いても拒否られません。当たり前です。

 では、働かない人=儲けのない人=税金を納めない人は、
 一方的にサービスを受けるしかないのでしょうか。
 悔しい、恥ずかしい、情けない思いを秘めながら。
 ごくつぶし、タックスイーター(Tax Eater)の汚名は返上できないのでしょうか?

 この項続く。
   


Posted by 聞風坊 at 06:00Comments(0)ひきこもる


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